Sun 180520 城の崎まで/城の崎にて/豊岡の大盛況/20年前の先生に遭遇 M15 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 180520 城の崎まで/城の崎にて/豊岡の大盛況/20年前の先生に遭遇 M15

 シンガポールではおそらく21世紀最大のイベントのうちの1つが進行中。少なくともマスコミの世界では、つい2ヶ月前まで「史上最悪」として嘲笑の対象だった2人が、笑顔で世界史的な握手をかわし、どうやら核戦争の危機は回避されたようである。

 

「東アジアで少なくとも数百万人が犠牲になる」。昨年の11月ごろには、暗澹たる気分の毎日が続いていた。まさかあの2人が、ワーキングランチでチョコケーキとアイスクリームを味わいながらニコヤカに談笑することになろうとは、半年前に世界中の誰が予想しただろう。

 

 だって諸君、「小さなロケットマン」と言い放ったのは、まだ半年前のことである。小学生男子のケンカだとしたら、おそらく3年はお互いにプンコして、相手の存在さえ認めない。

 

「田中? それって誰?」

「佐藤なんて、そんなヤツこのクラスにいたっけか?」

ま、そういうメンドーな関係が、20歳の同窓会まで続き、42歳の同窓会でもまだプンコしあい、60歳の同窓会でやっとのことで罵り合いを復活させる。そのぐらいメンドーな間柄になるはずだ。

20374 城崎温泉駅

(6月11日、城崎温泉に宿泊した)

 

 だから諸君、やっぱりオリンピックってのは、すげーことじゃないか。スポーツってのは、素晴らしいもんじゃないか。仲直りのすべてのきっかけは、平昌にあったじゃないか。

 

 東京のオリンピックについても、いまだに悪口を言って「もっと他にやることがあるんじゃないでしょうか?」みたいなセリフをはいている人がいるけれども、東京でももっと&もっと、いろんな和平のきっかけができればいいなと、サトイモ君は今日もお目目をキラキラさせるのであった。

20375 駅弁 

(大阪駅で「にぎわい弁当」を購入。3時間の長旅に備える)

 

 もっとも、いくらお目目をキラキラさせても、毎日のお仕事はキチン&キチンとこなしていかなければならない。昨日から今日の今井君は、関西圏を右往左往、梅雨の蒸し暑い雨の中を行ったり来たり、ふとアタマも朦朧としてくるのである。

 

 昨日はお昼まで大阪駅前インターコンチネンタルホテルにいた。お風呂にじっくり浸かって、お昼すぎにチェックアウト。4両編成の特急「こうのとり」で城崎温泉に向かった。夕方から兵庫県豊岡で公開授業があったのである。

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(宝塚と三田の駅を過ぎると、城崎までずっと田園風景が続く)

 

 講演先の豊岡はここから特急で1駅である。宿泊は、西村屋ホテル。城崎温泉で最も由緒正しい高級旅館であって、「せっかくの城崎訪問だ、温泉にゆっくりつかっていくべ」ぐらい、今井君でなくても考える。

 

 城崎といえば、何と言っても志賀直哉の小説「城の崎にて」である。小説の神様と称された志賀直哉どんが、代表作の1つ「城の崎にて」を発表したのは1917年のこと。いまからほぼ100年前であるが、この地域の人々は小・中学生のころに必ずこの小説を読まされるらしい。

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(城崎「玄武洞」。タクシーの運転手さんがわざわざクルマを止めて写真を撮らせてくれた)

 

 短い小説だが、実際に読むのはたいへんだろうから、あらすじを示しておこう。主人公「自分」は、山手線の電車にはねとばされて大ケガを負い、療養のために城崎温泉を訪れる。これは志賀直哉自身の体験であって、実際に宿泊したのは「三木屋」という旅館。これは現存するらしい。

 

 一人称が「自分」というのも、「うーん、どうなんだろう?」であるが、まあいいじゃないか。自分ちゃんは一匹のハチの死骸を見て、静かで穏やかな死への親しみを感じたり、虐待されて死にかけたネズミが懸命に逃げまわる姿を見て恐ろしくなったり、そんな日々を過ごしている。

 

 ある日、小川の石の上にイモリを発見。ふざけ半分に投げた石がイモリに命中、イモリ君はあっけなく死んじゃった。生き物なんて、哀れなもんじゃないか。寂しくなった自分ちゃんは、生き物の死、自分ちゃんの命、そのへんのことに思いを馳せつつ、命びろいした自らのことを省みるのであった。

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(城崎温泉駅前は、ハナショウブが盛りだった)

 

