Wed 180509 カバンの中身/手ぶらが基本/デセンツァーノ(イタリアすみずみ8)M26 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180509 カバンの中身/手ぶらが基本/デセンツァーノ(イタリアすみずみ8)M26

 昔のオトナたちが大好きだった話題の1つに「カバンの中身」というのがあった。21世紀の今でも、本屋でビジネス書のコーナーなんかに行けば、「カバンの中身」の類いの新書版が2冊か3冊は見つかるはずだ。

 

 まだノートパソコンさえなかった時代、と言ったって今からたった30年昔に過ぎないが、ビジネスマンというかサラリーマンというか、まあ要するに普通のオジサンの必須アイテムは、何と言っても「手帳」であった。

 

 カバンに必ず入ってなきゃいけないのは手帳にボールペン。今井君なんかは、インクのカタマリが頻繁にボテっと手帳を汚しちゃう油性ボールペンと言ふものがキライで、ペリカンやモンブランの万年筆をカバンに入れていた。

 

 1980年代後半には、「電子手帳」というものが大流行した。ワタクシは馬鹿馬鹿しいから手を出さなかったが、手書きで書けばカンタンに済むデータを、オジサンたちは懸命に電子手帳に打ち込んだものだった。

 

 都内の電車の時刻表を、すべて手書きで打ち込むオジサンだって存在した。コピーして糊で貼れば済む数字の羅列を、丸2日も3日もかけて電子手帳に入力して、それを同僚に見せては大喝采を受けていた。

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(イタリア新幹線・イタロ。7両編成すべての車両をシックな赤で統一した)

 

 こういふうで諸君、30年前の日本は、21世紀生まれの若者から見れば、縄文時代や弥生時代を彷彿とさせるような、マコトに原始的な時代。スマホ1つあればあっという間に完了するようなチマチマしたことに、アブラぎった昭和のサラリーマンは驚くほど真剣に取り組んでいたのである。

 

「カバンの中身」と言ったって、あとは文庫本を2冊か3冊つっこめば、他に思いつくのは困難だ。お弁当。カロリーメイト。ミネラルウォーター。ウォークマンとヘッドフォン。スマホのない時代には「辞書」などという勤勉な人もいた。

 

 英和辞典。国語辞典。英会話トラノマキ、マナー事典。マジメさとカバンの重みは正比例して、ビジネス書に書いてあることを真に受けたら、日々のカバンはスーツケース並みの重さに膨らむのであった。

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(イタロ車内。うぉ、日本の新幹線も負けそうだ。ところが諸君、車両の半分はこのまま固定されて2時間、完璧に後ろ向きに疾走する)

 

 事実、「キャスター付きのスーツケースを持ち歩くのが一流のアカシ」と大書したビジネス書も見たことがある。書いた人が「資格三冠王」だったりすると、あながち爆笑してもいられない。

 

 司法試験と公認会計士試験と通訳ガイド試験、何だかどれも「斜陽系の資格」と言われているようだが、20歳代で3つ全てに合格した超優秀人物が、「キャスター付きのスーツケースに全てを入れて持ち歩いた」とおっしゃれば、KUSOのつくほどMAJIMEな人から順番に、日々のカバンは可哀想なぐらい大っきくなっていくのだった。

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(イタリア新幹線「フレッチャロッサ」。後ろ向きでの疾走は、イタロと同じことである)

 

 一方の今井君は、何しろフマジメにコロモをつけて天ぷらにしたみたいな男であるから、カバンの中身は常に空っぽ。出来ることなら出張でも海外旅行でも、手ぶらでブラブラ出かけたいのである。

 

 だから諸君、国内の出張が4日とか5日であっても、今井先生の荷物は例の「予想の3倍重いカバン」1つだけである。下着はホテルで自分で洗濯。ワイシャツの類いはホテルのランドリーで洗ってもらう。

 

 この10年は出張先でも意地でも超長文ブログを書かなければならなかったから、PCとその充電器は必須だったが、あとは顔を拭う紙タオルと文庫本2冊程度。4〜5日分を詰め込んでも、カバンは大して重くならなかった。

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(5月15日、デセンツァーノの街を訪れる)

 

 しばしば問題になるのが、「カサをカバンに入れるか入れないか」である。カサとは、日本語なら「傘」、スペイン語なら「casa」=オウチであって、「もしかしたら語源が同じなんじゃないか」と感じるぐらいであるが、濡れない場所を確保するカサを、カバンに入れるか入れないか、それはそれなりに問題だ。

 

 1990年代まで、ワタクシはまだ謙虚だったから、NHKの天気予報で「折りたたみの傘があると安心です」と言われれば、それに従っていたのである。

 

 1999年まではオファーマンのカバン。2000年からはゼニアの「予想の3倍重いカバン」。どちらもfolding umbrellaぐらいならカンタンに入った。

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(晴れの日のデセンツァーノ。ガルダ湖がマコトに美しい)

 

 しかし例えカサ1本でも、重いものは重いじゃないか。カバンやスーツケースを重くして、何かプラスになることでもあんのかい? 今井君が決定的に乱暴になったのは、2005年2月8日のことである。「もう一生、カサなんか買わねーぜ♨︎」と宣言して、そのまま今に至る。

 

 思えばあの日、今井君は8年大活躍した佐々木ゼミ(仮名)をヤメちゃったのである。今や「仮名」を使用する必要もないほど、佐々木ゼミには存在の痕跡さえ感じないが、あのころ既存の3大予備校をカサとして「寄らば大樹」をやってきた今井も、それまでのそういう生き方に潔く終止符を打った。

 

