Sun 180513 ミラノ駅の混乱/10年ぶりのマッジョーレ湖(イタリアすみずみ12)M22 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 180513 ミラノ駅の混乱/10年ぶりのマッジョーレ湖(イタリアすみずみ12)M22

 こうして書いてみると、来る日も来る日も雨だったことになる。旅の3日目のジェノヴァから、4日目のヴェローナ、5日目のミラノ、6日目のデセンツァーノ、7日目のラヴェンナまで、多かれ少なかれ雨に降られた。

 

 5月の北イタリアは、日本の梅雨にあたるのかもしれない。アドリア海側から南東の風が吹いても、ティレニア海側から南西の風が吹いても、温かい南の海の湿った風であることには変わりがない。

 

 その風が、北のお空に屏風のように立ちふさがるアルプスにぶつかるのだ。日本にも北アルプス・中央アルプス・南アルプスが3つ連なっているけれども、イタリアの北側は本家本元の元祖アルプスどんだ。その立ちふさがり方も迫力が違うだろう。

20315 オルタ湖

(豪雨が迫るモッタローネ山頂から、遥かなオルタ湖を望む)

 

 中でも度肝を抜かれたのは、3日目のジェノヴァと7日目のラヴェンナだけれども、実は諸君、8日目になっても雨雲はワタクシを追いかけてきた。

 

 こんな気のいい日本のサトイモを追っかけてくるなんて、雨雲どんも物好きだが、考えてみれば今井の神出鬼没ぶりは凄まじい。雨雲どんも神のような目をつかって、「何とかアイツに意地悪してやろう」としつこく追っかけてくる。

20316 ペスカトーリ

(マッジョーレ湖、ペスカトーリ島の勇姿)

 

 5月18日、ワタクシの目的地はマッジョーレ湖である。2007年9月に湖畔の「ヴィラ・アミンタ」にしばらく滞在して、ヨーロッパの高級リゾートと言ふものを初体験した。9月中旬、もうオカネモチはみんな都会に帰ってしまって、立ち並ぶ別荘はすでに無人。湖畔には冷たい秋風が吹き始めていた。

 

 それにひきかえ今年は5月。「さあいよいよ夏が始まるぞ」というワクワク感が横溢しているはずだ。10年ぶりのマッジョーレ湖に挨拶してこなければ、ブログ1次会♡10年の締めくくりはできないだろう。

20317 マードレ

(マッジョーレ湖、マードレ島の勇姿)

 

 というわけで、旅に出る前から張り切っていたのだが、雨の連続にずいぶん心が萎えてしまった。天気予報では、明日の北イタリアも雨、特にマッジョーレ湖付近には「雷雨&暴風のおそれ」の予報が出た。山と湖に出かけるのには最悪の天候である。

 

 ホントは朝8時にホテルを出て、10時には湖畔の町ストレーザに到着している予定。モッタローネの山にロープウェイで登り、お山の上からマッジョーレ湖の絶景を眺めた後は、湖に浮かぶ島にわたってランチを楽しむべし。そういう計画でいた。

20318 アミンタ

(10年前にマッジョーレ湖で滞在したヴィラ・アミンタ。10年前の美しさは、少し衰えたようである)

 

 萎えた心と言ふものは、確実に怠惰を呼ぶ。熱心に計画を立てたとしても、「豪雨&暴風のおそれ」というんじゃ、山も島もダメだろうし、赤い瓦屋根が映える紺碧の湖だって、青から灰色にかわっちゃう。

 

「今日のマッジョーレは延期とすっかね」と、暗い気持ちでミストサウナのスイッチを入れてみたが、「暗い気持ちのサウナ」なんてものが、心を明るくしてくれるはずはない。

 

 こうしてワタクシは「ふて寝」「朝寝」という愚挙に出た。この世の中に「ふて寝」ほど愚かしい怠惰はない。何の前進もなしに朝10時、2時間のふて寝から目覚めると、何とミラノの空は快晴である。

 

 朝が快晴、昼も快晴、快晴の空は午後まで続いて、豪雨が襲ってくるのは夕暮れが迫ってから。イタリアの5月の雨は多くの場合そんなふうだ。天気予報は大袈裟に雨を強調するが、実際には2〜3時間のことにすぎない。