 いやはや、あらすじを書いたワタクシが悪いんだろうけれども、100年前の小説の神様って、連日こういうのを書いて頑張っていたのだ。串が刺さったネズミ、その可哀そうなネズミに石を投げつけるコドモと人力車のオジサン、イモリに石を投げつける自分ちゃん。日本と言ふ国は、そういうアリサマだった。100年で、我々もずいぶん成長したのである。

 

 せっかくなら100年前の志賀直哉とおんなじ「三木屋」に泊まってもよかったが、ネズミも可哀そう、イモリも可哀そう、「山手線にはねられる」という経験もおっかなすぎる。今井君はホテル西村屋を選択。外の雨を見ながら午後の時間を過ごした。

 

 夕暮れ5時半、ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらって、円山川に沿って豊岡を目指す。30分弱の道のりである。与謝野晶子どんは昭和5年にここを訪れ「日没を 円山川に 見てもなお 夜明けめきたり 城崎くれば」と、きっとスバラシー歌を詠んでいらっしゃる。

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(城崎温泉、円山川)

 

 志賀直哉に与謝野晶子、その他にも錚々たるメンバーが城崎温泉に来ていらっしゃる。島崎藤村・有島武郎・徳富蘇峰。斎藤茂吉・柳田國男・徳富蘆花・泉鏡花。要するに昭和の日本文学全集は、城崎温泉なしには存在しないぐらいなのだ。

 

 だから諸君、駅前にも「外湯」として「さとの湯」なんてのがある。今井君は自ら「さといも将軍」と号し、外国旅行の日々にお風呂に入るにも、これを「さとの湯」と呼んでいる。いま目の前に歴史ある「さとの湯」を眺めつつ、城崎を再訪できたことがホントに嬉しかった。

20380 さとの湯1

(城崎温泉駅前「さとの湯」を発見)

 

 2〜3日前の記事に書いた通り、ワタクシは20年前に豊岡の高校で講演会を行い、その時の宿泊も城崎温泉だった。高校の先生方と入ったカラオケスナックは今も健在。今井の記憶の中では「銀馬車」だったが、正確な名前は「銀馬」だったようである。

 

 何故それが確認できたかといえば、20年前に一緒にカラオケで大盛り上がりした先生が、昨日の公開授業会場を訪ねてくれたからである。昨日の授業には高校の先生方が合計で10人ほどいらっしゃったが、その中のお一人なのであった。

20381 さとの湯2

(さとの湯、全景)

 

 べちゃべちゃイヤらしい雨が降り続く夕暮れの豊岡で、何と150名もの参加者があった。保護者の皆様もたくさん含まれていたし、「初めて東進に来てみました」という外部生も80名以上が集まって、駅前の講演会場は超満員になった。

 

 3月から4月にかけては「E組」の収録、4月はずっと「フランスすみずみ」、5月もずっと「イタリアすみずみ」で、公開授業はホントに久しぶりだ。6日の加古川に続いて今日の豊岡は夏シリーズ2回目である。

 

 こういう時期はペース配分がつかめず、冒頭から猛ダッシュして終盤に息切れしやすいものである。事実、豊岡でも登場5秒で大爆笑。「おしまいまで、もつかな?」と喋りながら不安だったが、そういうのも全て杞憂に終わった。

20382 豊岡1

(兵庫県豊岡、150名の大盛況 1)

 

 終了後、豊岡駅前の居酒屋で懇親会。懇親会には、高校の先生方も5人が参加して、21時から日付が変わる頃まで歓談は途切れることがなかった。

 

「浪人時代、京都の代ゼミに通っていました。今井先生の参考書『パラグラフリーディング』を熟読しました」という先生もいれば、「担当科目は数学だけれども、今夜の今井先生の話に90分ずっと感激していました」という先生もいらっしゃる。

20383 豊岡2

(兵庫県豊岡、150名の大盛況 2)

 

 盛り上がりすぎて、みんな目の前の料理はほとんど食べていないようだったけれども、いやはや20年ぶりの再会を含め、あまりにも楽しい夜だった。

 

 0時すぎ、散会。タクシーに乗って、西村屋ホテルに無事に到着。すでにロビーも照明を落としていた。おやおや、せっかくの城崎温泉だけれども、この日は温泉につからずに、朝までぐっすり眠ることになった。

 

1E(Cd) J.S.BACH/SILVIA(Cantata Opera in 3 Acts)1/2

2E(Cd) J.S.BACH/SILVIA(Cantata Opera in 3 Acts)2/2

3E(Cd) Münchinger & Stuttgart Chamber:BACH/MUSICAL OFFERING

4E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 1/2

5E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 2/2

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