Wed 180411  パリの騒然/モンパルナスに到着/面倒なホテル(フランスすみずみ20) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180411  パリの騒然/モンパルナスに到着/面倒なホテル(フランスすみずみ20)

 こんなに緻密に組み上げた「すみずみの旅」。スケジュールには一分のスキもなし、ヒコーキも電車もバスも縦横無尽に乗りこなして、18日間の旅程からは一切のムダが省かれている。ホントはそう言って胸を張りたいのだ。

 

 しかし諸君、フランスの4月には思わぬ大敵があって、旅だけでパリ滞在のべ80日、マルセイユ滞在40日を誇るスーパー猛者の今井君も、この大敵を前にしてはどうしても攻めあぐむ。

 

 いかんともしがたい難敵の名は、ストライキ。日本の国会でも「審議拒否」というノンキな職場放棄がしばしば発生するが、フランスの場合は鉄道員・航空会社・大学生からリセの中高生まで、ホンキにホンキの命がけで、1968年5月革命の再来を狙ってくる。

 

 ワタクシは、どんなことでも「ホンキのホンキ」が大好き。音読でも「4技能」でも、教育改革にダンコ反対するフランスの若者のストライキでも、もしもそれがホントにヤケドしそうな湯気が立つほどホンキなら、心の底から大応援を繰り広げる準備がある。

19965 夕景

(パリの夕暮れ)

 

 自分に迷惑がかかったって構わない。18日の長旅に2日か3日のムダが出ちゃうのも、また致し方ないことである。それがフランスの若者たちのためになるなら、甘んじて受け入れるしかないじゃないか。

 

 2005年2月から3月にかけて「ヨーロッパ40日の旅」を敢行、それがワタクシの本格的な旅の始まりだったが、あの時も3月のマルセイユで、ストライキのせいで完全に立ち往生した。

 

 学生たちの打ち鳴らす太鼓の騒音の中で、アヴィニョンからマルセイユまで2時間、今井君は笑顔で耐えた。マルセイユのホテルの3階の部屋から、次第に暴徒化していく彼らの訴えを聞いた。ワタクシはマコトに寛容なのである。

19966 ヴァンドーム

(パリ、とりあえずヴァンドーム広場へ)

 

 昨日は憲法記念日にちなんで、40年前のNHK大河ドラマ「獅子の時代」のことを書いた。書くというのはマコトに恐ろしい行為であって、「書いた以上、自分も見なきゃいかんな」と気づいた。

 

 第1回「パリ万国博覧会」、第2回「対決のパリ」、第3回「セーヌのめぐりあい」から始まって、YouTubeで何と第10回まで眺めてしまった。1話45分の計算なら、450分 → 7時間以上もYouTubeにかじりついていたのである。

 

 こういうことは珍しくないので、実は一昨日も似たようなことを演じている。「フランスすみずみ」を書きながら、実は間もなく「イタリアすみずみ」の旅に出る。すると諸君、「モンブランの麓の町・クールマユール」などという情報も入ってくる。

 

 クールマユールは、モンブランをくぐる長いトンネルを挟んで、フランスのスキー基地♡シャモニーに至近の町。ならばちょっとシャモニーまで足を伸ばして、春スキーなんてのも悪くないじゃないか。

 

 それを思いついたら、もうダメだ。今井君のスキー歴はマコトに長い。小学校3年の冬に青森県大鰐温泉や岩木山や、秋田県の田沢湖を訪ねて以来、1980年代の熱狂的スキーブームを経て、あの爽快なスピード感を忘れることはできない。

 

 するとついついYouTubeに手が伸びて、35年前の大ヒット曲、松任谷由実どんの「ブリザード」を聞いちゃった。いったん聞いちゃうと、もう止まらない。午前2時に聞き始めて、ついつい他の曲にも手が伸びて、繰り返し繰り返し何度でも聞いて、気がつくと午前5時を回っていた。

19967 彫像1

(パリ、ルーブル付近で弱い者イジメを目撃)

 

 フランスから帰国して以来5日、日々そんな体たらくを続けている。こんなんだったら、帰国なんかせずにそのままフランスにいて、そのままアルプスのトンネルをくぐって「イタリアすみずみ」に突入すればよかった。

 

 そうは思うのだが、4月から5月のフランスは激しいストライキが継続中。トゥールーズからパリに移動するのも四苦八苦&青息吐息の状況では、やっぱり「いったん帰国」は正しい選択肢だったと思う。

 

 NHK大河ドラマ「獅子の時代」のダブル主人公 → 菅原文太と加藤剛も、大政奉還・王政復古・明治維新に伴って、一度は素直に帰国する。そりゃそうだ、当時のパリだって、1870年にはプロシャとの戦争に負けてドイツ軍に包囲され、「パリ・コミューン」の悲劇もあって、大混乱のさなかである。

