Wed 180711 サラダ記念日に神奈川県橋本へ/伊勢湾が泥の色/西宮の大盛況 3664回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180711 サラダ記念日に神奈川県橋本へ/伊勢湾が泥の色/西宮の大盛況 3664回

 7月6日は、昭和の終わりから「サラダ記念日」と決まっていて、「この味がいいねと君が言ったから」、7月6日は俵万智どんが制定したサラダ記念日なのである。万智どんのデビュー歌集が大ヒットしたのは1987年。昭和が終わる1年半前のことであった。

 

 同じ歌集にもう1つ人気の歌があって、「万智ちゃんを 先生と呼ぶ子らがいて 神奈川県立橋本高校」。当時の俵万智ちゃんは25歳前後かと思われるが、県立高校の国語のセンセ。「子ら」と表現された生徒諸君は、あれから30年、今頃はアラフィフのオジサマ&オバサマ連に成長している。

 

 ワタクシ自身の1987年は、まさに人生のどん底時代であって、もがいても&もがいても、明るい陽光は近づいてこなかった。

 

「どうやらここからしばらくは、どん底のまま人生を進行させるしかないな」

「どん底で、あと20年か30年、耐え続けるしかないな」

という思いに駆られていた時代である。

    (神奈川県橋本の街は、京王線の終点である)

 

 もっとも、どういうどん底状態が悲しかったとか、苦しかったとか、惨めだったとか、そういう思いもないのである。今思えば、むしろあの頃は内心では栄光の時代であって、日常が最も充実していたのも、実は1980年代後半だったかもしれない。

 

 何しろ日本はバブルの真っただ中だった。そうなれば「バブルに加わらない栄光」「バブルと無関係でいるプライド」なんてのもある。要するにヤセ我慢にすぎないが、諸君、ヤセ我慢ほど人のプライドを刺激するものが、他に考えられるだろうか。

 

 あれから幾星霜、7月6日♡サラダ記念日の今井君は、朝のうちに茨城県水戸から帰ってきて、夕暮れから京王線で橋本に向かった。「万智ちゃんを先生と呼ぶ子ら」がむかしむかし存在した、神奈川県立橋本高校の地元である。

(神奈川県橋本の大盛況。「子ら」の子供も混じっていただろう)

 

 こんな偶然を、もしかしたら誰かが演出してくれたのだろうか。4月の末、ルルドにポーにアルビを回る「フランスすみずみ」の旅の途上で、2018年の夏スケジュールがメールで送られてきた。7月6日のサラダ記念日は「神奈川県上溝」となっていた。

 

「上溝」とはいったいどこぞや?「うえみぞ?」「かみみぞ?」。読み方さえ分からない。まさか「かみこう」「うえこう」ということはないだろうが、トゥールーズのホテルの一室で、「上溝」とはどこなのか、一応ググってみることにした。

 

 すると諸君、上溝は「かみみぞ」で、JR相模線の駅がある。おお、相模線か。相模線もまた今井の初体験。湘南の茅ヶ崎から、相模川に沿って八王子方向に北上、海老名や厚木の町を通って橋本に至る。関東平野西端のローカル線である。

 (兵庫県西宮の大盛況。大雨の影響はここにはなかった)

 

 むかしむかしユーミンこと松任谷由実どんが、「相模線の雰囲気が大好き」と熱く語っていた。まだ気動車が走っていた頃の相模線であって、名作「天気雨」の歌詞には、間違いなくこの相模線が登場する。まだ「荒井由実」だった時代の名曲である。

 

「低い雲間に天気雨 みるみる曇る水平線」

「夏の初めの通り雨 ついてないのは誰のせい」

「相模線に揺られてきた 茅ヶ崎までの間、あなただけを想っていた」

とある。

 

 となると諸君、7月6日のサラダ記念日、今井君はあまりに懐かしい昭和な女子の世界を闊歩することになるじゃないか。この日の東京は天気雨とは全く違う梅雨の末期の雨。野菜は大キライだから、ワタクシには「この味がいいね」も「サラダ記念日」も何もあり得ないが、相模線には是非とも乗ってみたい。

 

 上溝は「かみみぞ」と発音することが判明。上溝とセットで下溝(しもみぞ)の駅も存在する。さすが相模川沿いであって、昔はいろんな溝が絡まり合っていたに違いない。リニア中央新幹線の駅が作られることも決まっているあたりで、雨の中おおぜいの乗降客で賑わっていた。

