Tue 180904 シルミオーネまでの難行苦行(イタリアしみじみ3) 3710回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 180904 シルミオーネまでの難行苦行(イタリアしみじみ3) 3710回

 外国の空港に23時に着くなんてのは、出来ればヤメたほうがいい。空港から先、いったい今晩これからどうすればいいのか、見当もつかない。

 

 昭和のむかしには、人生初めて上京を果たしたヒトビトが

「夜11時過ぎの東京に着くなんて、そんなおっかねえことするもんじゃねな」

「わびしくっていけねえだ」

「わびしいっつうより、とにかくおっかねえだ」

と、上野駅や東京駅のホームで囁きあったものである。

 

 21世紀の日本人にとっても、ミラノのマルペンサ空港に23時に到着するのは、やっぱり「わびしいべさ」「おっかねえべさ」「今晩、どうすべえ?」という世界である。

 

 何しろ、もうミラノ中心部へのバスなんか終わっちゃってる。タクシーの争奪戦も激しくて、なかなか気弱な日本人が参入できる戦いではない。電車はどうだ? マルペンサ空港からミラノ中央駅まで、まだ1時間に1本ぐらいは走っているかもしれない。

 

 しかし諸君、運良く電車に乗れたとしても、それはあくまで「ミラノ中央駅までのこと」である。

「そこから先、どうすべえ」

「ホテルまでどう行ったらいいんだべか?」

「そもそも深夜のミラノ中央駅だなんて、おっかなすぎるべえ」

「とって食われるんじゃねえか?」

「そんなおっかねこと、言いっこなしだべ」

ま、そんな恐怖がつきまとう。


(シルミオーネに到着。優勝カップみたいな1リットルのビアを飲み干す)

 

 もう4年も5年も前の冬のこと、ローマからの列車で深夜のミラノ中央駅に到着したことがある。22時には、駅構内の店舗は全て店じまいしてしまって、「バーで時間をつぶす」「コーヒーで温まる」など、心に描いていた計画は全てダメになっちゃった。

 

 そのまま日付が変わる頃まで、寒風吹きすさぶ駅のベンチで丸まっていた。周囲には、「たったいま別の大陸からここに着きました」という家族連れが3組か4組、やっぱり同じようにベンチで寒風に耐えていた。

 

 あの時はミラノ発0時前の寝台列車に乗って、パリまで6時間を過ごしたのだった。暗い駅のホームで、老いた(おそらく)スリの女が警官数名に捕らえられ、大声で泣きわめいていた。やっぱり諸君、今井君ほどの人生のベテランになっても、深夜のミラノ中央駅なんかに降ろされるのはイヤである。

        (ミラノ中央駅風景)

 

 何でこんな時間帯になっちゃったのかといえば、旅の計画を立てるのが遅すぎたせいである。計画を最終的にまとめあげたのは、7月25日のこと。バカンス真っただ中のイタリアを旅するのに、7月下旬まで計画立案を怠けていたのは、自分自身の責任である。

 

 だから、いつもの羽田発♡深夜便はもうとっくに満員になってしまっていた。深夜1時に羽田を出る便なら、フランクフルトに朝6時着。フランクフルトのラウンジで3時間、ゆっくり朝食をとってから乗り継げば、ヨーロッパ中どこでもお昼前には到着する。

 

 ところか今回は、羽田発が真っ昼間。となると必然的にパリには夕暮れに着き、20時か21時のヒコーキに乗り継げば、ヨーロッパ中どこの都市でも、22時だの23時だの、言語道断にわびしくおっかねー時間帯に到着することになる。

 

 まあ諸君、そこで教訓だ。旅の計画はお早めに。「急に思い立って」みたいなことは、初中級者はまだおヤメになったほうが身のためだ。少なくとも2ヶ月前には計画を立て終えて、満を持して空港に向かうぐらいじゃなきゃいかん。

 