20319 ホテル

(ヘミングウェイどんが「武器よさらば」を書いた超高級ホテル。もちろんマッジョーレ湖が舞台である)

 

 何だ、こんな快晴なら、早い時間から行動して、さっさとマッジョーレ湖にたどり着いておくんだった。遅ればせながら急いで支度を済ませ、お昼前の電車でストレーザに向かうことにした。

 

 この2時間の怠惰が、結果的に丸1日を台無しにしたのである。地下鉄でミラノ中央駅に着いてみると、ストレーザ行きの列車に「10分遅れ」の表示が出ている。アルプスの長いトンネルをくぐって、スイスからドイツに抜ける。フランクフルトまで8時間の国際急行♡ECである。

 

 しかしこの「10分遅れ」、イタリアでは決して10分で済まない。だって諸君、「10分遅れ」の表示が出た段階で、すでに発車時間を12分過ぎている。そこから10分ほど経過して「15分遅れ」の表示に変わった。計算なんかちっとも合わない。

 

 やがて「30分遅れ」「40分遅れ」「50分遅れ」と、10分刻みに遅れの幅が拡大する。最初から正直に「50分遅れます」と言っちゃえばいいのに、刻んで&刻んで、いつまでも弥縫策が続く。

 

 ご自慢の新幹線は、あんまり遅れないのだ。フレッチャロッサもイタロも、何とか頑張って時間通りに走っている。もちろん日本とは違うから、20秒の遅れで謝罪の放送が入ることはないし、たった3分とか4分のズレなら、十分に時刻通りとされる。

20320 中央駅

(ミラノ中央駅の混乱。この程度は日常茶飯事だ)


 その「50分」が、いきなり「35分遅れ」に切り替わる。あれれ、するとすぐに出発だ。人々は一斉に血相を変えて、広大な駅構内を疾走する。遅れて到着した折り返し電車が、「意外に早く着いちゃった」というわけである。

 

 終着駅タイプの駅だから、折り返し列車として到着した場合、降りてくる乗客の集団と、乗車する車両に向かって疾走する乗客の集団が、真っ向からぶつかり合う状況だ。

 

 だから、激流と激流が正面から衝突する。立ちふさがり、立ちふさがられ、スーツケースが衝突し、ヒトはそれに蹴つまずいて、ホーム上は大混乱になる。

 

 しかも、国際列車は長ーい17両編成。ワタクシの指定席は1号車だから、ホームの一番先っちょである。50分遅れると言っておいて、35分の遅れに切り替わったわけだから、もう発車まで5分しかない。この大混乱の中を、どんなに身軽な日本人でも先っちょまで駆け抜けるのは困難だ。

20321 ストレーザ

(50分遅れの国際特急、50分遅れでストレーザに到着。終点フランクフルトまで、何時間遅れることやら)

 

 しかも、どうもおかしいのである。まず目の前に11号車があり、列車をたどっていくと、12号車、13号車、14号車、どんどん数字が増えていく。この並び方で1号車って、果たして存在するんだろうか。

 

 13年前のローマと、7年前のブダペストで、「そんな車両は存在しません」と車掌さんに自信たっぷりに断言され、呆然としたことがある。だってキップの表にちゃんと〇〇号車と印刷されているのだ。ローマの時はジェノヴァまで7時間の旅。ブダペストの時もプラハまで7時間の旅が控えていたから、血の気が引いていく思いだった。

 

 どうやらあの日の再来か? それなら今日の小旅行は、なかったことにして諦めよう。そう考えた瞬間、目指す1号車の存在が見えてきた。17号車にたどり着いた時、途中で運転台同士が繋がっていて、その先が7号車。あとは6号車、5号車、4号車と、順調に号車番号が小さくなっていく。

 

 何とか乗客がみんな目的の号車前に集合して、どうやらこれで大丈夫、結局もとの50分遅れで、列車は発車できそうである。ところが諸君、そうはいかないのがイタリアだ。今度はいったん閉じたドアが開かなくなっちゃった。車掌さんが手動で1つ1つ開けて回るのである。

20322 眺め

(モッタローネ山頂に向かうロープウェイからの絶景)

 

 うーん、イタリア国鉄は新幹線に集中しすぎで、在来線の管理に手が回らないんじゃないか。それでも乗客はあまり怒っている気配がない。「鉄道なんてのは、この程度のもの」という苦い諦めを感じる。

