Wed 180718 山椒大夫と山椒だよーん/猛暑の京都で「行者餅」を貪る 3670回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180718 山椒大夫と山椒だよーん/猛暑の京都で「行者餅」を貪る 3670回

 森鴎外が名作「山椒大夫」を発表したのは、1915年。医師であり大作家であり、軍人であり翻訳家であり、明治の男子の夢のほとんど全てを1人で実現してきた森鴎外も、すでに53歳になっていた。

 

 若い頃の夢が1つも実現しない今井君としては、まさに羨ましい限りである。いやはや、さすが森鴎外。岩波書店版・全37巻の鴎外全集が書棚にズッシリの今井君は、「文づかい」「うたかたの記」ほどではないにしても、「山椒大夫」ももちろん大好きだ。

 

 当たり前のことであるが、「山椒大夫」と書いて「山椒だゆう」と発音する。一方7月16日朝の今井君は「山椒だよ」「山椒だよう」「山椒だよーん」のテイタラクである。

 

 前日の山椒食べ過ぎがたたって、吐く息も山椒くさく、汗にも山椒のニオイが染み込み、サトイモの肉体全体が山椒でピリピリ、猛暑の朝に目覚めても、気分はどこまでも「山椒だよーん」と、鏡の中に呆然と我が楕円の顔を見つめるばかりなのであった。

(7月16日朝のNHKテレビ。祇園祭宵山の京都は38℃の予想だ)

 

 このテイタラクも、言わば「身から出たサビ」であり「身から出た山椒」であって、ランチのうな重に山椒を山盛り、ディナーの鍋に山椒を山ほど投入、その出汁によく絡む中華麺をズルズルすすり込めば、「山椒だよ、おっかさん」「山椒だよ、全員集合」という結果は目に見えていた。

 

 もちろん元々は島倉千代子ねえさんの「東京だヨ、おっかさん」であり、ザ・ドリフターズの「8時だヨ、全員集合」である。しかしむかしむかしの今井ひろし君は、マコトに神経質なコドモ。「だヨ」の「ヨ」が正式にはカタカナであるこの2つが大キライで、実は1回も目撃したことがない。

 

 しかも諸君、「だヨ」の「ヨ」の字は、「ヨ」じゃなくて「ョ」、小さい「ゃゅょ」「ャュョ」の「ョ」であるらしいのだ。うーん、許せなかった。

 

 どうして許せなかったのか、今ではもう分からないが、「イヤなものはイヤ」と素直に言えるのがコドモの特権であって、素直な今井君は「イヤだ」「キライだ」「見たくない」と言い張った。

(ホテルの部屋に配られた京都新聞も「京で38.7度」を伝えていた)

 

 するとまもなく、「今井君はガリ勉だ」という評判が立った。島倉千代子の方は余り問題にならなかったが、「8時だョ」を見ていないコドモなんてのは、「来る日も来る日も勉強しかしてない困った子」と判断される。

 

 おやおや、わざわざ他のクラスの男子が今井君を呼びにきて「うらなり」「やーい、うらなり」と囃し立てて帰ったりする。なぜ「うらなり」かと言うと、「8時だョ」も見ないで勉強ばかりしているからだ、そういう結論になるらしかった。

 

「だヨ」という文字列や「小さいャュョ」がキライなんだとか、そんな不可思議な説明の通じる年齢ではないから。幼いワタクシはその辺の屈辱に耐えて成長したのである。

    (京都新聞は、熱心な祇園祭仕様であった)

 

 ところで諸君、いまワタクシはいったい何を論じているんだろう。元を正せば「山椒だよ」であり「山椒だョ、おっかさん」「山椒だョ、全員集合」であり「山椒だよーん」であって、実は森鴎外の話から、格調高く本日のブログ記事をしたためようと考えていたのだ。

 

「山椒大夫」「阿部一族」「高瀬舟」。昭和な少年少女文学全集では、この3編は必須アイテムであって、小学校の図書室にはいろんなバージョンが用意されていた。

 

 言わずと知れた「安寿と厨子王」の姉弟の悲劇の物語である。母とともに旅の途中、人買いにダマされ、母と離れ離れに売られていく。姉と弟が奴隷として売られた先が丹波の国の長者・山椒大夫であった。

  (キリンの缶ビールも、やっぱり祇園祭仕様である)

