Sun 180902 現代入試の会話文/ミラノに到着(イタリアしみじみ2)3709回
おっと、忘れてた。「現代入試の英語会話文について、ちょっとコメントします」と予告したのを、強烈な金農旋風にビュービュー吹きまくられるうちにすっかり失念、思わず新しい旅行記に突入してしまった。
予告しといて知らんぷりというのでは、さすが厚顔無恥なサトイモ閣下も気が咎めるから、旅の記録がミラノに到着する前に、言わば「機内での思い」とでもいった書き方で、2018年入試の会話文について雑感を記しておきたいと思う。
いやはや、ワタクシはあまりのギャップにひっくり返りそうになるのである。例えば早稲田大学法学部と政経学部の問題を見てみよう。論説文と会話文の難易度のギャップの大きさは、まさに「なんだこりゃ!?」の絶叫に値する。
これを解説したのは、確か金足農が2回戦の大垣日大戦に6−3で勝利したのを見届けた直後である。3回戦の相手がスーパー強豪・横浜高校と決まり、「いやはや快進撃もここまでか」と、大ファンとしてもむしろサバサバ、「せめて粘り強く善戦してくれよ」という気持ちであった。
(パリ、シャルル・ド・ゴール空港・第2ターミナルの風景)
法学部1番、約80行の長文読解問題は、環境に配慮した有機農業を選ぶか、それとも農薬と化学肥料に頼った現行農業を選ぶか、その悩ましい選択について、4人の専門家によるディベートが展開される。おお、農業問題。ここにもすでにカナノー旋風が予告されていた。
1人の専門家が、それぞれ英文で約20行の持論を展開する。有機農業の優位性を強く論ずる者、いやむしろ有機農業こそ環境に悪影響を与えるんじゃないかと論ずる者、有機農業なんてのは幻想にすぎないと切り捨てる者、議論は熱く燃え上がる。
設問の難易度も、その濃厚な密度も、「さすが早稲田!!」と唸りたくなる良問である。このレベルの長文読解問題をもう1問、いやもう2問、遠慮なくズラリと並べたら、早稲田への世の中の評価もさらにグイッと高まっただろう。
同じ早稲田大の政経学部も、相変わらず読解問題のレベルは高い。出典は「Economist」やら「New Scientist」やら、英米の雑誌からのマコトによく吟味した文章である。読解の総量は200行 +α。長さも設問のレベルも文句なし。マスメディアが批判するような「難問奇問」なんか、1問も存在しない。
(シャルル・ド・ゴール空港。第2ターミナルで最大の飲食店がこの「YO! SUSHI」だ)
ところが諸君、その後がいけません。いわゆる「会話文」に至ると、いきなり「これって、ホントに必要なの?」というレベルに変わる。
これからデンバーに留学するという日本の男子が、デンバーに詳しいらしいネイティブ男子に、いきなり声をかける。「デンバーで何をしたらいいですか? スポーツと音楽が好きなんですが」「ああそうですか、でもいま忙しいんで」「電話番号を交換しましょう」「メールを送ります」。会話は15行ほどで終わってしまう。
有機農業に関する複雑なディベート80行を20分足らずで理解し、「Economist」や「New Scientist」 のエッセイをずんずん読み切る力のある受験生に、何でこの程度の会話文問題をやらせなきゃならなかったんだい?「難しい文章がすらすら読めるのに、ちっとも話せない」みたいなマスコミの批判のプレッシャーに、耐えられなかっただけなんじゃないのかい?