 

 ただし諸君、この日の公開授業会場は、京王線橋本駅から濡れずに歩いていける建物の中。相模線を初体験することは出来なかった。ま、いいじゃないか。いつか近い将来、湘南でお仕事があった時にでも、橋本から茅ヶ崎までのんびり南下してみるのも悪くない。

(西宮の大熱演の後、梅田駅前「Buzz」で懇親会。ブログ10年達成のお祝いもしていただいた。感謝&感謝である)

 

 きっと誰も気づいていないのだ。サラダ記念日の7月6日、万智ちゃんを先生と呼んでいた子らがアラフィフに成長した橋本で、偶然にもお仕事に励む。ワタクシも自らの長い歴史を噛みしめながら、出席者120名の公開授業を満喫したのである。

 

 翌7月7日は、前夜の雨もすっかり止んで、東京の蒸し暑さは言語道断なレベルである。西日本の豪雨のニュースに心を痛めつつ、ワタクシは羽田空港に向かった。夕暮れから兵庫県西宮で公開授業があった。

 

 広島・岡山の両県をはじめ、九州北部でも四国全域でも、たいへんな被害があった。この日の今井が仕事をする兵庫県も、京都から滋賀や岐阜にかけても、被災地の惨状はすでに凄まじいものがあった。

 

 飛行機が伊勢湾を横切ると、眼下の海は泥の色に染まっていた。岐阜の長良川流域にも特別警報が出ていたはずだから、伊勢湾を取り巻くたくさんの河川から、真っ赤な泥が海に流れ込んだのである。ここまでの長い人生で、こんな泥色に染まった海を見たのは今回が初めてだ。

(梅田「Buzz」にて。マコトにおいしゅーございました 1)

 

 昨日は京王線の電車の中で「今井先生ですか?」と弁護士志望の男子に挨拶されたが、今日は伊丹空港で「外資系の製薬会社に勤めています」という男子2人組と写真に収まった。

 

 大阪は、昨日までの豪雨が信じがたいほどの青空。バスで梅田に向かい、大汗をかきながらホテルに移動。18時までゆっくり涼みながらブログを1本アップした。いやはや、いきなり梅雨が明けて、大阪の気温は一気に35℃まで上昇したらしい。

 

 夕暮れ18時、梅田から阪急電車で西宮へ。ぬぐっても&ぬぐっても流れる汗を止められない暑さが、日が暮れてもまだ続いている。今日のお仕事は、塾と予備校だらけの西宮北口駅前。古巣のSN台も大きな校舎を構えているし、大小さまざま、塾以外の看板はほとんど見当たらない。

(梅田「Buzz」にて。マコトにおいしゅーございました 2)

 

 出席者は、約200名。昨日のこの時間帯まで、この地域にも大雨特別警報が出されていた。学校行事もいろいろ延期になって、文化祭に期末テスト、球技大会に実力テスト、本来なら終わっているはずのモロモロが、翌日月曜日に延期されたらしい。

 

 そのぶん、若干の欠席者が出るのは致し方ない。高校生時代の今井君だって、期末テストは一夜漬けが当たり前。こんな日に予備校講師の公開授業なんか、ズル休みしても不思議はない。

 

 しかし諸君、それでも西宮北口、今日の写真の3枚目の通り、広大な会場が満員になってくれた。スタッフの皆さんの大健闘に感謝する。使用したテキストは、6日の橋本、7日の西宮北口、ともに伝説の「B」。これさえ使用すれば、集まってくれた完全外部生を確実にみんな仲間にできる。

 

 ただし、2020年の入試改革を控え、これまでカンペキに盤石だった「B」にも「C」にも若干の変更を加える必要がありそうだ。今の高1生と中3生が公開授業参加者の中心になってくる今年の冬をメドに、新規テキストの作成に入ろうと考えている。

 

1E(Cd) Karajan & BerlinerBACHMATTHÄUS-PASSION 3/3

2E(Cd) SchreierBACHMASS IN B MINOR 1/2

3E(Cd) SchreierBACHMASS IN B MINOR 2/2

4E(Cd) Gergiev & KirovTCHAIKOVSKYSYMPHONY No.6

5E(Cd) Sinopoli & New YorkRESPIGHIFONTANEPINIFESTE DI ROMA

total m55 y1272  dd23742