Thu 180503  帰国報告その2 旅の後半は派手め(イタリアすみずみ2)M32 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 180503  帰国報告その2 旅の後半は派手め(イタリアすみずみ2)M32

「無事に帰国」という記事を書いたのは、実はまだ帰国していないミラノのホテルの早朝である。だってまさか、ヒコーキの乗り継ぎがうまくいかないなんて、誰も想像できないじゃないか。

 

 ミラノ・リナーテ空港で、「フランクフルトゆき、15分遅れ」の表示が出た時に、「うにゃにゃ、こりゃヤバいかな♡」という気はした。15分遅れが、まもなく30分遅れに、30分は45分に、結局のところ遅れは60分になって、東京ゆきへの乗り継ぎは不可能になった。

 

 やっとのことでフランフルトに到着した時には、「東京羽田ゆきは、すでにドアが閉まってしまいました」ということで、ヒコーキを翌日お昼の便に変更。荷物は空港に預かってもらって、ルフトハンザが用意したホテルに向かった。  

 

 小麦畑のど真ん中の「リゾートホテル」で、アイルランドのウィスキーをロック・ダブルで3杯痛飲した後、お部屋に入ってブログをアップした。「無事に帰国しました」というタイトルの後ろに「、か?」を半疑問形っぽくくっつけてゴマかすことにした。

20216 ガルダ湖

(旅の後半はかなり派手め。ガルダ湖マルチェージネの風景)

 

 だから、今日の記事が正式な帰国報告になる。書いている時点で、日本時間♡18時。正真正銘、キチンと東京に帰ってきた。フランクフルト滞在1日が加わって、少なからず得をした気分であるが、そのぶん疲労も強烈。オウチのお部屋で3時間熟睡した後、これを書くことになった。

 

「ヒコーキに乗れない」「空港に取り残される」という経験は、ワタクシの人生でこれが3回目。1回目が、フランクフルト。今回と同様に東京便が勝手に行っちゃった。2回目がロンドン・ヒースロー。5時間待たされたリスボン便が、日付が変わると同時にいきなり「Cancelled」になった。

 

 ま、いいじゃないか。こういうのも、慣れればかえって楽しいものだ。「こりゃ乗り継ぎができそうにないな」と思った瞬間、「フランクフルトであれもできる&これもできる」と、舌なめずりする気分である。アップルワインもいいじゃないか。アスパラガス料理もいいじゃないか。

 

5月18日 ストレーザ

 ストレーザは、マッジョーレ湖畔の町である。訪問は2007年以来11年ぶり。どこにでも必ず顔を出すヘミングウェイどんの愛した町である。この街を舞台に、ヘミングウェイは「武器よさらば」を書いた。

 

 ボッロメオ諸島(ベッラ島・ペスカトーレ島・マードレ島)が青い湖水に映えて美しい。湖畔からロープウェイで15分、2000メートル級のモッタローネ山頂にも一気に行ける。

 

 ミラノからストレーザに向かう電車が、40分も遅れた。フランクフルト行きのECだった。考えてみれば今回の旅も、ずいぶんフランクフルトに祟られた。

 

 おかげでストレーザ滞在はグッと短くなり、せっかく登ったモッタローネ山頂では、何と激しい雷と雹に襲われた。雹は直径1cm以上もある大粒のヤツで、いやはや、たいへんな目にあった。

20217 マッジョーレ湖1

(マッジョーレ湖、ベッラ島風景)

 

20218 マッジョーレ湖2

(マッジョーレ湖、ペスカトーレ島風景)

 

5月19日 シルミオーネ

 シルミオーネは、イタリア最大の湖♡ガルダ湖に突き出した小さな半島の先端の町である。半島は、天橋立とそっくりだ。ここに古代ローマ帝国の温泉施設があった。温泉は今も湧き出していて、イタリアで温泉と言えば、ナポリ沖のイスキア島か、ガルダ湖のシルミオーネを指す。

 

 デセンツァーノかペスキエラの港から船で30分あまり。船のアナウンスにもギュッと気合が入っていて、まさに「テルマエ・ロマエ」の長い伝統が息づいている。

 

 波のたいへん荒い日で、船は大きく揺れ、岸壁には大きな波が打ちつけた。湯温30℃に満たないヨーロッパの冷たい温泉には、ブダペストのゲッレールト温泉で懲りているから、ワタクシはひたすら湖畔の散策とディナーに集中。あえてシルミオーネに一泊して、翌日のガルダ湖周遊に備えた。

20219 シルミオーネ1

(ガルダ湖、シルミオーネ風景 1)

 

20220 シルミオーネ2

(ガルダ湖、シルミオーネ風景 2)

 

5月20日 ガルダ湖

 朝5時半に起きて、シルミオーネの湖畔を散策。湖に昇る朝日を堪能したあとは、9時から16時まで広大なガルダ湖をお船で周遊した。アルプスに近いリモーネの町を目指したが、途中で下船したマルチェージネが気に入って、結局「リモーネは次回」ということにした。

 

 ここから一気にロープウェイで2000メートル級の山にも登れるのだが、つい前々日、同じ2000メートル級の山の上で雷と雹に襲われたばかり。自重して、湖畔のランチを満喫することにした。「息子の彼女が日本人でして」という老カップルを出会ったのは、その店である。

20221 シルミオーネ3

(ガルダ湖、午前6時)

 

20222 マルチェージネ

(ガルダ湖畔、マルチェージネ風景)

 