同じ早稲田の国際教養学部となると、話はもっと深刻だ。第1問は、書物の物理的形態の変遷を、古代ローマの巻物から中世の手書きの写本、近代ヨーロッパの印刷術まで論じ、e-bookの出現とその将来までを論じたエッセイ。約100行、読みごえのある文章だ。
第2問については、すでにこのブログでも論じた。1973年の私立探偵小説である。せっかく原油流出事故をテーマに選んだのに、「レストランで魚を注文してしまった」「油臭い気がして食べられなかった」というツマラナイ結末。1973年の小説を2018年に出題することに首を傾げつつ、185行の長文を読まされる。
しかし諸君、なおいっそう首を傾げてしまうのは、その後に3問並んでいる会話文だ。首があんまり傾いて、15度、30度、45度、しまいにポキンと折れてしまいかねない。
1問目は、空港カウンターでの会話。「パスポート見せてください」「はいどうぞ」「預ける荷物は?」「これだけです」「わかりました。行き先は?」「シアトルです」「直接行きますか」「シカゴでちょっと外出します」。うーん、これが国際教養学部の会話文として必要なんだろうか。
その「わかりました」のところが空欄になっていて、「ふさわしくないものを選べ」。選択肢は5つ、「わかりました」「OKです」「問題ありません」などの選択肢の中に、「へえ!! ホントなの?」というのがあって、これが正解になる。
2問目は、学生どうしの会話。「試験どうだった?」「まあまあ。オマエのプレゼンはどうだった?」「まあまあかな」。いやはや、これもどうしても出題しなきゃいけなかったの? 3問目も、残念ながら同じレベルの問題が並ぶ。
(欧米人も、回転寿司にもうすっかり慣れっこだ)
難関私立だけの問題なのかと言うに、国公立でも状況は変わらない。名古屋大学は、ワタクシの大好きな大学で、「出題の意図」「模範解答例」「採点基準」などを、HP上で明確に発表し続けている誠実な姿勢について、今井君はいろんな場で何度も賞賛を繰り返してきたつもりである。
2018年、1番と2番の長文読解問題は、どちらもよく練られた良問だ。1番は「コドモの良心や正義感は、何歳ぐらいに生じるのか」。2番は「飛べない鳥の卵はほぼ球形なのに、飛ぶ鳥の卵はなぜ楕円形なのか」。楕円人間 → イマイとしても、マコトに興味深い出題であった。
1番2番ともに、60行。記述式の設問も、選択式の設問も、出題意図が明確な良問が並ぶ。解説していてたいへん爽快な気分になれる。しかしその会話文だけは、別問題である。早稲田と全く同じように、会話文になるといきなり「これって、高校入試の問題?」というレベルになってしまう。
登場するのは、明らかに日本人と思われる男女2名。「ナゴヤなんとか」という地方コミュニティ誌に出ていた記事についての会話が展開される。
テーマは「趣味と仕事を直結させることについて」。スキーが好きだからスキーショップを開こうと考えるケンと、「映画が好きだけれども映画関係の仕事をすることはゴメンだ」というミカだったかユカだったか、名前は忘れてしまったが、たいへん現実的な女子が意見を戦わせる。
うーん、ギャップが大きすぎるのである。練りに練られた長文読解問題に、大学側の良心をギュッと強烈に感じさせられるぶん、会話文への失望感は大きい。それでも立場上、一定の時間をとって解説しなければならないのだが、解説しながら講師として「これって必要なの?」と、やっぱり首を傾げざるを得ない。
(ミラノ・マルペンサ空港到着、23時。バスの形のチケット売り場も、もうとっくに閉まっている)
もちろんこのギャップは20世紀の昔にもあった。1990年代、駿台予備学校に「英文読解D」というテキストがあり、「D」とはもちろんDialogueのDであって、テキストのあまりのカンタンさに、担当講師は「いったい何を解説すればいいの?」と四苦八苦したものである。
しかしその空虚なギャップ感、この数年さらに拡大されて、作成する大学側、解かされる受験生側、解説する講師サイド、みんながみんな困り果てている状況だ。
これって、無駄なんじゃないか。無理して会話文を出題して、「われわれは英会話の能力も試したいのです」というポーズを見せるのは、もう時代遅れなんじゃないか。
「こんなに充実した文章を読めるなら、大学教育を受けるのに十分です」
「中途半端な会話文なんか出題する必要はありません」
大学側は胸を張って、そう言い切ってしまっていいんじゃあるまいか。
以上、ヒコーキの中の雑感ということで、忘れていた会話文への言及は済んだ。パリ経由でミラノに到着、23時。羽田を出たのは正午だったから、時差7時間を足し算して、18時間の長旅であった。いつものことながらヘトヘト、楕円君はほうほうのていで、ホテルに転がり込んだのである。
1E(Cd) Luther Vandross:NEVER LET ME GO
2E(Cd) Luther Vandross:YOUR SECRET LOVE
3E(Cd) Luther Vandross:SONGS
4E(Cd) Luther Vandross:I KNOW
5E(Cd) Luther Vandross:ANY LOVE
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