Fri 180803 ジュクジュク/ミンミン/コモでアマローネ(イタリアすみずみ18)3685回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 180803 ジュクジュク/ミンミン/コモでアマローネ(イタリアすみずみ18)3685回

 

 ワタクシはセミの専門家ではないし、それどころかセミのごく基本的なことさえ知らないけれども、何だか今朝からミンミンゼミの声の方が優勢になった気がする。

 

 昨日までは、アブラゼミの天下だった。ジュクジュク&ジュクジュク、ジュクジュクジュク、スーパー猛暑の強烈な暑さをさらに増幅するような、油のジリジリ煮立つ音が首都圏を席巻していた。

 

 しかし諸君、さすがのスーパー猛暑にも、そろそろ衰えが見え始めた。そりゃ名古屋で40.3℃という大記録を見せつけられれば、「この猛暑はいったいいつまで続くんでしょうね?」の挨拶の方が優勢だろうけれども。昨日も今日も東京では、午後4時と5時にバラバラ夕立がやってきた。

 

 夕立は、びっくりするほどの大粒であって1粒1粒がカンロ飴の大きさである。生温いというか、ぬるま湯というか、天から降り注ぐカンロ飴はなかなかの高温である。しかし例えぬるま湯であっても、焼肉の鉄板よろしく熱せられたアスファルトは、1粒1粒に冷やされてジュージュー湯気を上げるほどである。

 (5月21日、ワタクシはコモ湖畔「ヴィラ・デステ」にいた)

 

 するとその雨の直後に、ミンミンゼミの勢力がアブラゼミ軍団を押しのけて優勢になりだした。ジュクジュクジュクより、ミーンミンミンミンミーンのほうが、ホンの少しだけ涼やかに感じられる。最後の「ミーン」からのフェードアウトに、若干の哀れや虚しさがこもっているからだと思う。

 

 あと4〜5日もすれば、ヒグラシ軍団やらニイニイゼミ軍団やらが参戦、夕暮れにはツクツクボウシどんも単独で鳴き始めて、コオロギ君たちもコロコロコロ、かすかな秋の気配を知らせてくれるに違いない。

 

 いやはや、待ちに待った秋の気配は、甲子園の開幕とともにやってくる。100回大会が終わる頃は、8月22日だったか23日だったか、灼熱の甲子園に赤とんぼが乱舞するはずだ。時の経つのはマコトに速いものである。

(ヴィラ・デステ の一室で。5000回を達成する頃、3たびここに帰ってこようと思う)

 

 時の経つのが速いのは、別に甲子園ばかりではないのである。かく言う今井ブログも、「10年=3652回達成♨」と浮かれ騒いでいたのは、すでに1ヶ月以上前のことになる。

 

「2次会を開始いたします」「6000回を目指します」の宣言からすでに1ヶ月以上が経過。2次会もマコトに快調であって、このまま進めば5000回も6000回もそれほどの困難なしに達成できそうである。

 

 しかし諸君、「快調」とか「会長」というものは、常に「一寸先は闇」という危機にあるのであって、昔から「好事、魔多し」とも言う。8月3日、民放テレビの報道は朝から晩までそろいもそろって「山根会長!!」「山根会長!!」の連呼。いやはや、もう少し何か工夫はないもんですかね?

 

 対する今井ブログは諸君、6月末の「10年達成」騒ぎ以降は、延々と「公開授業」「大盛況」「大成功」の連続。ちょっと京都の祇園祭やスッポンや山椒鍋で異彩を放ったが、その後はもうひたすら河口湖合宿の話題に終始した。来る日も来る日も富士山の写真ばっかり続いた。

 

 読者諸君のほうでも若干の飽きを感じて、「食傷した」という読者も少なくなかったと思う。「これじゃ日大アメフト部や山根会長騒動のテレビと選ぶところがないじゃないか」と言われれば、マコトに心外であるが、いやいやサトイモ閣下もこの辺で基礎基本に立ち返ったほうがいい。

(ヴィラ・デステ にて。5000回を達成する頃、3たびここに帰ってこようと思う)

 

「旅行記はどうなった?」「そうだそうだ、『イタリアすみずみ』の旅、まだ途中だったはずだぞ」と言ふ指摘も、ホンのわずかながら存在する。

 

 確かに諸君、4月の3週間にわたった「フランスすみずみ」の旅から帰国してわずか10日後、5月10日から始まった「イタリアすみずみ」は、ミラノ・パヴィア・ヴェローナ・ジェノヴァ・ラヴェンナ・マッジョーレ湖を周遊し、デセンツァーノからシルミオーネを経てガルダ湖の旅まで書いて、そこで旅行記はスカッと途切れてしまった。

 

 5月21日にコモ湖に到着し、2008年6月のブログの出発点になったチェルノッビオ「ヴィラ・デステ」の庭園で「ついに帰ってきたんだな」と絶叫したところまでは書いた。しかし「イタリアすみずみ」の旅は、その後もまだまだ続いていたのである。

