Thu 180906 ペペロンチーノの記憶/アーリオオーリオ(イタリアしみじみ5) 3712回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 180906 ペペロンチーノの記憶/アーリオオーリオ(イタリアしみじみ5) 3712回

 高校3年まで、今井君は田舎のマコトに品行方正な優等生として成長した。イケナイことなんか、ほとんどしなかった。ぜんそくで子供の頃からずいぶん苦しんだから、昭和の不良高校生の定番「喫煙がバレて停学をくらう」なんてのも、もともと可能性すらなかった。

 

 父親が同席し、厳格な父がOKした状況で、1度か2度ホンのわずかの飲酒経験はあるが、「隠れて飲酒」「日々マージャン」「パチンコ屋に入り浸る」とか、そういうのも一切ナシ。だから当時は「不良高校生が憧れの対象」。何というか、当時としてはマコトにカッコ悪い善良高校生として成長した。

   (ガルダ湖風景。滞在の序盤は雨が続いた 1)

 

 昭和の時代に大流行した「喫茶店」と言ふものにも、ほとんど出入りの経験がない。諸君、昭和のオトナびた高校生は、「行きつけの喫茶店」というものを1軒か2軒、必ず持っていたものである。

 

 秋田駅のそばに「それいゆ」という喫茶店があって、その薄暗い空間こそ、昭和の秋田の高校生にとっての憧れ。部活がない日は、放課後いきなりオウチに帰るんじゃなくて、午後6時ごろまで「それいゆ」で時間を過ごした。

 

 そういう店の片隅で連日コーヒーにトースト、そのトーストにコショーをたっぷりふりかけてムシャムシャやりながら、店でかかるロックだのフォークだのを聞きまくり、音楽談義で盛り上がるオトナっぽいヤツらもいた。

 

 どこからそういうオカネが出てくるのか、幼い今井君にはよく分からなかった。日常的に「タバコ」というものを買うヤツらだっていたし、昭和の都会の予備校には、各教室に「禁煙」という大きな貼り紙があるぐらい、生徒の喫煙は常習化していたが、今井君に分からないのはそのオカネの出どころだった。

   (ガルダ湖風景。滞在の序盤は雨が続いた 2)

 

 ま、そうやってカッコ悪い善良&優良高校生として18年を過ごしたから、大学に入って友人たちと喫茶店に入り浸るようになると、かなりの違和感に苦しんだ。

 

 みんな喫茶店という空間にすっかり慣れていて、ポケットからタバコを取り出す仕草も、そのタバコに火をつける苦々しげな表情も、いろいろ難しい飲食物を注文する口調も、マコトに堂に入っているのである。

 

 優良高校生だった今井君としては、コーヒーにホットとアイスがあり、紅茶にもホットとアイスがあり、コーヒー店でスパゲッティやサンドイッチやミックスピザも注文していいことぐらいしか分からないのである。

 

 そのスパゲッティにも、どうやら「ナポリタン」「ミートソース」以外のコムズカシイものがあるらしいのが分かってきたのは、もっとずっと後のこと。おお、ものすげー ☞ だせーヤツだったのである。

 

 それでも少し大きくなれば、1度か2度は東京モンの彼女ぐらいできるじゃないか。東京モンの彼女とデートするには、雑誌でいろいろお店ぐらい調べるじゃないか。若き今井君が人生で初めて「ペペロンチーノ」を注文したのは、そういうマコトに情けない初デートの最中だったりした。

 

 もちろん口には出さなかったが、直前まで今井君は「ペロロンチーノ」だと思っていたのである。ギリギリでセーフだったというか、「ペロロンチーノを注文してみよう」とずっと考えていて、前日だったか前々日だったか「おっと間違い、ペペロンチーノだったんだ」と、世紀の大発見をしたのだった。

(シルミオーネ「Modi」のペペロンチーノ。辛味がきいて、マコトにおいしゅーございました)

 

 しかし諸君、いざ店のメニューを眺めてみると「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」とあって、あらら、こりゃどうしたらいいんだ? もしも「ペペロンチーノ」だけで通じなかったら、超だせー、赤っ恥をかくじゃないか。

 

 注文を取りに来たのは、忘れもしない、たいへんカッケー40歳がらみのおじさま。若き今井君は勇を鼓して「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノをください」と、長い正式名称で注文してみた。

 

 その瞬間、カッケーおじさまと東京モンの彼女が、苦々しい表情で視線を交わしたのである。「田舎くせー!!」と、その2つのマナコに書いてあったのである。「要するに、ペペロンチーノでいいんですよね」と、おじさまは確認し、東京モンも苦笑したのである。コンプレックスに火がついて、東京モンが大キライになった瞬間であった。

 

 若い頃のそういう記憶がベッタリと脳の奥に貼りついているから、大人になってもワタクシはペペロンチーノをほとんど食したことがない。生牡蠣やフィレステーキやスッポンやトンカツなら、他人が驚異のマナザシを向けるぐらいの量を貪るが、ペペロンチーノはコンビニでおしまい。店で注文なんか、絶対にイヤである。

