Sat 180512 マジメなイタリア人/ガッラ・プラチディア(イタリアすみずみ11)M23 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 180512 マジメなイタリア人/ガッラ・プラチディア(イタリアすみずみ11)M23

 テレビの旅番組なんかでは、まるで枕詞のように「底抜けに明るいイタリア人」とか「明るく陽気なイタリア人」と言われる。スペイン人とおんなじで「細かいことにクヨクヨしません」「何でも笑い飛ばします」ということになっている。

 

 しかし実際にイタリアやスペインをすみずみまで旅してみても、底抜けに明るいスペイン人とか、細かいことにクヨクヨしない陽気なイタリア人なんてものに出会うのは、あまり期待できない。

 

 というか、万が一そういう御仁と出会ったら、「これは危ないぞ」と身構えるべきである。高すぎるワインを売りつけようと企むレストラン店主。全く用途のない高価な品をすすめてくる土産物屋。「底抜けに陽気」などというのは、よーく考えれば、気色悪いというか、すげー気持ち悪いじゃないか。

20305 車窓

(ボローニャ → ラヴェンナ間の車窓は、美しい葡萄畑がどこまでも続く)

 

「イタリア人」というマコトに大雑把なくくりかたもおかしいのだ。2000年も昔のイタリア半島なら、確かに全てローマ帝国に支配されていたけれども、その後はガリバルディどんの奮闘で統一されるまで、てんでんバラバラだったのだ。

 

 ナポリとミラノなんか、ずっと別々だ。西ローマ帝国の消滅後、ミラノ周辺はゲルマン系の支配を受けることが多かった。8世紀、ランゴバルド族が侵入して、ミラノ近くのパヴィアを首都に「ランゴバルド王国」を建国。その支配は200年に及んだ。

20306 ボローニャ

(ボローニャ駅。10年前と外観は変わらないが、新幹線開通に伴って内部は4層構造の巨大駅に成長した)

 

 そのランゴバルドが、ロンバルディア平原という呼称に変わっていくのであるが、それからもこの地域には、ドイツの影響がのしかかる。だってミラノのすぐ頭の上、アルプスの向こうに重たいドイツが乗っかっている。

 

 北のドイツから、神聖ローマ皇帝が重苦しい影響を与え続ける。中世にはフリードリッヒ1世なんてのが攻めて来たし、近代にはハプスブルグ家のオーストリアがギュッと重たくなって、「底抜けに明るいイタリア人」などというフザケタ状況には、とてもなれなかったはずだ。

20307 ガッラプラチディア

(ラヴェンナ「ガッラ・プラチディアの霊廟」。詳細は後半で)

 

 一方のナポリは、いやはやこちらもたいへんだ。大昔は、ギリシャ系。西ローマ帝国なき後は、ビザンチン系。イスラム勢力がシチリアまで占領した後は、今度は遥かな北からノルマン人がやってきた。スペインの支配が長く続いたと思ったら、フランスがくるは、ハプスブルグ勢力がくるは、何が何だか分からない。

 

 ここまでこんがらかってくると、もしかしたらナポリ人のほうは「底抜けに陽気で明るく」なっちゃったかもしれない。2014年春のナポリ滞在で、その片鱗を見るには見た。ただしナポリ人の陽気さからは、長い困難な歴史をくぐりぬけた深い悲しみが滲み出しているんじゃないか。

 

 詳しくは、グーグル先生にどうぞ。しかし諸君、ミラノとナポリを比較しに、むしろご自身で旅をしてくるといい。ミラノからフェラーラ・ラヴェンナ・ヴェローナ・パドヴァあたりを旅していると、小麦畑でも葡萄畑でも、その丹念な耕作ぶりに感激する。

 

「おお、さすがに質実剛健なドイツ系!!」。ワタクシはポンと膝を打った。テキトーに植えてテキトーに収穫するいい加減なスタイルなんか全く感じない。マコトに丁寧に植えて、この上なく丁寧に収穫するのである。

20308 モザイク1

(ガッラ・プラチディアの霊廟内部。「よき羊飼いの図」。いやはや美しい)

 

 ボローニャからラヴェンナまで、車窓はずっと葡萄畑である。ついこの間ボルドーの葡萄畑に感激したばかりだし、その2〜3日後にはブルゴーニュの葡萄畑も眺めてきたが、イタリアの葡萄畑の美しさは、フランスに勝るとも劣らない。

 

 サトイモ君はワイン通ではないからよく分からないが、エミリア・ロマーニャ州やヴェネト州のワインには、文句なく旨いものが多いと思う。ワタクシの大好きなサンテミリオンも、これでは安閑としていられない。

 

 AMARONE(アマローネ)、余りにも旨かった。イタリア旅の後半は、ストレーザ・シルミオーネ・コモと高級リゾートをのし歩くのであるが、何と諸君、今井君は4日連続でAMARONEを1本ずつ痛飲することになるのである。

20309 モザイク2

(ガッラ・プラチディアの霊廟内部。このモザイクが一番人気のようである)

 

 それはともかく、5月17日はまだラヴェンナにいた。「今日もまた小森てん」というか、てんこもり状態が続いて申し訳ないが、何しろマジック23の興奮状態。許してくれたまえ(スミマセン、昨日の続きです)。

 

