Thu 180705 「ホンモノの論理的思考」のこと/これでムカつかなきゃ名がすたる 3658回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 180705 「ホンモノの論理的思考」のこと/これでムカつかなきゃ名がすたる 3658回

「ホンモノの思考力を育てる」「論理的思考力を育んでいく」。教育改革のニシキのミハタは、この種の合言葉である。例えば歴史を学ぶにも、記憶優先ではいけない。歴史を材料に論理的思考力を鍛えていく。それが正しい教育のあり方だ。偉いセンセたちは、そう信じていらっしゃるらしい。

 

 マコトに生意気ながら、ワタクシはそうは思わないのである。吹けば飛ぶよな一般人、平凡なイチ予備校講師にすぎないが、何でもかんでも「論理」「思考力」「ホンモノの思考力」にまとめてしまうんじゃ、人間をみんなAI化しちゃうだけじゃないか。

 

 歴史を学ぶのは、むしろ

「物事は、論理の支配を受けない」

「歴史は極めて非論理的、不条理なものである」

と言ふ真理を知ることなんじゃないか。

 

 もっとカンタンに言うなら、

「理屈どおりに物事が進むと思ったら、そうは行かねえぜ」

「理屈で全てが分かると思ったら、オメエ、そりゃ甘いんだよ」

「理屈をコネまわしているうちは、まだ青くせえんだよ」

と思い知ることこそ、歴史を学ぶ醍醐味だと信じるのだ。

 

 むかしむかし中学生の頃、今井君は社会科の先生と長い大バトルを繰り広げた。このブログにも何度も登場なさっている「増淵先生(仮名)」であるが、何事にも「論理だ」「論理だ」「暗記じゃダメだ」と繰り返すタイプのセンセだった。

 

「歴史を学ぶ意味は?」と問いかけては、「同じ間違いを繰り返さないためです」と答えさせる。それ以外の返答は全て間違いと断ずる。先に正解があって、それ以外の選択肢を許さない。幼い今井君は、その姿勢が許せなくて、何度も質問状を書いた。

 

「歴史を学ぶ意味は『人間とは、どんなに深く反省しても、また同じ間違いを繰り返すものだ』と知ることなんじゃないか。諸行無常であり、盛者必滅であることが骨身に染みていても、それでも利権や権力を求め、不道徳な大失敗を繰り返すものだ。それを教えるのが歴史なんじゃないか」

 

 それでも増淵先生(仮名)は、「君たちの論理的思考力を鍛えるのがボクの授業の目標だ」と熱弁し続けた。論理的思考力なら、数学の時間にたっぷり鍛えているはずだし、何なら「論理学」の授業を導入すればいいじゃないか。生意気な中学生の今井君は、いま考えてもなかなか見事な論陣を張った。

 

 しかし諸君、さすがに中学生の思考力には限界があって、「先生の論理には先に結論があって、その結論に導くための言い訳にしか聞こえません」と発言すれば、センセが怒り心頭に発して議論を中止するとまでは思い至らなかった。

(7月1日、新宿で保護者対象・特別講演会。170名の出席があった)

 

 あれから幾星霜、偉いセンセーたちはちっとも変化していない。「論理、論理、論理」のお念仏は「なむあみだ」「なむあみだ」の響きに満ちている。「論理なら極楽浄土、非論理に走れば無間地獄」、どうやらそういうことであるらしい。

 

 しかし今もなおワタクシは、中等教育の歴史の授業では「物事は非論理的にしか進まない」「ナンボ骨身に染みても、人間は同じ間違いを繰り返すものだ」と思い知らせることも考えてほしいと思うのだ。

 

 歴史とは、歴史学者のおっしゃるような因果応報の連続でもないし、経済学者が示す類いの論理的な損得勘定は、そのほとんどが絵空事なのである。非論理・不整合・不条理、その連続こそが歴史なんじゃないのか。

 

 ハムレットが親友ホレーショに説いた通り、「この天と地の間には、哲学の思いも及ばぬことがたくさんあるのだよ」であって、中等教育の段階の生徒諸君に、論理で何でもかんでも理解できるような錯覚を与えるのは、まさに「教育者の側の錯覚」、それ以外の何ものでもない。

 

 週にたった3回か4回の歴史の授業で「論理的思考力を育てる」なんてのは、もう傲慢と呼んでもかまわない。奢る平家の没落、大日本帝国憲法と日本の暴走、それらを材料にいきなり「ホンモノの思考力」などを持ち出しても、教師の側にも生徒の側にも無理が生じるのは、目に見えている。

    (名古屋駅で購入した駅弁・東海道肉づくし)

 

 そういう無理なことばかりやっているから、エリート文部官僚の側にトンデモナイ古典的な汚職が発生する。これもまた論理的思考力の1つだとでも言うのかい? 