 だからもう「カサなんか必要ありません」なのである。出張先でも海外の旅先でも同じことだ。雨が降ったら濡れればいい。濡れるのを恐れて傘なんか後生大事に持ち歩くなんて、重くて厄介なだけじゃないか。

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(5月15日、デセンツァーノは雨模様だった)

 

 文庫本も同じことであって、「もし電車やヒコーキで時間を持て余したらどうするんだ?」じゃなくて、万が一ヒマが出来ればしめたもの、そのヒマを利用して考えたり決着をつけたりしなきゃいけない課題がワンサと山積みになっている。

 

 あえて言えば、海外の旅のガイドブックだって、もはやほとんど持ち歩かない。グーグルマップで十分だし、古色蒼然とした地図がよければ、ガイドブックの地図をカメラに収めていけばいい。

 

 だから、海外で小旅行中の今井君はほぼ手ぶら、ポケットにスマホとカメラをつっこんで、まさにそれだけの状態でモロッコやキューバ、メキシコにアルゼンチンにギリシャをノシ歩くのである。

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(雨のガルダ湖も、それなりに趣きが深い)

 

 5月15日のワタクシは、ミラノから1時間の小さな町を2つ、速攻で旅してくることにした。デセンツァーノとペスキエラである。試しに高校生用の詳しい世界地図帳を開いてみたが、どちらの名前も掲載されていない。「どこだ、そりゃ?」の対象である。

 

 それでも今井君は、意地でも手ぶらなのである。ガイドブックなし。だって諸君、デセンツァーノ、ペスキエラ、どっちもガイドブックにすら掲載はない。索引を見ても、影も形もない。ならばガイドブックなんか持ったって全く意味がないじゃないか。

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(雨のデセンツァーノでデカいフィレステーキを貪る)

 

 もちろん傘もナシ。2日前にジェノヴァの強烈な豪雨に怯えて購入した折りたたみ傘は持っているが、安かろう → 悪かろうというか、傘の部分が正方形、前代未聞のグロテスクなデザインだ。持ち歩くことそれ自体がグロテスク。そんなものを携帯したくない。

 

 地図帳にもガイドブックにも掲載されていなくても、デセンツァーノとペスキエラ、どちらも新幹線の停車駅である。デセンツァーノには「フレッチャロッサ」が止まり、ペスキエラにはイタロが止まる。イタリア人に大人気♡ガルダ湖観光の拠点。ミラノとヴェローナの中間だ。

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(ペスキエラまで、デセンツァーノから各駅停車の電車で10分強である)

 

 今回の「イタリアすみずみ」の旅には2つの大きな目玉があって、1つ目がガルダ湖とシルミオーネの旅、2つ目がコモ湖と「ヴィラ・デステ」再訪だ。

 

 しかし前者については事前の情報がほとんど得られないから、雨にも負けず風にも負けず、激しい風雨の予報の中を傘もなしの手ぶら状態で、ガルダ湖への起点デセンツァーノとペスキエラを、あくまで予習のつもりで訪ねておくことにした。

 

 デセンツァーノのスペルは、「Desenzano」である。いろいろ故事来歴を調べても、グーグル先生はハッキリしたことを教えてくれないのだが、今井君は「ははぁーん!!」と気づいたことがあった。こりゃもしかして「de +senza+no」の足し算で作った地名なんじゃないか。

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(ペスキエラ。日本の高級旅行雑誌がこぞって飛びつきそうな風景だ)

 

 イタリア語の「de」は、ポルトガル語やスペイン語の「de」と同じで、ごく単純に言っちゃえば「…の」の意味。JALの国際線でサービスされるらしい「うどんですかい」「そばですかい」も、「うどん de sky」「そば de sky」ということのようである。

 

 次の「senza」であるが、これは「…なしの」「…なしで」の意。英語のwithoutとおんなじだ。「senza giacca」→ 上着なしで。「il mondo senza pace」→ 平和のない地球。

 

「senz’altro/センツァルトロ」が「もちろん!!」の意味になるのは、「altro」が「他のもの」「他のこと」を意味することから、「他の選択肢はありません」→「当然です」「もちろんです」「あったりめーだんべ」という感情を示すわけである。

 

 すると諸君、デセンツァーノが「de +senza+no」だとするなら、「noという表現のない町」「イイエとは言わない町」→「完璧な笑顔の町」みたいなニュアンスなんじゃないか。

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(穏やかなペスキエラの夕暮れ。「1泊してディナー」がよさそうだ)

 

 ここから船で15分、ガルダ湖に天橋立みたいに突き出した半島の先の町シルミオーネは、古代ローマからの温泉あり、古代ローマの遺跡もあり、温泉があれば必ず付属する種々雑多な娯楽を全て取り揃え、別府か草津か飯坂か、道後か有馬か登別か、イタリア有数の保養地である。

 

 そういうシルミオーネへの出発点として、「noなんていう冷たい言葉はありえへん町やでぇ♡」という心意気、それをそのまま町の名前にしたんじゃあるまいか。

 

 低い雲から冷たい雨が降り続く1日、今井君はデセンツァーノの船着場付近でビールにワインを痛飲。パンの入った熱い野菜スープと、デカいフィレステーキで全身を内側からポッポと温めながら、とりあえずそういうツマランことを考えていた。

 

1E(Cd) AFRICAN AMERICAN SPIRITUALS 1/2

2E(Cd) AFRICAN AMERICAN SPIRITUALS 2/2

3E(Cd) Maria del Mar Bonet:CAVALL DE FOC

4E(Cd) CHAD Music from Tibesti 

5E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music

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