 クラッセから乗り込んだ各駅停車は、高校生満載で足の踏み場もない。ここまで高校生の天下が強烈だと、昭和の日本を思い出してうんざりだが、クラッセからラヴェンナまではたったの10分だ。ガマンしてムッと下を向いていればいい。

 

 10年ぶりのラヴェンナは、快晴である。というか、途中までは快晴だった。午後3時まで快晴だった空が、4時には四方を入道雲にグルリと囲まれ、4時半には激しい稲妻が走り、雷鳴が轟いて、滝のような豪雨になった。

 

 幸いまだ快晴が続いているうちに、サン・ヴィターレ教会とガッラ・プラチディアの霊廟を回れた。高校生の天下の後は、遠足の小・中学生たちをかき分けて進まなければならない。鬱陶しいけれども、幸運なことにガッラのほうは小・中学生のいない時間帯に、たっぷりと満喫できたのである。

20310 モザイク3

(霊廟の内部は、10年前より明るい照明を使っているようであった)

 

 ガッラ・プラチディアの生涯は波瀾万丈、世界史上まれに見る悲劇の一生だ。ローマ帝国最末期の皇帝ホノリウスの異母妹として生まれ、西ゴート族アラリックによるローマ略奪中に捕らえられ、イタリア中を連れまわされたあげく、アラリックの弟アタウルフと結婚させられる。

 

 結婚と言ったって、要するに「落花狼藉」ということである。「事実上の結婚」が22歳だった411年、ナルボンヌでの正式の結婚が414年。3年間の苦しみは想像に余りあるけれども、意外にもこのアタウルフ、たいへん優しい人物で、やがてガッラも幸福な数年間を過ごしたんだそうな。

20311 モザイク4

(ラヴェンナのモザイクは、鳥のモチーフが多い)

 

 数年後にアタウルフが死去、西ローマ帝国に帰還する。その後も兄ホノリウスが求婚してくるは、いろいろすったもんだの末に、後に皇帝となる将軍と再婚し、その皇帝の息子を生んだ。「お、いくらか明るい陽が差してきた♡」という時期であるが、今度は娘のホノリアが、フン族の王アッティラと通じてしまう。

 

 今やガッラは摂政の立場にいる。娘ホノリアの処分を命じなければならない。つらい日々が続き、450年に死去。ホノリウスが西ローマ帝国の首都をラヴェンナに移したのは402年だから、遷都から約50年。波瀾万丈&悲劇の生涯は幕を閉じた。

 

 スペルは、Galla Placidia。「プラチディア」というカタカナ表記も、「プラキディア」と書く人もいるみたいだ。彼女についても正確なところは、ぜひグーグル先生に尋ねてくんろ。

20312 モザイク5

(国鉄ラヴェンナ駅近く、「サンタポリナーレ・ヌオーヴォ」も外せない)

 

 皇帝の妹、西ゴート王妃、西ローマ皇后、やがて皇帝の母。この激烈な生涯に、ローマ帝国最後の英雄・名将スティリコとの心の交流を交えれば、すげースケールのデカい歴史小説が書けそうだ。

 

 ワタクシにはもうそんな気力も体力もないから、若い諸君で志のあるオカタは、ぜひ大冊「ガッラ・プラチディアの生涯」、ライフワークとして書いてみてくんなまし。

 

 そのためにも、どうだい、イタリア留学なんてのは? パヴィア大学やミラノ大学の写真を掲載したのも、実はそのお誘いのためである。「トビタテ!!」であって、歴男諸君、歴女のみなさん、日本の戦国武将ばかりに夢中になってたんじゃ、スケールが小さすぎませんか?

20313 モザイク6

(サンタポリナーレ・ヌオーヴォ。ここのモザイクも圧巻である)

 

 さて、1600年も昔の悲劇のヒロインの霊廟を出た段階で、さっきも書いた通りお外には不気味な黒雲が広がり、冷たい風が吹いて、急激に気温が下がった。

 

 とりあえず近くのカフェに座って、ピザとビールを注文。ガッラの生涯を思っただけで、濃厚な疲労を感じたのである。居心地にいいお店で、優しい笑顔のオバサマが「外のテーブルが寒かったら、いつでも中の席に移動していいですよ」と手招きしてくれた。

 

 それでもしばらくヤセ我慢していたが、風の冷たさがギュッと増したと思ったら、稲妻&雷鳴に続いて、大粒の雨が落ちてきた。もうピザは食べ終えていたが、命より大事なビールのジョッキを片手に、大急ぎで店内に避難した。

20314 ビア

(愚かな今井君はホテルに帰って、ビール缶でモザイクを作ってみた。後方の黄色い玉は、3日前に購入したメロン)

 

 ホントにいい店だった。今回の「イタリアすみずみ」の旅で、一番おいしいピザだったことは間違いない。30分以上もお店で粘っているうちに、思わず「せっかくだからパスタも追加で注文しようかね」と考え、自重するのがたいへんだった。

 

 雨はその後も弱く降り続いたが、駅前の「サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂」もどうしても外せない。傘をさしてとぼとぼ、ガッラ・プラチディアの長い人生を思いながら、駅のほうに引き返したのである。

 

1E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 1/2

2E(Cd) The Scholars baroque Ensemble:PURCELL/THE FAIRY QUEEN 2/2

3E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 1/2

4E(Cd) Corboz & Lausanne:MONTEVERDI/ORFEO 2/2

5E(Cd) Festival International de Sofia:PROKOFIEV/IVAN LE TERRIBLE

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