Mon 180716 遊と園の衰退/向ヶ丘遊園の大盛況/若者は重厚を求めている 3668回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 180716 遊と園の衰退/向ヶ丘遊園の大盛況/若者は重厚を求めている 3668回

 全国の諸君、いちおう「新百合ヶ丘」は、小田急線のターミナル駅になっていて、急行ばかりか快速急行も停車する。本家の「百合ヶ丘」は普通電車にしか止まってもらえないのに、新入りのはずの「新・百合ヶ丘」は目いっぱい優遇されて、小田急線内のスターの一角を占めている。

 

 今井君としては、ホントはこういうのは気に入らないのだ。本家の室蘭を差しおいて「東室蘭」、元祖の能代を差しおいて「東能代」、そういうのはよくないんじゃないか、礼儀と礼節と仁義を忘れているんじゃないか。思わず頭を傾げてしまうのだ。

 

 やっぱり新入りには新入りの取るべき態度と言ふべきものがあって、横浜に対する新横浜や、大阪に対する新大阪は、今井の厳しい観察眼からしても、なかなか微妙なラインで礼節と仁義を守っているように見える。

    (向ヶ丘遊園、濃厚な湯気のあがる大盛況 1) 

 

 もちろん、新入りだろうと何だろうと、公開授業が大成功なのは素晴らしことであって、大阪京橋での大盛況に続き、新百合ヶ丘もまた400名に迫る活況を呈したことは、大ベテラン今井としても、「ええじゃないか♡」「ええじゃないか♡」、おかげまいり気分で朝まで踊りあかしそうな気分である。

 

 350名超えを連発した翌日の今井君は、7月14日、「新網走番外地」の高倉健でも茹だって煮えてしまいそうなサウナ並みの猛暑の1日であったが、夕暮れからちょっとションボリ、「向ヶ丘遊園」と言ふ小さな小さな街を目指した。

 

 新百合ヶ丘と同じ川崎市の街である。小田急線の急行は停車するが、快速急行は無視して高速で走り抜ける。世田谷区を抜け、多摩川をわたり、南武線との乗り換え駅「登戸」を過ぎると、たった1分で向ヶ丘遊園だ。

 

「遊園」とは、「遊園地」の短縮形ないし省略形である。今はとっくに廃止されて、「遊園」の名前が残るのは小田急線の駅だけである。東急東横線にも、そっくりの運命を辿った駅があって、むかしは「多摩川園」だったのに、いつの間にか「多摩川」に変貌、「園」の文字は雲散霧消した。

 

 多摩川園は、1925年に開園、1979年に閉園。もともとは「温泉遊園地 多摩川園」であって、お化け屋敷にメリーゴーランド、飛行塔に展望塔、観覧車にジェットコースター、野球のボールのバズーカ砲、花火大会や菊人形展も有名だった。

 

 一方の向ヶ丘遊園は、1927年に開園、2002年に閉園。うぉ、開園も閉園の経緯も、小田急 vs 東急の不動産開発合戦と同時並行し、高度成長の不動産バブルとともに最盛期を迎え、バブル崩壊と少子化が「遊」や「園」という余裕たっぷりの文字を、東京郊外から消滅させてしまったのである。

 

 多摩川をはさんで斜向かいに対峙した東急系と小田急系の2つの「遊」と「園」、大恐慌の前に始まり、バブルとともに消えていった余裕の遊と園。この視点、日本の近現代史を大局的に把握するのに、それなりに効果的なんじゃないか。

 

 日本史は第2次世界大戦を境目にして、大きく2つに断ち切られているように見えるが、第1次世界大戦の終結から、バブル崩壊と遊びの園の終焉まで、太平洋戦争を真ん中にはさんで歴史書を書く人がいれば、読み応えのある新書ぐらいはあっという間に出来あがりそうな気がする。

(向ヶ丘遊園でケーキをいただく。おいしゅーございました)

 

 猛暑の夕暮れの今井君の「しょんぼり」は、以上のような記憶や思索を経た結果なのである。言うまでもなくワタクシは大阪京橋と新百合ヶ丘の連続350名超えが嬉しくてたまらない。しかし諸君、向ヶ丘遊園という地名も、多摩川園と同様に風前の灯なのだ。

 

 もともとここは「向ヶ丘村」であり、正式には「むかいがおか」と発音した。駅の看板からも多摩川園の「園」が消え、やがて「遊園」も消滅して、車内のアナウンスも「次はムカイガオカに停車いたします」に変わっちゃう。その日は遠くないような気がするのである。

 

 18時半、向ヶ丘遊園に到着。駅の周辺はまさに塾ラッシュであって、ほぼ「塾とチェーンの飲み屋しかない」という典型的な首都圏郊外の風景。今井が向ヶ丘遊園校で公開授業を始めてからすでに13年、駅周辺の風景は「遊」から「学」へ、ガラリと雰囲気が変わってしまった。