 

 山椒は当て字で、元は「三庄大夫」ともいう。3つも庄を束ねていたんじゃ、そりゃナンボでもあくどいことをやっただろう。奴隷として長い辛酸を味わった後、ついに姉は弟を脱出させ、そのために凄惨な拷問を受けて落命する。

 

 しかし脱出に成功した弟は、藤原摂関家の庇護のもとに出世を果たし、やがて山椒大夫が横暴を続けていた丹後国の国司となり、山椒大夫への復讐を開始する。

 

 山椒どんは、やむなく奴隷を解放、賃金労働制に移行する。厨子王どんは「母上は佐渡にいますよ」という知らせを受けて佐渡に急行、今はお目目も見えなくなってしまった母の姿を見いだすのである。

 

 諸君、森鴎外の冒頭の筆致がワタクシは大好きなのである。

「越後の春日を経て今津へ出る道を、珍しい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をこえたばかりの女で、二人の子供を連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞二人を、『もうじきにお宿にお着きなさいます』と言って励まして歩かせようとする」

 

「二人の中で、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠やら杖やら、かいがいしい出立ちをしているのが、誰の目にも珍しく、また気の毒に感ぜられるのである」

(猛暑の中、クラウンプラザホテルに移動。ホテル8階の部屋から、二条城が目の前だ)

 

 うげげ、カッコいい書き出しじゃないか。さすが鴎外、今井君みたいに、高い調子で書き出しておいて、いきなり「山椒だョ」だの「山椒だよーん」だの、そういう情けない方向性には絶対に誘われない。

 

 この作品について、鴎外は「歴史其儘と歴史離れ」と言ふ随筆を書いている。「歴史其儘」と書いて「歴史そのまま」と読む。伝説や歴史を元にストーリーを作るとき、彼は「其儘」をむしろ排するのであって、伝説の辻褄が合わないところ、史実でも嗜好に合わないところには、小説として脚色を加えていく。

 

「山椒だよーん」においては、いや間違えた「山椒大夫」においては、安寿への激しい拷問のシーン、山椒大夫の処刑のシーン、伝説にあるその種の残酷な場面を、鴎外はあえて切り捨てるのである。素晴らしい。全く素晴らしい。

(1年に一度、祇園祭宵山の日にしか発売しない「行者餅」。これもたっぷり山椒入りだ) 

 

 さて諸君、山椒大夫の話はこのぐらいにして、山椒をテーマにした今回の京の旅は、次の山椒物語に突入していく。京都東山「柏屋光貞」の「行者餅」、今日の写真の6枚目と7枚目であるが、これもまた山椒の物語なのである。

 

 京都独特のガンコなお餅であって、1年にたった1日、祇園祭の宵山の日、つまり716日にしか製造も販売もしない。箱にもノボリにも

「常は出来ませぬ 1日限り」

「7月16日 宵山限り 発売仕つる」

と断り書きがしてある。

    (行者餅。たいへんおいしゅーございました)

 

 だから、もしも行者餅を買って食べようとすれば、たとえ京都の人でも716日しかチャンスはない。近年になって24日の祇園祭・後祭が復活、その宵山が723日だから、チャンスはもう1日増えたが、毎年長蛇の列ができて、1時間近く並ばなきゃ手に入らないんだそうだ。

 

 遥かな文化文政年間、京都の街に疫病が流行して大パニックになった。それでも祇園祭は行われたと言うのだが、その時「柏屋」の主人が修験の山で夢を見て、「こういう餅を作って神に供えれば疫病を免れる」というお告げを受ける。

 

 そこで早速、夢に見たレシピ通りにお餅を作り、祇園山鉾の1つ「役行者山」にお供えした。友人知人や縁者にもこの餅を配ったところ、餅に関係した者ばかりが無病息災を得た。おお、こりゃすげー。そのまま1年に1度、宵山の日にだけ、このお餅を「発売つかまつる」と言ふことになったんだとさ。

 

 写真でご覧のとおり、小麦の薄皮で四角く包んだお餅の中身は白味噌のあん。甘いあんに濃いめの塩味が混じり、長い長い歴史と伝統を感じる。しかもそのあんに、たっぷりと山椒が混じっている。「山椒だョ、おっかさん」「山椒だョ、全員集合」。まだまだ山椒の旅は終わらないのである。

 

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