Thu 180510 ニャゴと病院へ/百閒と同じ大杯/ミラノすみずみ(イタリアすみずみ9)M25 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 180510 ニャゴと病院へ/百閒と同じ大杯/ミラノすみずみ(イタリアすみずみ9)M25

 この数日、ちょっとブログアップの時間が不安定になってしまっている。マコトに申し訳ない。日付が変わってすぐになったり、夜明け前の早朝になったり、そうかと思えば「今日はまだ?」とヤキモキさせたりしたと思う。

 

 本来の今井君はKUSOがつくほどマジメな性格だから♡、こういうのはホントはイヤなのだ。しかし、昔からの読者諸君は気づいているかもしれないが、ブログが不安定になるのは、なでしこかニャゴロワの具合が悪くなった時が多いはずだ。

 

 昨日も今日も、ニャゴをお医者さんに連れていったのである。さすがのニャゴも、もう16歳のバーチャンだ。人間で言えば80歳。それなりに病院通いもしなきゃいけない。そもそも8年前に「余命100日」と宣告されたネコ助が、あれから8年 → 3000日も生きてきた。

20284 優勝杯1

(内田百閒が毎年の「まあだ会」で飲み干していたのと同じ1000mlの大杯ビール。自撮りミラノ・ハーフ&ハーフ編)

 

 だから今のワタクシは、全てにおいてニャゴが優先だ。このブログが10年続いたのも、なでしことニャゴの応援があったからこそであって、無事にあと25日間を書き続け、予定通り6月26日に「感謝♡感謝♡感謝」のタイトルで書くことができれば、その感謝は何よりもまずニャゴ&なでしこへの感謝なのである。

 

 病院で、ニャゴに注射を2本してもらった。昨日も2本、今日も2本。真っ白い顔を般若のお面みたいにして、獣医のセンセを激しく威嚇する表情もさすがに16歳、貫禄十分である。さっきオウチに帰ってきて、今は大人しくネンネしていらっしゃる。

20285 優勝杯2

(百閒が毎年「まあだ会」で飲み干していたのと同じ1000mlの大杯ビール。自撮りシルミオーネ・ピルスナー編)

 

 すると諸君、今井君はすっかり安心して、ふと映画「まあだだよ」の内田百閒を見たくなる。ネコ好きジーチャンのしょんぼりした表情ほど、人の胸を熱く打つものがあるだろうか。

 

 うっかりしていたが、4日前の5月29日は、内田百閒の誕生日なのであった。別にマネしている訳ではないが、百閒の全作品40冊ほどをみんな読んじゃったのは20歳代の中頃。ネコのことから鉄道のことまで、気がつくと「無意識にマネしちゃってますかね?」という人生の構成になっちゃった。

20286 ミラノ大学1

(ミラノ大学の勇姿。元は病院だった建物である)

 

 あとは諸君、さすがに才能の違いというか、人徳の違いというか、ワタクシはあくまでイチ予備校講師、百閒は押しも押されもせぬ稀代の随筆家。比較のしようもないのである。

 

 飼われたネコにも、講義を受けた学生諸君にも、もちろんブログ読者諸君にも「こんな平凡なサトイモでスミマセン」と平身低頭、ひたすらお詫びを申し上げるばかりだ。

20287 ミラノ大学2

(ミラノ大学。こうして眺めると、パヴィアの僧院の大庭園「キオストロ・グランデ」とそっくりの風情である)

 

 内田百閒は1889年生まれ。最初の作品集「冥途」を出版したのが1922年、34歳の時であった。出版したのは早稲田大学正門前「稲門堂書店」。その後の稲門堂は、早稲田大学教授の皆さまが執筆する、あんまりパッとしない教科書の出版を続けていた。

 

 黄色い書店ビルの2階には、飲食店「エルム」や「にいみ」が入居。遥かな昭和の昔、今井君も何度か訪れたことがある。わずかに残った書店部分も、末期には「ジャポカレー」を名乗る怪しいカレー店になっていた。懐かしい稲門堂ビルは、2006年頃に取り壊されたらしい。

20288 ビル

(ミラノ大学至近には、こんなバカバカしい建築物も存在する。滞在中のホテルのミストサウナからも、ドゥオモの隣にビシッと見えていた)

 

 百閒は、1929年から生活をともにした「佐藤こひ」という女性と、1964年に入籍。随筆中では「家の者」と表現され、40年にわたって波乱万丈の随筆家を支え続けたのが、その佐藤こひである。黒沢映画「まあだだよ」では、香川京子がひっそりと演じている。

 

 もちろん「こひ」と書いて「コイ」と発音する。21世紀の日本で「コイ」と発音する女子の名は、ほぼ100%「恋」だろうけれども、明治・大正・昭和初期の女子の「コイ」は、こっちもこっちでほぼ100%が「鯉」、広島カープの鯉以外、まず考えられないのである。

 

 百閒の絶筆は1970年、80歳の時の「猫が口を利いた」。随筆集「残夢三昧・日没閉門」に収められている。失踪したノラと、病気で亡くなったクルツ。最期までネコのことを思い、メソメソ泣いてすごした素晴らしいオジーチャンだった。

20289 スフォルツェスコ

(ミラノ、カステロ・スフォルツェスコに挨拶に行く)

 

 60歳の誕生日から延々と続いた「摩阿陀会」は、むかしの学生たちが誕生日を祝う大宴会である。「還暦すぎてもまだこの世にいるのかい」という意味で「まあだかい?」。例年5月29日、東京駅のステーションホテル、略してステホテで開催。会の冒頭、百閒が1000mlの大杯ビールを一息で飲み干すのが慣例だった。