 しかも、こういう時に限ってヒコーキは無慈悲に遅れるのである。パリからミラノに飛ぶ便は、ものの見事に「25分遅れ」。ヒコーキの25分遅れとは、要するに到着は30分以上確実に遅れますということであって、案の定、バゲージを受け取った時には2330分を過ぎていた。

      (デセンツァーノの船着場風景)

 

 しかしそこは旅のベテラン♡今井君だ。ちゃんと打つべき手は打ってある。何とワタクシは、空港内のホテルを予約してあったのだ。シェラトン・ミラノ・エアポート。バーもレストランもみんな営業が終わっているが、1泊するには十分すぎるほど贅沢なお部屋まで、空港からわずか徒歩5分で転がり込めたのである。

 

 午前1時就寝、翌朝は8時起床。おお、模範的じゃないか。11時チェックアウト。カウンターに「ナカムラさん」を名乗る中年男子が1名、「大阪に住んでいたことがある」と嬉しそうに日本語を披露してくれた。「セッシャは」「で、ござる」。忍者マンガのファンなのかもしれない。

 

 ただし、ここからの難行苦行は、ワタクシとして前代未聞のものになった。普段の今井君は歴史に名を残すほどの怠け者であるから、大きな荷物を引きずっての大移動はしない。長距離移動は、とりあえず荷物をホテルに置いてからが原則だ。

 (デセンツァーノからの船が、シルミオーネに接近する)

 

 しかし今回の旅は、やっぱり準備不足だったのである。25kgに近い巨大スーツケースと、いつもの「予想の3倍重い」ドクターズバッグに辟易しながら、マルペンサ空港からガルダ湖畔シルミオーネのホテルまで、延々5時間の移動に苦しむことになった。

 

 まず、ミラノ中央駅まで「マルペンサ・エクスプレス」で1時間の旅。ミラノ中央駅で30分ほど待って、今度はデセンツァーノまで新幹線イタロ、1時間の旅。どちらの電車も荷物置き場のスペースが十分とは言えなくて、とにかくスーツケース君をどうすればいいか、四苦八苦が続くのである。

 

 デセンツァーノの駅からガルダ湖畔の船着き場までは、徒歩15分ほど。道はすべて下り坂だから気楽そうだが、そこはそれ、ヨーロッパ独特の石畳の道が続く。下り坂でも、やっぱりスーツケース君は滅多やたらにダダをこね続ける。

 

 デセンツァーノ港からシルミオーネまで、船旅は15分ほど。諸君、何度も繰り返して大汗をかいて、すでに全身汗まみれであるが、汗まみれの楕円の顔に、湖の風が心地いい。懐かしのシルミオーネ港に到着したのは、すでに午後4時に迫る頃であった。

     (懐かしいシルミオーネの港に到着する)

 

 ここからも、まだ難行苦行は続く。港からホテルまでは、徒歩10分ほど。バカンスの欧米人は、それぞれ片手に松明みたいにデカいソフトクリームを持ち、狭い道路に立ちふさがって、滅多なことで道を譲ろうとしない。

 

 石畳のその道をホテルまで、最後の力を振りしぼるように進む。3歩進んではオジサマが立ちふさがり、5歩進んではオバサマが立ちふさがって、巨大スーツケースを引きずったアジア人を不思議そうに振り返る。

 

 4時半、ほうほうのていでようやくホテルにチェックイン。夜8時すぎまで日が沈まない季節であるから、早速ホテルを出て、港近くに祝杯を上げに出かけた。それが今日1枚目の写真の1リットルのビアである。

 

 何の祝杯かと言うに、もちろん

① 無事にシルミオーネに到着したこと

② 夏の収録を全て見事に完了したこと

③ VIVA♡金足農スーパー旋風

であって、諸君、今井君の頭の中では、いまだにカナノー旋風が衰えを見せていない。

 

1E(Cd) Luther VandrossLUTHER VANDROSS

2E(Cd) David SanbornINSIDE

3E(Cd) David SanbornTIME AGAIN

4E(Cd) David SanbornLOVE SONGS

5E(Cd) David SanbornHIDEAWAY

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