 

 こうして諸君、ミラノからストレーザまで1時間の旅は順調だったが、到着は13時半を回ってしまった。「ゆっくりランチ」と、日本にいる時から(というか4月にフランスにいた時から)ニヤニヤしていたのだが、「ランチは2時で終了」という店が多いのがイタリア。どうやら今日のランチは無理のようである。

 

 そこでワタクシは、「とりあえずモッタローネの山頂に登ろう」と考えた。ロープウェイの駅まで徒歩で20分、ロープウェイで15分。山頂に着くのは2時半ごろである。真っ青な湖面、対岸の赤い屋根、緑の島々が美しいが、晴れているうちに山に登ろうと思えば、風景に見入っている暇はない。

20323 マッジョーレ湖

(マードレ島と、マッジョーレ湖の対岸。すっかり靄に包まれた)

 

 満員のロープウェイに乗り込んで、中腹ぐらいまではたいへん好調だったのである。しかし10年前は眼下にあんなに青く美しく広がっていた湖畔の風景が、少しずつ&少しずつ霞んで見え始めた。対岸とマードレ島がかすかに見える程度である。

 

 ふと頭上を仰げば、恐るべき黒雲の集団が迫っている。前日のラヴェンナと全く同じで、急に気温が下がって、冷たい風が吹き荒れた。山頂には、ロープウェイの終点からさらにリフトに乗って10分ほどである。大むかし日本のスキー場で主流だった、低速のロマンスリフトというやつである。

 

 リフトを降りると、ついに山頂。ここからオルタ湖が眺められる。オルタ湖も10年前には青く輝いて、周囲にはヒツジの姿がちらほらしていたものだが、いまや豪雨と暴風の襲ってくる気配が濃厚。あたたかいヒツジなんか、影も形もない。

20324 雹

(大粒の雹が、山頂の地面を覆いはじめた)

 

 そしてついに降り出したのが、大粒の雹である。傘をさしても、ぶつかってくる雹が痛くて悲鳴をあげそうだ。身を隠すものは他に何もないから、ロシア語を話す5人の家族連れと、すぐ近くにあった小屋の屋根の下に避難した。

 

 ますます雹の粒は大きくなっていく。10分もしないうちにあたりに白く積もるほどだった。ロシア人家族はみんなTシャツ1枚であって、さすがのロシア人も寒さに震えている。まもなくリフトも運転を中止、そのまま終日運休が決まった。おやおや、山頂に取り残されたりしたら大変だ。

 

 しかしまあ、永遠に続きそうだった雹も、15分後には小止みになり、20分後には黒雲も遠ざかった。リフトは「もう動かさない」という方針。ロープウェイの終点駅まで30分かけて徒歩で降りなきゃいけない。

20325 ビア

(それでも1000mlの大杯ビール。10年ぶりの湖に挨拶する)

 

 何もかもうまくいかないマッジョーレになってしまったが、これというのもみんな朝の「ふて寝の2時間」が出発点。まさに自業自得であって、30分の山道ぐらい、自己責任でガマンしなきゃいけない。山道と言ったって、きちんと舗装された楽チンな道だ。文句タラタラには何の意味もない。

 

「タイミングが全て」は間違いなく真実であって、ロープウェイを乗り継いで湖畔まで降りてきた時、またまた初夏の太陽が照りつける快晴になった。早くいくか、遅くいくか。どちらかにすべきところを、ふて寝のせいで豪雨の黒雲の真っただ中に飛び込んじゃったわけである。

 

 ま、いいか。再び青く輝きだしたマッジョーレ湖を眺めながら、今日もまた大杯ビールの1000mlを飲み干すことにする。たっぷり運動させられた後だから、初夏の風は抜群に爽快である。ふて寝の反省はもう十分。明日からのクライマックス、シルミオーネの計画でも立てようじゃないか。

 

1E(Cd) Schüchter:ROSSINI/DER BARBIER VON SEVILLA

2E(Cd) Cohen:L’HOMME ARMÉ

3E(Cd) Vellard:DUFAY/MISSA ECCE ANCILLA DOMINI

4E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM

5E(Cd) Philip Cave:PHILIPPE ROGIER/MAGNIFICAT

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