 

「私立大学にこのぐらいの圧力をかけ、このぐらいの利得をチラつかせれば、自分の息子のテストの成績に、このぐらいのプラスをお願いできるはずだ」。マコトに論理的な思考力であって、もしもこういう汚職が1つ発覚したら、同じような事象がワラワラ存在し、それもまた発覚寸前であることも、論理的に導き出せる。

 

 幼い頃から今井君は、「ホンモノの思考力」よりも、「熱く豊かな感情」の方が好きだ。大学教育なら、そりゃ論理優先であろうけれども、中学生に高校生、13歳から18歳を対象とした中等教育では、優しく熱い豊かな感情の土壌を、もっともっと豊穣なものに耕し育てることを優先すべきだと信じる。

 

 平家の没落は、論理的に思考するものじゃなくて、宗盛や知盛や敦盛の深い悲嘆と哀愁と諦念を思う材料なんじゃないか。幕末を学ぶのは、坂本龍馬や勝海舟の熱情と行動力に感激し、「オレたちもこんなふうに熱く生きたい」と言ふ憧れを育てるためなんじゃないか。

 

 このままじゃ、「源氏物語も論理的に読め」「枕草子も方丈記も、論理的に読まなきゃダメだ」「モーツァルトも論理的に」「クレーもマティスも、ミロやガウディも、論理的思考力で理解しよう」になっちゃいかねない。新聞雑誌のライターさんも、テレビの放送作家さんも、みんなそういう方向性だ。

(熱くなりすぎた今井君は、フルーツでクールダウンする 1)

 

 英語の授業も同じこと。「4技能」「役に立つ英語」はマコトに素晴らしいことであるが、AIまがいの論理的英語人間ばかりを育てたんじゃ、何だか世の中がスカスカになっちゃう気がする。

 

「英語を学ぶ意味」は、勇ましいベンラベラベラ小僧や前向きな意識高い系の準バイリンガルで日本をいっぱいにすることばかりではない。左手にオースティン、右手にポール・オースター、寝る前にはちょいとディケンズ、そういう重厚な読書人を育てることにもあるんじゃないか。

 

 いやはや、7月1日、名古屋から東京に向かう新幹線の中で、疲労した今井君の頭の中に渦巻いていたのは、以上のような思いなのであった。これもまた昨日の「懇親会ナシ」が影響したのかもしれない。1人きりの寂しい一夜は、「論理より豊穣」を求める方向性にワタクシを導いていた。

 

 そこで諸君、ヒートアップしたココロとアタマをクールダウンするために、熱い今井君は名古屋駅の駅弁を購入した。「ケンカしそうになったら、とにかくメシを食え」。昭和の先輩の指導に従ったわけである。

 

 購入したのが「東海道肉づくし」。本日2枚目の写真に示した通り、東京代表が「焼き鳥」、名古屋代表が「みそかつ」、大阪代表が「すきやき」。なんだこりゃ? 東京が焼き鳥で、大阪がすきやき? いったいどんな論理的思考なんだ?

(熱くなりすぎた今井君は、フルーツでクールダウンする 2)

 

 怒りはさらなる怒りを誘発し、ムカつきはムカつきを増幅する。食えば食うほど「論理的思考」のダンナがキライになっていく。このままじゃ、ヒトビトの優しく熱い気持ちは置き去りになっちゃいそうだ。

 

 論理というニシキのミハタのもとに、「こう圧力をかければ、ムスコのテストの点数がこれだけ上がる」。そんなチンケな発想のチンケな汚職が、省内にきっと蔓延しているのだ。これでムカつかなきゃ、予備校講師の名がすたるじゃないか。

 

 ま、落ち着け&落ち着け。乗り換えた中央線快速電車の中で、自らの頭をクールダウンさせていった。新宿での講演会は、保護者向け。あんまりコーフンしてムカついたままでは、思わぬ失敗をしかねない。

 

 特別講演会は、15時開始、17時終了。出席者170名。保護者だけでこれほどの出席者があると、ステージからの眺めはさすがに壮観である。幸いクールダウンが功を奏して、講演会はマコトに穏やかな雰囲気で進行。頻繁に大爆笑も混じって、今日もまた素晴らしい1日になった。

 

1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 8/9

2E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 9/9

3E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 1/10

4E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 2/10

5E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 3/10

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