Fri 180518 モノたちへの感謝/靴とPCの思ひ出/ピープス氏とギタール氏 M17 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 180518 モノたちへの感謝/靴とPCの思ひ出/ピープス氏とギタール氏 M17

 たったいま大阪のホテルに到着した。梅雨前線に台風5号まで加勢して、ヒコーキは最初から最後まで大きく揺れた。揺れの中で昼食が出て、ついでだから赤ワインも1本飲んだ。今日は仕事がないから、当然そういうのも許される。

 

 明日は夕方から、兵庫県豊岡での公開授業なのである。豊岡はマコトに遠い。兵庫県の日本海側である。今日のうちに大阪入りしておかないと、万が一のことだってありうるじゃないか。

 

 大阪からは、JR西日本の特急電車で向かう予定。「はまかぜ」「こうのとり」、どちらに乗っても大阪から2時間半の道のりだ。「明日の新幹線で」とか、呑気にかまえていることはできない。

 

 豊岡で授業をするのは、おそらく20年ぶりである。21世紀に入っていたか、まだ20世紀の最終盤だったか、ハッキリした記憶はないのである。どちらにしてもワタクシはまだ代々木ゼミナールの講師で、登場したばかりの新幹線のぞみ700系に乗り、京都から山陰本線で豊岡に向かった。

 

 20年前の講演先は、近畿大学付属豊岡高校であった。代ゼミに依頼があって、「どうしても今井先生にお話に来てほしい」と言われたのである。7冊目の参考書の原稿締め切りが迫っていたから、新幹線の中でも懸命にPCをいじくっていたのを覚えている。

20362 靴

(感謝、感謝、感謝。この10年を支えてくれた靴3足に大感謝)

 

 ソニーのVAIO、2台目のVAIOであって、考えてみれば代ゼミ時代の参考書7冊は、みんなあのVAIOで書いたのだった。執筆は全て新幹線の車中。1週間に1回ずつ名古屋への往復があって、それを8年続ければ、電車の中だけで参考書が7冊できあがった。

 

 20年前の今井君といえば、不機嫌の真っただ中であった。そこいら中で腹を立て、そこいら中で怒鳴り散らしていた。何もかもが気に入らず、「もう予備校講師なんかサッサとやめちゃおう」、そう真剣に思いつめていた。

 

 その原因は、ここでは封印しておく。人間が生きていれば、耐えがたいほどツラいことはナンボでも発生してくるので、そうやって目いっぱい頑張って書いた参考書7冊について、好き放題に口汚くののしらたりすれば、「ヤメてやる」のヒトコトぐらい言いたくなるのも無理はない。

20363 ピープス

(1982年の岩波新書「ピープス氏の秘められた日記」。ワタクシが目指したのは、これであった)

 

 豊岡での講演会は大成功で、終了後は高校の若い先生方と祝賀会を催した。20年も前のことだ。当時の先生たちも、20歳ずつお年をめしたはず。30歳だった人も、50歳になっていらっしゃる。

 

 あの時の先生方の誰ひとり記憶していらっしゃらないと思うが、まずは食事会、その後で2次会、さらに3次会でカラオケスナックに行った。「銀馬車」という店だった、Mac君は「銀歯社」とか、そうやって悪ふざけをしているが、今井君は20年の年月を経て、まだ店の様子を覚えている。

 

 果たして「銀馬車」、今も残っているだろうか。それはもちろん明日のお楽しみなのであるが、若かったワタクシも先生方も、マコトに陽気にたくさんの歌を歌った。翌日の二日酔いが、今もなお記憶に残っているぐらいである。

 

 あの時の宿泊は、「生徒の親御さんが経営している温泉旅館がありまして」ということで、城崎温泉に泊まらせてもらった。しかし諸君、当時の今井は不機嫌のどん底時代である。何かのハズミで旅館の人と大ゲンカになった。確か「門限」があって、宿から締め出されてしまったのである。

20364 ギタール

(1986年の中公文庫「フランス革命下の一市民の日記」。ワタクシが目指したのは、これであった)

 

 あれから20年、ホントにいろんなことがあった。日本中どれほど多くの出張に出かけ、どれほどたくさん外国の街を訪ねたか。指折り数えてみると、思わず「オレって、すげーんじゃね?」と絶叫するほどである。

 

 特にこの10年、2008年6月5日にこのブログを開設して以降の大活躍ぶりは、いまブログを読み返してみても「信じがたい」の一言に尽きる。本来は内気で尻の重たい今井君が、これほど日本中&世界中を自信たっぷりに駆け回るとは、ブログにいくら感謝してもし足りないほどだ。

 