(ガルダ湖風景。8月というのに、紅葉がはじまりかけていた)

 

 しかし諸君、それでも時々ふいに、ゴタゴタした飾り一切ナシのペペロンチーノが恋しくなる。ちょうど、丼メシのお茶漬けを焼きタラコだけで貪りたくなるのと同じ感覚だ。

 

 シルミオーネの初日、今井君がフィレステーキとアマローネを満喫している真横のテーブルで、50歳ぐらいのオバサマが召し上がっていたのが、懐かしくも憎っくきペペロンチーノ。東京モンなんかとは絶対に違う、本家本元イタリア♡高級保養地シルミオーネのペペロンチーノなのである。

 

 しかしまさか、でっかいフィレステーキと高価なアマローネを1本ペロリとやった後で、「デザートは?」の質問に「ペペロンチーノ!!」と絶叫するわけにはいかないじゃないか。デザートは、ごく大人しくチーズ。ペペロンチーノへの熱い想いは、翌日のランチまで持ち越すことにした。

(ガルダ湖の北端には「リモーネ」の街がある。特産のレモンをシルミオーネでも売っている)

 

 今回の旅の序盤は、連日冷たい雨が降りつづいた。2日目の朝には、雷鳴とともに烈風が吹きおこり、湖畔の町は夏の終わりの雨に濡れた。プラタナスの樹々はそろそろ紅葉が始まって、濃い緑の葉の中に薄い茶色が混じっていた。

 

 こうなると滞在2日目、頭の中はもうペペロンチーノ一色である。ひたすらペペロンチーノを貪りたい。「ペペロンチーノ♡」「ペペロンチーノ♡」、まるでウワゴトのように「ペペロンチーノ」と呟くうちに、ふと「ペロロンチーノ」と口が滑って、若き日の苦い思い出さえ蘇るほどであった。

 

 朝10時、雨も止み、雷鳴も遠ざかったところで、湖畔の細道を北の岬を目指して散策に出た。深い葦の原を分け、カモやらカモモドキやら、さまざまな水鳥をからかいながら進むと、湖岸には凝灰岩の層が千畳敷のように、ずっと沖まで広がっている。

 

 その遥か向こうを、大小いろんな船が行きかって、雲間からお日さまが顔を出せば、やっぱりまだ8月だ、たっぷり汗ばむ陽気になった。こうなれば諸君、意地でもペペロンチーノ。ニンニクたっぷりの辛いペペロンチーノに1リットルの大盃ビールを合わせれば、最高のランチになるじゃないか。

(シルミオーネ「Modi」でも、1リットルの大盃ビール飲み干す。とりあえず自分撮りを試みる)

 

 選んだのはシルミオーネの船着場の真ん前、「Modi」という看板を出した何の変哲もないお店である。何の変哲もなくて結構、そもそも飲食店にいちいち「変哲」みたいなケッタイなものを求めていたらキリがない。

 

 ましてや今ワタクシが求めているのは、ペペロンチーノ、最も「変哲」のないスパゲッティ、平凡であればあるほど理想に接近できるお料理だ。ひたすら変哲を避け、できる限り平凡なペペロンチーノにしてほしい。

 

 店の奥の席に落ち着き。1リットルの大盃ビールを注文し、緊張に震える声で「スパゲッティ・ペペロンチーノ」と言ってみた。緊張は当たり前。あの東京モン以来幾星霜、おそらく数万年ぶりに「店で注文するペペロンチーノ」なのである。

 

 ウェイターは、やっぱり40がらみの中年男。しかし諸君、今回こそは東京の中年でも何でもなく、レッキとしたイタリアおじさま、高級保養地シルミオーネのおじさまだ。決してワタクシの注文に苦笑で応じたりはしないだろう。安心して全てを任せられる。

 

「ああ、スパゲッティ・アーリオ・オーリオですね」。本場シルミオーネおじさまは、そう言ってニッコリ陽気に笑ってくれたのである。それみろ諸君、「アーリオ・オーリオ」こそ、イタリアでの正式名称なのだ。サトイモは、数万年ごしで、あの若き日の悔しい苦笑のカタキをとったのだ。

 

 それみろ、それみろ、コイツはあくまで「アーリオ・オーリオ」なのだ。ペロロンチーノでもペペロンチーノでもなくて、意地でも「アーリオ・オーリオ」なのだ。参ったか。「Modi」の奥のサトイモ君は心の中で、そういう意味のわからない激しいガッツポーズをとってみたのである。

 

1E(Cd) Michael McDonaldSWEET FREEDOM

2E(Cd) THE BEST OF JAMES INGRAM

3E(Cd) Peabo BrysonUNCONDITIONAL LOVE

4E(Cd) Four PlayFOUR PLAY

5E(Cd) Deni HinesIMAGINATION

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