 

 膨大な随筆集を読むのはきっとメンドーだろうから、まあ諸君、映画「まあだだよ」でも眺めてみたまえ。YouTubeで300円払えば、2時間半ずっと熱い涙が止まらない。

20290 フジッリ

(大好物のフジッリ。スフォルツェスコ城の前でいただく。ネジネジなので、ワタクシは「ネジッリ」と呼んでいる)

 

 繰り返すが、ホントにマネしているのではない。百閒の代表作は1950 年から55年の「阿房列車」であり、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」という冒頭の一句は有名だ。

 

 もしも厚顔無恥にマネするつもりなら、4月の「フランスすみずみ」は「フランス阿房列車」、5月の「イタリアすみずみ」も「イタリア阿房列車」にしていたはずだ。というか、この10年まさに世界阿房列車の日々であったと言っていい

 

 しかし諸君、フランスでもイタリアでも、やっぱり大切なことは「なんにも用事がないけれど、ヒコーキに乗って、ついでに汽車に乗って来ようと思う」という感覚だ。

20291 トラム1

(トラム2号線で30分、ナヴィリオ運河地区を目指す)

 

 百閒はヒコーキの操縦も大好きだったオカタだから、もし21世紀に生きていたら、イタリアでもフランスでも自分でヒコーキを操縦して旅したかもしれない。

 

 その点でもワタクシはマコトに平凡なサトイモ。スミズミの旅の6日目は、ミラノ近郊ピアチェンツァの町に、日帰りの鉄道旅行を計画していた。

 

 ところが、今日も今日とて朝のミストサウナでポカポカ温まったサトイモを待ち受けていたのは、「ミラノ・ピアチェンツァ間で事故。終日運転見合わせと致します」というたいへんピンポイントな運休情報なのであった。

 

「は?」であり「え?」であり「うぉ?」であるが、クレジットで買っちゃったキップも何とか払い戻しに成功して、「今日はミラノすみずみ」に計画を変更した。

 

 日本ではカンタンな「払い戻し」であるが、世界では滅多なことでは払い戻しには成功できない。長い長い列にガマンにガマンを重ねて2時間も3時間も並び、それでも傲然と「できません」と言い放たれる経験を何度か積んでみたまえ。日本の素晴らしさを実感するはずだ。

20292 トラム2

(トラム1号線の車内。今も現役で働いていらっしゃる)

 

 ミラノという街は、「すみずみまで探訪」が難しい街である。というか、スミズミがなかなか見当たらない。名所が少なくて、「どこもかしこもスミズミ」である場合、そのスミズミの選択はマコトに難しい。

 

 ワタクシが選んだのは、まず名門「ミラノ大学」。ミラノ大学と聞いて今井が最初に思い出すのは、映画「シンドラーのリスト」の悲惨な一場面。収容所内の若いユダヤ人女子が「ミラノ大学で工学を学びました」と発言した瞬間、無残に銃殺されてしまうシーンである。

 

「モトは病院でした」というミラノ大学であるが、中に入って散策してみると、旅の2日目に歩いたパヴィアの僧院「キオストロ・グランデ」とソックリ。回廊形式になっている。深く濃厚濃密な思索には、やっぱり回廊が不可欠なのかもしれない。

20293 ナヴィリオ地区

(トラム2号線沿い、ナヴィリオ運河地区。うーん、いわゆる「治安」はいかがなものか)

 

 次に目指す「スミズミ」は、ナヴィリオ運河である。13世紀ごろ、ミラノ市民の生活にとってナヴィリオ運河は欠かせない存在だった。800年経過しても、運河周辺に繁栄の痕跡が残っている。「かつての洗濯場」もあれば、最近は画廊やナイトスポットも多いんだそうな。

 

 ただし諸君、ナヴィリオ運河を散策する前に、腹ごしらえも必要だ。突如ピアチェンツァからミラノすみずみに方針転換したりしたこともあって、さすがに腹が減った。スフォルツェスコ城の周辺でムンズと飯を詰め込み、それからトラムを駆使してミラノすみずみを続けたいじゃないか。

20294 雨雲 

(ドゥオモ。いきなりミラノの空を黒雲がおおい、激しい雷鳴が轟いた)

 

 ミラノのトラムは1号線を中心に、明治&大正のカホリのロートルが現役で立派に働いている。木造のモク太郎、床に引いた油の匂いもかぐわしいトラムじーさんは、サンフランシスコでは博物館内なみの扱いを受けていたが、ミラノではホントに立派な現役ジーチャンだ。

 

 1000mlのビール大杯を飲み干し、大好物のフジッリこと、ねじねじの外見から「ネジッリ」と名付けたパスタで腹一杯になったあとは、トラム2号線の終点まで「ナヴィリオ運河」の風情を満喫しに出かけたのである。

 

 ただし今井君としては、もし諸君が触発されて「よーし、ナヴィリオ運河めぐりをやってみよう」と考えたとしても、あまり積極的にオススメする気にはなれない。

 

 周辺地域も2号線も、何となく中途半端。運河にはアオコが浮かんでいた。ホンキで「すみずみ」を旅するならいいが、すみずみファン以外の人が訪ねても、それほどの感慨に浸れるとは思えないのである。

 

1E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI

2E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3

3E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 2/3

4E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 3/3

5E(Cd) Zagrosek & Berin:SCHREKER/DIE GEZEICHNETEN 1/3

total m230 y920  d23390