 

 我が旅行記の人気は、名目上は一応すこぶる好調であって、街で声をかけてくれる人々はみんな一様に「特に旅行記が大好きです」「旅行記だけは必ず書き続けてくださいね」とおっしゃるのである。「イタリアすみずみ」も、途中まで書きかけて終わるわけにはいかない。

 (ヴィラ・デステから徒歩10分、チェルノッビオの船着場 )

 

 ただし実際のアクセス数は、外国旅行記になった瞬間に10001500も急落するのである。やっぱり読者の関心は、予備校講師の身辺雑記、役に立つ受験情報、「がんばれよ」「最後まであきらめるな」の類いの激励の数々、そちらの方に向いているようなのだ。

 

 しかし諸君、その類いの話なら、他のブログにナンボでも溢れているはずだ。今井君としてはここからしばらく、アマローネ痛飲の日々の話、雨に濡れるベラッジョの話、コモ駅での右往左往の話、フランクフルトでの思いがけぬ一夜の話、そういう詳細を綴って、旅行記を完結させたいのである。

 

 5月21日、半月に及ぶ旅もすでに最終盤に入っていたが、とにかく旅の第一目標であった懐かしのヴィラ・デステにチェックイン。懐かしの庭園を眺め、「帰ってきた」と叫び、チェルノッビオの船着場から船に乗って10分、これまた懐かしのコモの町を散策した。

 

 湖畔を一望の下に見渡す丘から、ケーブルカーで降りてきたのが午後4時。いやはや、腹も減った。そろそろ団体ツアーの人々が姿を消して、湖畔の店が閑散とし始める時間帯であった。

(巨大チーズが6切れ。マコトに「いやはや」なチーズ盛合わせ)

 

 目ぼしいお店はとっくにランチ営業を終えて、ディナーの時間帯に向けて一休み。なかなか営業中の店の見つからない状況だったが、そこはそれ、すっかり旅慣れた今井君だ、店のダンナと目が合って、オジサマどうし頷きあえば、テーブルの1つぐらいはすぐにあけてもらえる。

 

 この夕暮れのコモの町でも、さっそく1人の怪しいダンナが、ワタクシの方を眺めてニッカ&ニンマリほほえんだ。「こっちだこっちだ」「遠慮すんな」「ほれこのテーブルだ」「座れ&座れ」というわけである。

 

 しかし諸君、この愛想の良さには要注意だ。目が合ってすぐにニッカ&ニンマリ、マコトに愛想がいいけれども、このいきなりのニッカ&ニンマリは、長続きしないことが多い。最初のニッカ&ニンマリが極大値ないし最大値であって、あとは限りなく冷ややかに下降線、ほぼ放置されることが多い。

 

 これはあくまでも経験値であるが、ついこの間も「フランスすみずみ」アルビの町で、同様のオジサマのニッカ&ニンマリを避けて通ったことがある。あの時の選択も大成功だった。モロッコの大西洋岸エッサウィラの町でも、やっぱり最初は愛想の悪そうな店のほうが、最終的には最高の店だったりする。

 

 この日も、あえてオジサマのニッカ&ニンマリを回避。そのお隣の愛想の悪そうなお店を選んだ。すぐに2階のバルコニーに通してもらえて、美しいコモ湖の夕陽を眺めながら2時間、最高のメシを楽しむことができた。

      (衝撃的なアマローネとの出会い)

 

 そして諸君、その後の数日を支配することになる超濃厚ワイン♡アマローネとの出会いも、この店でのことだった。びっくりするぐらい大っきなチーズの盛り合わせに辟易しながらも、ヴェネト州ご自慢のアマローネの濃厚さに、もう言葉も出なかった。

 

 AMARONEはかつて、王侯&貴族しか口に出来なかったと言われるスーパー贅沢な稀少ワイン。ヴェネト州はヴェローナやラヴェンナの周辺で、限定された生産者がごく少量だけ生産する。

 

「アマローネ」とは、「苦み」のこと。陰干しした甘味濃密なブドウを発酵させ、例えばカカオ70%のブラックチョコレートを思わせるどっしり濃厚な味わいを作り出す。

 

 うぉ、こりゃ旨い。王様でも公爵でも伯爵でも、これなら誰も文句を言ったりしないだろう。少なくとも今井サトイモ男爵は、「もう当分の間アマローネしか飲まないぞ」という勢い。実際このあとのイタリアは、来る日も来る日もアマローネの日々になったのである。

 

1E(Cd) Elgar & LondonELGARSYMPHONY No.2

2E(Cd) Barbirolli & HalléTHE DREAM OF GERONTIUS 1/2

3E(Cd) Barbirolli & HalléTHE DREAM OF GERONTIUS 2/2

4E(Cd) Ashkenazy & PhilharmoniaSIBERIUSSYMPHONIES 1/4

5E(Cd) Ashkenazy & PhilharmoniaSIBERIUSSYMPHONIES 2/4

total m15 y1386  dd23856