Sun 180415 どっこいしょの語源/ディジョンの旅に出発(フランスすみずみ24) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 180415 どっこいしょの語源/ディジョンの旅に出発(フランスすみずみ24)

 さすがにワタクシはもうすっかり中年であるから、連休が終わって2日目になっても、ちっとも疲れが抜けてくれない。というか、連休に疲れるようなことは何一つしていないのに、なかなかやる気が湧き上がってこない。

 

 ホントは若い人々の模範になって、「さてバリバリ働くぞ」とか「さあバリバリ学び尽くすぞ」とか、そういう叫びを上げなければならないところであるが、実際にはその真逆であって、「全然やる気が出ませんな」と重い溜め息をつくばかりである。

 

 いつまでもムクれているわけにはいかないので、「よっこらしょ」「どっこいしょ」と何度か自らを励ますうちに、「なんで『どっこいしょ』というのかな?」「英語で『どっこいしょ』ってなんていうのかな」と言ふ素朴な疑問が浮かび、それをいいことにしてまたスマホいじりを始めた。

19997 ディジョン駅

(4月20日、ディジョンの旅に出た)

 

 諸君、便利な世の中になったものである。ホンの10年前なら「なんで『どっこいしょ』?」と思った瞬間、図書館に駆け込み、あの薄暗い空間にしばらく籠るしかなかった。「百科事典」という重たく分厚いものに鼻を突っ込んで、それでもなかなか解決に至らなかった。

 

 ところが諸君、今やソファにひっくり返ってスマホをネロネロいじるだけで、「どっこいしょ」の語源から英語表現まで、半ば解決してしまう。そのぶん「長老」とか「物知り」という立場の人間に立つ瀬がないが、立つ瀬がなければ座っていればいいだけのこと。誰も困らない。

 

 もっとも、今井君ぐらいしつこいサトイモになると、同じ「どっこい」でも「どっこい」「どっこいしょ」「どっこいどっこい」「すっとこどっこい」「ところがどっこい」の区別も知りたくなるし、「どっこいしょ」と「よっこいしょ」が両立することになった経緯だって知りたいのである。

19998 リヨン駅

(ディジョンには、パリ・リヨン駅からTGVに乗る)

 

 そういうことをやっているうちに、午前はカンタンに終わってしまう。中には「どっこいしょはヘブライ語起源」と断定したものもあって、まさに興味は尽きない。柳田國男先生は「何処へ」が語源なのだとおっしゃったらしい。

 

 確かに、重たいものを持ち上げたら、次には「どこへ?」と言いたくなるだろう。引越し業者の力持ちだって、「どっこいしょ」とタンスや冷蔵庫やテレビを持ち上げたら、「どこへ運びましょうか?」と尋ねるに決まっている。

 

 その事情はお神輿や山車でも同じなので、「何処へ?」「何処へ?」が次第に訛って「どっこい」「どっこい」と言うようになった。なるほどそう考えると分かったような気もする。しかしその時ワタクシは「うんとこ、どっこい」と言う時の「うんとこ」の出どころが分からなくなる。

19999 ディジョン

(朝9時過ぎのディジョン駅。まだ閑散としている)

 

「ところが、どっこい」「どっこい、そうは問屋がおろさない」という場合の「どっこい」は、少し意味が違うようである。「相手の意図をさえぎる場合の間投詞」というのであるが、「おいオメエ、何処へ行くつもりなんだ?」の「どこへ?」「どこに?」が起源だと言われれば、何となく納得がいく。

 

 それとは全く別のご意見で、仏教用語の「六根清浄」が元になったんだという人もいらっしゃる。これで「ろっこんしょうじょう」と読むんだそうであるが、六根とは、目と耳と鼻と舌と身と心のこと。他者と触れ合うこの6つ場所は汚れやすいので、修行者は「六根清浄」「六根清浄」と唱えながら修行をしなければならない。

 

 険しい山に登るのは庶民の修行の一種だから、やっぱり「六根清浄」を唱えながら歯を食いしばって登る。修行が足りない人間は、「ろっこんしょうじょう」と発音しながら、息も絶え絶えになってくるから「ろっこん」が「どっこい」に訛り、「しょうじょう」も「しょ」と短くしちゃう。

20000 トラム

(ディジョンのトラム。ワインカラーが印象的だった)

 

 なるほどこの説だと「どっこい」に「しょ」がプラスされた経緯もなんとなく分かったような気がする。「どこへ」説では謎だった「しょ」の説明がくっついているから、ワタクシはこっちの方が好きだ。

 

「よいしょ」「こらしょ」「うんとこしょ」に共通する「しょ」も、きっとこの方面から説明がつくものと思われる。いやはや、スマホをネロネロ、パソコンをポチポチ、いつの間にか午後1時をすぎて、この程度の結論しか出ない。