5月21日 コモ

 今回「イタリアすみずみ」のクライマックスに設定したのが、この日の「ヴィラ・デステ」再訪である。2008年5月、ヴィラの庭園で撮影した写真を、ずっとブログの表紙に採用してきた。10年が経過して、庭園がどう変わり、今井君はどう変わったのか。

 

 結論を言えば、どちらも全く変わっていなかったのである。「とうとうここに帰ってきた」という感慨はマコトに深いが、人間として「変わっていない」というのは、要するに「ちっとも成長していない」と言ふことであって、いやはや困ったことじゃないか。

 

 いや、ホントのことを言えば、むしろワタクシはどんどん幼くヤンチャになっていく。成長もなければ老成も一切なくて、精神的にも肉体的にもぐんぐん若くなっていく。そういえば10年前、何だかここで溜め息ばかりついていたように思うが、あれはいったい何だったんですかね。

20223 コモ湖1

(ケーブルカー終点付近からコモの町を俯瞰する)

 

20224 庭園

(10年ぶりにヴィラ・デステの庭園を散策する) 

 

5月22日 ベラッジョ

 ヴィラ・デステの朝食に、10年前と同じようにシャンパンが出ていた。あの時と同じで誰も手をつけようとしないシャンパンを、今井君だけ3杯も立て続けに飲んで、マコトに楽しい朝食を満喫した。

 

 予定では、この日のことを来月26日、ついにやってくる3652回目 →「10年続いた一次会の中〆」と位置付けた日のブログに書くつもりである。まさに「ここに帰ってきました」の真骨頂と言っていい。

 

 船で2時間、ベラッジョの町も10年ぶり。10年前と同じような雨の1日だったが、あの時ワタクシを迎えてくれたネコも、ネコが店番をしていたお店も、もうどこにも姿が見えなかった。

 

 この日の夕暮れ、ミラノに帰る列車もまた大幅に遅れた。コモの駅に着いた段階で30分遅れ。乗り込んでしばらく経過すると、今度は「車両故障で動けない」「反対側のホームに停車している各駅停車に移動してほしい」。結局ミラノに到着したのは予定より1時間も遅くなった。

20225 コモ湖2

(コモ湖は、10年前と同じ雨模様だった)

 

20226 アマローネ1

(ベラッジョ「La Punta」のアマローネ。この濃厚さはたまらない) 

 

5月23日 ヴェネツィア

「イタリアすみずみ」の締めくくりは、やっぱりヴェネツィアじゃなきゃいけないじゃないか。そう考え、一種のお祭り気分でヴェネツィアを訪ねた。マルセイユからヒコーキで一泊旅行を試みて以来、4年ぶりのヴェネツィアである。

 

 しかし諸君、ヴェネツィアの混雑は、今や尋常ではない。押し寄せた観光客の重みで、地盤沈下のスピードはどんどん激しくなっていくんじゃないか。サン・マルコ広場なんか、「ここは上海ですか?」と尋ねたくなるほどの中国語洪水。イタリアの小学生の遠足も加わって、真っ直ぐに歩くことは困難である。

 

 それでも、リアルト橋とカナル・グランデをドイツ商館の屋上から一望することができた。大混乱の鐘楼を避けて、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島に渡り、島の鐘楼から対岸のサン・マルコ広場を俯瞰するのも素晴らしかった。

20227 カナルグランデ

(ドイツ商館屋上から、リアルト橋をカナル・グランデを望む)

 

20228 サン・マルコ

(サン・ジョルジョ・マッジョーレの鐘楼から、対岸のサンマルコ広場を俯瞰する)

 

5月24日 ミラノ

 こうして「イタリアすみずみ」の旅は最終日を迎えた。ホテルの部屋にミストサウナが付属していたおかげで、連日のように熱々のスチーム風呂を満喫。サトイモ君は身体のすみずみまで、ギュッと清潔になったはずである。

 

 旅の後半は、4日連続で「アマローネ」系の赤ワインを堪能。こんな濃厚&濃密な旨いワインを飲んだんじゃ、ブルゴーニュどころか、ボルドーだって「今ひとつ」と言いたくなるほどだ。

 

 1本目、コモ。2本目、ベラッジョ。3本目、ヴェネツィア。4本目、ミラノ。東京に帰ってもずっとアマローネを飲み続けたいが、うーん、ネットをポチポチ探してみても、なかなかアマローネのある店が見つからない。

20229 アマローネ2

(ミラノ、ドゥオモ付近の店でアマローネを堪能する)

 

20230 地下鉄で

(ミラノ地下鉄構内で、旅の初日と同じミュージシャン諸君に出会う)

 

5月25日 帰国と思いきや、フランクフルト滞在

 ミストサウナを2週間満喫したウェスティン・パレスを、12時にチェックアウト。その後の顛末は冒頭に記した通りである。ヒコーキは最初「15分遅れ」。やがて「30分遅れ」、しばらくして「45分遅れ」。分刻みでだんだん遅れを拡大していく手法は、イタリア独特のもののようである。

 

5月26日 正真正銘の帰京

 小麦畑の真ん中のホテルで一夜を明かした。ホントなら20時の便にして、久しぶりのフランクフルトを闊歩してきてもよかった。レーマー広場でアプフェル・バイン、ぜひ痛飲したかった、しかし振り替えのヒコーキは12時10分発。素直に振り替え便に乗り込んで12時間、こうしてほうほうのていでオウチにたどり着いたのである。

 

1E(Cd) Courtney Pine:BACK IN THE DAY

2E(Cd) Dieter Reich:MANIC-“ORGANIC”

3E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY

4E(Cd) Candy Dulfer:LIVE IN AMSTERDAM

5E(Cd) Patti Austin:JUKEBOX DREAMS

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