 すでに今日でマジック17、2週間と少しで「とうとう10年達成」の日がやってくる。そろそろ総括というかマトメというか、とにかく1次会は終了しようとしているんだから、この10年の今井君を支えてくれたモノたちへの感謝を述べていかなければならない。

 

 まず何と言っても、クツの諸君である。旅の連続の10年を、ことごとく支えてくれたのは、今日の写真の1枚目に示した3足なのである。

20365 FMV

(ブログを書き始めた当時は、このPCを使っていた)

 

 今日1枚目の写真、向かって左のゴツくて黒いヤツは、イギリスのChurch製、2006年の購入。靴底の革を取り替えること2回、カカトを修理すること5回。「基本の黒」はすでに満身創痍のアリサマだ。

 

 真ん中のチョコレート色は、2008年の購入、これもイギリスのChurch製だ。基本の黒の履き心地があまりによかったので、準♡基本として購入してみた。靴底の革を取り替えること1回、カカトの修理も5回。同様に満身創痍ながら、今日の大阪にも付き合ってくれた。

 

 向かって右の茶色いヤツが、実は最古参であって、2004年の購入。代ゼミをヤメる決意を固めた頃に、渋谷の東急本店で買った。「シャープな感じも悪くないですよ」と店の人に言われて、半信半疑でオカネを払った。

 

 スペインのYanko製。仕事にはあまり使わなかった。ということは「遊び用」であるが、ヨーロッパの旅でオペラとかバレエとコンサートとか、その種のエラそうな世界に闖入する時は、だいたいこのYANKOを履いて突き進んだ。

20366 初代1

(2009年から4年つきあった、ワタクシの初代Mac君)

 

 さて、2008年から2018年まで、毎日A4版で3枚の原稿を書き続けたら、その総量はたいへんなものになった。単純計算なら、A4で11000枚。全部をプリントアウトしたら、そのためだけにプリンターが1台壊れちゃうぐらいである。

 

 一般的な文庫本に換算すると、約20000ページ。200ページの標準的な文庫本が100冊という計算になる。こうなると、もちろん付き合ってくれたPCの諸君にも、キチンとお礼を言っておかなきゃならない。

 

 書き始めた頃は、富士通の「FMV LOOX」と言ふ何だか頼りないものを使用していた。もちろん製品の性能は素晴らしかったのだろうが、ネット環境が今ほど整備されていなかったのである。

 

 コードでギュッと繋いでも、写真1枚アップするのに5分もかかった。リスボンでもマドリードでもそうだったし、ブダペストとかプラハとなると、当時のネット環境は「とてもブログなんか継続できない」という状態だった。

 

 名目上の日付と実際の日付が25日ほどズレてしまったのは、南欧と東欧とで「こりゃダメだ♨︎」と嘆息し、毎日の更新を諦めてしまったからである。2008年のロンドンですら、このPCで更新に手間取り、いやはやマコトに不機嫌なクリスマスになった記憶がある。

 

 そこで諸君、ワタクシはまもなく白いMac君と出会った。今はもうみんながMacユーザーになっちゃったけれども、当時はMacを持っているだけで珍しがられ、「へえ、Macですか?」と、ワラワラ見物人が集まってくるほどだった。

20367 初代2

(初代Mac君。ついでに、15年付き合っている椅子にも感謝)

 

 今のMac君はすでに3代目である。源実朝、北条泰時、足利義満、徳川家光。3代目というものは、それなりにみんな華やかであるが、ワタクシのMac3代目は、どうもイマイチ意地悪であって、楕円形のサトイモ君をちょっとバカにしてかかっているみたいなところがある。

 

「そんなにたくさん書いてきたって、誰も読む人はいねえだろ?」と、Mac君はおっしゃる。確かにその通り。自分では毎日の記事にたいへんな自信を持っているのだが、間違いなく今井君はごく平凡な一般人であって、熱心な読者諸君にはマコトに申し訳ないことをしている。

 

 しかし諸君、ワタクシは何もこのブログで「文壇デビュー」みたいな華々しい飛躍を目指してきたわけではない。目指したものは、

① ピープス氏の秘められた日記

② フランス革命家の一市民の日記

以上2点である。

 

 ①は1982年の岩波文庫。まだ新品が本屋さんに並んでいるらしい。②は1986年、中公文庫。こちらは中古でしか手に入らない。どちらも大昔の今井君の愛読書である。200年とか300年経って、どこか世界の裏側ででもいい、こんな扱いをしてもらえる奇跡が起こったら、それで本望なのである。

 

1E(Cd) Casals:BACH/6SUITEN FÜR VIOLONCELLO 1/2

2E(Cd) Casals:BACH/6SUITEN FÜR VIOLONCELLO 2/2

3E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 1/6

6F(Ms) プーシキン美術館展 旅するフランス風景画:東京都美術館

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