 

 面倒だからこの辺で切り上げて、4月20日のディジョンの旅について書くことに決める。何しろ「フランスすみずみ」の旅だ。いくらストライキの真っただ中でフランス中の鉄道がマヒしていると言っても、パリの真ん中で安閑としていては、「ちっともスミズミじゃないじゃないか」という批判と非難を免れない。

20001 木組み

(ディジョンはドイツ国境に近い。ドイツ風の木組みのオウチも目立つ)

 

 実は、「鉄道がマヒ状態なら、いっそヒコーキで」とも考えたのだ。ヒコーキなら、パリからアムステルダムの旅も可能。4月中旬から下旬なら、オランダはチューリップの花盛りだ。春のコペンハーゲンもいいだろう。「アンデルセンに挨拶してくる」なんてのも、気が利いてるじゃないか。

 

 しかし諸君、パリからアムステルダムやコペンハーゲンに日帰り旅を敢行しても、それじゃちっとも「フランスすみずみ」にならない。批判と非難はもっと厳しいものになる。しかもヒコーキというものは、直前になると異様にお値段が高くなる。

 

 試しにチョイとアムステルダム便を調べてみたら、往復で12万円もする。コペンハーゲンはもっと高い。いやはや恐るべし。しかもエールフランスは鉄道に便乗して再びストライキの姿勢を見せていた。クワバラ&クワバラ、ここはジッと我慢して、予定どおりディジョンの旅にしておくのが無難だ。

20002 フクロウ

(ディジョンのシンボルは、フクロウ。ほぼ写真と同じ大きさのフクロウマークが、5メートルおきに道路に埋め込まれ、これをたどれば名所を効率的に回れる)

 

 鉄道のストライキは、いささかソフトになってきた。ビシッと全ての列車を止めちゃうんじゃなくて、「この列車とこの列車は動きません」「でもコイツとコイツは動かして差し上げましょう」と事前に発表してくれる。動かす予定の列車のキップは、ちゃんと事前に予約できるのである。

 

 動かす列車が限られているから、当然のように列車は普段よりずっと混雑が激しい。乗客は駅構内に溢れ、電光掲示板を見上げて、何分遅れるのか、いったいぜんたいホントに走るのか、みんな不安げな面持ちである。

 

 TGVの混雑は特に激しい。パリ・リヨン駅からディジョンまでは1時間足らずだから、別に超満員でも何ということもないが、同じ列車でリヨンやマルセイユまで行く人たちはさぞかしたいへんだろう。

 

 パリ発、午前8時。向かいの席を占めたのは、40歳代のママと10歳代前半の娘である。同じ風邪をひいたのか、ずっと2人で咳き込んでいる。

 

 まだ「フランスすみずみ」の旅は1週間が残っているし、最終盤にはクライマックス「サン・マロへの1泊旅」も控えている。風邪がうつったりしてはたまらないから、この至近距離で2人、まる1時間のゲホゲホ攻撃にさらされるのは、精神的にかなり厳しいものがあった。

20003 猫とフクロウ

(中世からの建物の上で、フクロウどんと黒ネコが対峙する)

 

 ディジョンに到着、午前9時すぎ。最近のヨーロッパの鉄道は、定刻でチャンと到着してくれる。そのあたりがこの15年の大きな変化であって、10分や15分平気で遅れていた昔のおおらかな鉄道が、むしろ懐かしいぐらいである。

 

 ディジョンは、かつてのブルゴーニュ公国の首都である。ブルゴーニュの中心都市なんだから、もちろん今井君が目指すのは赤ワインであるが、午前9時ではまさか「ワイン!!」と絶叫するわけにもいかないだろう。

 

 とりあえずは品行方正に名所めぐりを始めるしかないが、ディジョンの町のシンボルはフクロウどん。名所をめぐりやすいように、道路には三角形のフクロウマークが約5メートルおきに埋め込まれていて、このフクロウマークをたどって行けば、名所を効率よく巡れるようになっている。

 

 中世から続く古い教会の上にもフクロウどんがいて、黒ネコどんと長い睨み合いを続けている。かく言うワタクシもフクロウが大好き。30年も前に集めていたフクロウの置物が、今も我が本棚に溢れている。たとえワインがなくても、ディジョンは素晴らしい町なのであった。

 

1E(Cd) Luther Vandross:YOUR SECRET LOVE

2E(Cd) Luther Vandross:SONGS

3E(Cd) Anita Baker:RHYTHM OF LOVE

4E(Cd) THE BEST OF ERIC CLAPTON

5E(Cd) Michael McDonald:SWEET FREEDOM

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