Thu 180719  生田悦子、浜田知明、死去/それでも祇園祭宵山へ/再びスッポン 3671回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 180719  生田悦子、浜田知明、死去/それでも祇園祭宵山へ/再びスッポン 3671回

 これを書いている時点で、7月19日木曜日、午後11時である。ついさっき新宿での公開授業が無事に終了、6月6日の兵庫県加古川から始まった長い長い夏シリーズが終わった。

 

 今年の夏シリーズは、4月の「フランスすみずみ」と5月の「イタリアすみずみ」、立て続けに長い外国旅行を2つこなし、その直後から始まったのである。

 

 真っ盛りの6月26日には、「ブログ10年、3652回達成」というマコトにプライベートなお祭りもあって、さすがに終盤は若干のグロッキー状態になった。それでも何とか2018年の夏シリーズは今日で締めくくり。自ら拍手喝采して、明後日からの河口湖合宿10日間に備えたい。

      (月鉾の勇姿。祇園祭宵山にて)

 

 京都に2泊して祇園祭を満喫するうちに、懐かしい昭和の人々の訃報が相次いだ。俳優・加藤剛の死去について書いたのはついこの間だったのに、女優・生田悦子、版画家・浜田知明、演出家・浅利慶太、俳優・常田富士男、あまりにも訃報が連続する。ご冥福をお祈りするばかりである(敬称は略と致します)。

 

 生田悦子について、テレビと新聞の報道は「欽ちゃんのドンといってみよう」でのタレント活動にしぼられていたようだが、ワタクシとしては、彼女の女優としての大活躍について、どうしても書いておきたい。

       (蟷螂山の勇姿。祇園祭宵山にて)

 

 とりあえず思いつくのは、1969年の松竹映画「栄光の黒豹」である。脚本:石森史郎。目黒祐樹と森田健作が主演のサッカー映画であって、前年のメキシコオリンピックで日本サッカーが銅メダルを獲得、サッカー人気が沸騰したことを受けたストーリー展開であった。

 

 舞台は、新潟県長岡にあるという設定の「信越大学」。目黒祐樹が演じるユージは、練習一本やりのマジメな選手。ライバルのゴローは、高校時代から花形プレーヤーで、女子学生のアイドル的存在である。ゴローを森田健作、ユージを目黒祐樹が演じた。ライバル「甲信大学」との試合が迫っていた。おお、たいへん甲信越な世界である。

 

 ある日ユージは部長に「ドイツに留学する気はないか?」と尋ねられる。「友達以上♡カップル未満」という怪しい間柄の神崎由紀子は、この部長の娘。その由紀子を演じたのが、生田悦子である。

       (放下鉾の勇姿。祇園祭宵山にて)

 

 なぜか「クラブ銀座」という名の店でデートするユージと由紀子。クラブの舞台では、当時まさに絶頂を迎えていた弘田三枝子自身が、クラブ歌手という設定で名曲「人形の家」(作詞:なかにし礼)を熱唱している。

 

「顔も見たくないほど あなたに嫌われるなんて」

「とても信じられない 愛が消えた今も」

「愛されて、捨てられて、忘れられた部屋の片隅」

「私うぁー ハナタに ヒノチを 預けた」

クラブの薄暗闇でそういう悲しい熱唱に聴きほれながら、由紀子はユージに寂しそうな目を向ける。

 

「ドイツに留学したら、3年は戻って来られないでしょ」

「都合によったらもっと長くなるかもしれない」

それを聞いて、ギュッと眉毛の今井君より太い2枚目ユージは、

「感激だなあ、僕のこと、そんなふうに考えててくれるなんて」

と、たいへん嬉しそうに微笑むのである。

 

 ステージでは、「人形の家」の熱唱が続いている。由紀子がグッと飲み物を飲み干すと、ユージは「何か、飲む?」と優しく尋ねる。「ううん、もういい」の返答に頷いたユージは、いきなり「踊ろうか?」。2人は何の躊躇もなしにダンスフロアに下りる。

 

「やっぱりダンスだけはユージさんのほうがお上手ね♡」「僕だって幸せだよ、サイコーにゴキゲンさ」。いやはや諸君、昭和の若者は、カップル未満の状態で、こんな楽しみ方をしていたらしい。ユージの首に腕を回して、寂しげな表情の由紀子。それがワタクシにとっての女優・生田悦子なのである。

 

 興味のある方は「弘田三枝子 生田悦子 人形の家」で検索。早速YouTubeが開いて「クラブ銀座」の文字が出てくるから、ユージと由紀子の悲しいシーンを、その目で目撃してくれたまえ。