 

 しかもその「学」が、どうもチャラチャラしているのである。学なら学でちっとも構わない。学は遊をはるかに超えるエキサイティングな動詞であって、もし遊や園がホンモノの学にとって代わられたというなら、今井君のションボリも、大したションボリではなかったはずである。

    (向ヶ丘遊園、濃厚な湯気のあがる大盛況 2) 

 

 しかし諸君、いま夕暮れ迫る向ヶ丘遊園の駅前に立ってみると、遊にとって代わったはずの21世紀の学は、はなはだチャラチャラした軽佻浮薄な学である。

 

 英語の文章をギュッと集中して読む力なんか、もうどうでもいい。外国人とペチャクチャ、雑談を交わす能力ばかりを「役に立つ」と評価する。論文なんか読めなくても書けなくていい。文学作品なんかもっとどうでもいい。

 

 とりあえずペチャクチャ、中身も必要性もゼロなのに、とにかくペチャクチャ。その程度の能力をコミュニケーション力と勘違いさせるような塾やら何やらが、駅前をカンペキに占領してしまっている。遊や園とともに、実は本来の「学」も街から駆逐されてしまったようである。

 

 しかしこんな寂しい状況だからこそ、今井君までがションボリしていてはならない。ワタクシは、もちろん酒も大好きだが、遊も園も学も好き。チャラチャラやペチャクチャはむしろ嫌悪の対象であって、高校生にはひたすらホンモノのコミュニケーションを求めて努力してほしい。

(7月15日、東京丸の内で早めの土用のうなぎをいただく。おいしゅーございました。詳細は、明日 1)

 

 そのためには諸君、ひたすら基礎&基礎&基礎の訓練を継続すべきである。読んで読んで読みまくり、書いて書いて書きまくることである。たくさん読まなきゃ、たくさん書かなきゃ、軽佻浮薄にいくらペチャクチャやったって、コミュニケーションそのものを軽佻浮薄にするばかりである。

 

 向ヶ丘遊園の小さな校舎に集結した高校生は、105名ほど。350名2連発の後で105名では、数字の上ではいかにも厳しいが、しかし何しろ諸君、ムカイガオカ村のこじんまりとした雑居ビルでの開催だ。

 

「ホントに100名来ちゃったら、パンクしちゃいます」。スタッフの言葉どおり、チャンとパンクしてしまった。「机がない」ばかりではない。前のイスと後ろのイスの間の間隔が狭すぎて、イスに膝がつかえる。隣どうしの間隔も狭すぎて、肩がぶつかり、肘がぶつかり、おしくらまんじゅうみたいな100分が続く。

 

 どんなに世の中が軽佻浮薄に流れても、せめて我々だけはホンモノのコミュニケーションを追求して、重厚長大な基礎基礎基礎の分厚い地層を積み上げていきたい。こんなブログでも、3670回を積み上げれば、21世紀初頭の10年について、ギュッと本格的な記録になるじゃないか。

(7月15日、東京丸の内で早めの土用のうなぎをいただく。おいしゅーございました。詳細は、明日 2)

 

 汗みどろになりつつ語りまくったのは、そのことである。センター6番とか、早稲田大政経学部の長文問題とか、その程度で「長文問題」と呼ぶ受験の世界、愚かすぎないか。

 

 センター6番はたった50行(文庫本3ページ分)。早稲田の「超長文」だってホンの80行(文庫本5ページ分)。それを20分で読めばいいんだから、1分4行、1行15秒のスピードだ。そんなところに「速読」などというコトバを導入して、「半分わかればいい」なんてのは、愚かすぎないか。

 

 半分青いのはいいとして、たった50行の文章の半分しか分からないんじゃ、学の楽しみを理解することはできない。今井君が熱く真っ赤なドロドロの鉄みたいになって、それどころか白熱した鉄のしぶきを激しく撒き散らしながら激しく語るのは、そういうストーリーなのである。

 

 集結した105名の反応は、たいへん頼もしい。こんなにマジメなオジサマの激論に、ほぼ全員が熱い笑顔で頷きつづけてくれる。マスメディアのご意見は「ペチャクチャ礼賛」のようだが、若い人々が必死に訴えているナマの声は、「マジメにチャンと勉強したい」「キチンと基礎を徹底させたい」が圧倒的のようである。

 

1E(Cd) Jan GarbarekIN PRAISE OF DREAMS

2E(Cd) Lee RitenourWES BOUND

3E(Cd) Michael DavisMIDNIGHT CROSSING

4E(Cd) Sheila E. & The E-TrainHEAVEN

5E(Cd) Tower of PowerURBAN RENEWAL

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