       (函谷鉾の勇姿。祇園祭宵山にて)

 

 浅利慶太については、テレビも新聞もこぞって特集するだろうから、一般人イマイは発言を遠慮しておく。そのぶん、版画家&彫刻家の浜田知明について、一言だけ書いておきたい。

 

 ワタクシが浜田知明の死去を知ったのは、京都から東京に帰る新幹線の中である。この猛暑の中、なぜか冷房を弱めて走る新幹線のグリーン車で、居眠りしていた今井君は汗まみれになって目が覚めた。岐阜羽島をすぎて、名古屋に到着する直前だった。

 

 座っていたのは、8号車の9D。団体ツアーのジーチャン&バーチャンが車内を占領して、京都からずっと騒然としていたが、その蒸し暑さの中でも居眠りしたんだから、猛暑の祇園祭でワタクシはきっと激しく疲労していたのである。

 

 疲れ切った目に飛び込んできたのは、車両前方ドア上の電光掲示板の文字。「版画家で彫刻家の浜田知明氏、死去」「ちょうど100歳だった」というのである。

 

 まだ大学生のころ、若き今井君は銅版画が大好きだった。アルブレヒト・デューラーの展覧会が上野であって、銅版画を好きになったきっかけはあのデューラー展だったと思う。

 

 駒井哲郎、長谷川潔、浜口陽三。そういう版画家たちの展覧会を熱心に眺めて歩いた。1996年、東京で浜田知明展があった。「浜田知明の全容」、確か今はなき小田急美術館だったと記憶する。

 

 駿台予備校の人気講師だった頃である。オカネもずいぶん稼ぎ始めていて、2000円もするカタログを、躊躇なく購入して帰った。あれからすでに22年が経過している。時の経つのはマコトに速いものである。

    (1996年、浜田知明の展覧会カタログより)

 

 さて祇園祭であるが、7月16日の宵山の日、ワタクシは東山のウェスティンホテルから、二条城前のクラウンプラザホテルに移動し、山椒のたっぷり入った「行者餅」を貪った。

 

 クラウンプラザ、建物は相当な年季が入っていて、「クーラーが効きにくい」その他、設備はさすがに古くさい。しかし従業員の皆さまの応対は素晴らしく、まだ正午過ぎなのに、最上階の広々としたスイートルームに入室させてもらえた。

 

 真夏の二条城を見下ろしながら、ルームサービスで運んできてもらった氷を入れて、冷たいウィスキーを楽しむ。もちろん氷は0円だし、「万が一クーラーの効きが悪かったら」と、扇風機まで運んできてもらえる。うぉ、こんな幸せが、他に考えられるだろうか。

  (3週間ぶりに、すっぽん料理「大市」にやってきた)

 

 このまま怠惰にグースカ寝ちゃうことも十分に考えられるのであるが、「祇園祭を満喫する」という前提で、往復の新幹線代に2泊分の宿泊費も払ったんだ。いろいろ策を弄して、ホテルではポイントを使用し、安く買える新幹線チケットを使って、安上がりな旅をしているわけだが、さすがにこのまま眠り込んだらバチがあたる。

 

 そこで午後3時、38℃を軽く超える京都の猛暑の中、今井君は未練たっぷりに涼しいスイートルームを出て、御池通りから新町通りに入り、三条から四条まで宵山を見物して歩いた。

(すっぽん「大市」の◯鍋。たいへんおいしゅーございました)

 

 この一帯は、午後5時には歩行者天国の大雑踏が始まって、にっちもさっちも行かなくなる。前にも進めず、後へも引けず、夕暮れになってますます厳しくなる暑さの中で、昨年も「熱中症一歩手前」という危ない経験をした。今年はそうなる前に、早め早めの行動を心がけた。

 

 だって諸君、午後5時からは、すっぽんの名店「大市」を予約してあったのだ。「えっ、『すっぽんの大市』って、ホンの3週間前に行ってませんでしたか?」であるが、何を隠そう今井君は、「ブログ10年達成記念日」の前日、間違いなくすっぽんを貪った。

 

「よほど好きなんですね」と呆れてもらって構わない。確かに今井君は、この店のすっぽんがひどく気に入ってしまった。詳細は明日の記事で書くことにするが、宵山の見物もそこそこにタクシーに飛び乗り、下長者町/千本西入ル、「大市」を目指して夢中で突き進んだのである。

   (左:すっぽんのスープ。右:すっぽんの身) 

 

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