19968 彫像2

(ルーブル付近、「げ、オレって脇汗くせんじゃね?」の瞬間)

 

 2018年4月17日、大ストライキ中のパリ・モンパルナス駅に降り立った今井君だって、やっぱり大迷惑をこうむった。トゥールーズのホテルは、もともとの予定では翌日にチェックアウトの予定。1日早くチェックアウトすることについて、奇異の目で見られることになった。

 

 それというのも、エールフランスの便乗ストの影響。国鉄や学生たちのストに便乗して、18日に「全面ストライキをやる」と言い出した。いやはや、ホテル代は全て前払いだったから、1泊分まるまる損するしかなかった。

 

 というか、パリに1日早く到着したから、パリでの宿泊代も1日分多くかさむことになっちゃった。オペラ・ガルニエ前のインターコンチネンタルホテルなら、貯まったポイントで0ユーロ宿泊も可能だったが、残念ながらこの日は「満室」。5万円近く払って、別のホテルを予約した。

19969 ポンヌフ

(パリ、夕暮れせまるポンヌフ付近。ワインパーティーが始まっていた)

 

 エクスペディア経由、大慌てで予約したホテルが、モンソー公園近くの「L'Hotel du Collectionneur Arc de Triomphe」。こんな長ったらしいホテル名は諸君、旅行者は困るのである。騒然とした雰囲気のモンパルナス駅からタクシーに乗り込んで、「ロテル・デュ・コレクショネール・アルク・ドゥ・トリアンフ」と告げなければならない。

 

 それこそ「は?」であり「へ?」であり「なーに?」であって、ストライキで騒然とした駅前の運転手さんにだって、迷惑がかかる。それでなくともモンパルナスは移民の多い町。大きな荷物を引きずってキョロキョロ&右往左往するのは、治安上マコトに好ましくない。

19970 ホテル

(L'Hotel du Collectionneur Arc de Triompheのエントランス。おお、5つ星だったんじゃないか)

 

 それでも運転手さんはすぐに「ロテル・デュ・コレクショネール」を理解してくれた。モンパルナスからアンバリッドへ、エッフェル塔の足元からセーヌ右岸に出ると、凱旋門の恐るべきロータリーを見事に回って、目指すモンソーまで20分あまりで到着した。

 

 新聞やネットによると、パリは1968年5月を思わせる騒然とした雰囲気の真っただ中であるはずだったが、少なくとも今井君がたどったルートだと、平穏というか静穏というか、ストライキもデモも全く感じさせない静かなパリだった。

 

 L'Hotel du Collectionneur Arc de Triompheにようやく到着したが、タクシーはそのクルマ寄せに入れない。カナダとフランスの首脳による晩餐会がこのホテルで行われたらしくて、フランスの一番偉い人々と、彼ら&彼女らを守る屈強なSPの皆様がホテルを完全にブロックしていらっしゃった。

 

 しかし諸君、今井君は首脳やSPを恐れる臆病なサトイモではない。颯爽とクルマを乗り捨て、立ちふさがるSP諸君に向かって「チェックインしたいんだ」と短く告げた。だって、一般の宿泊客にとって、こんなのは迷惑千万じゃないか。

19971 劇場1

(かつてオッフェンバックが大活躍した劇場「ブッフ・パリジャン」を発見 1)

 

 初めてのホテルとは、たいへん面倒くさいものである。これがインターコンチなら、1泊につき10000ポイントももらって、しかもミニバーのドリンクは全て0ユーロ。ミネラルウォーターも1晩で2リットルが0ユーロなのだ。 

 

 しかもオペラ座前のそのインターコンチ、「獅子の時代」の舞台にもなっている。今から40年も昔の1980年、ドラマ第1回から第5回までは、ずっとインターコンチが舞台である。現実の明治維新の当時も、40年前のドラマロケの頃も、ホテルは「LE GRAND」という名の超名門であった。

 

 それなのに、こんなメンドーなネーミングの得体の知れないホテルに泊まって、VIP優先でSPに押しのけられる。「ふん、オレはあの『LE GRAND』のロイヤル・スパイア・アンバサダー・メンバーなんだぞ」と、ついついフロントにズイズイ迫っていきたくなるのであった。

19972 劇場2

(かつてオッフェンバックが大活躍した劇場「ブッフ・パリジャン」を発見 2)

 

 あんまりムカついたので、オペラ座の近くまでラーメンをすすりに行くことにした。トゥールーズ到着からすでに一週間。そろそろラーメンを食べたくなる頃であったが、驚くなかれ諸君、この日から今井君はパリでカレーうどん中毒に陥るのである。

 

 何しろパリ滞在80日のツワモノだ。すでに地下鉄の路線図もみんなアタマに入っている。夕暮れのパリ、ごくテキトーにほっつき歩いても、本物のパリジャンにもパリジェンヌにも負けないほど、マコトに鮮やかに目的地に到着する。

 

「80日」と言えば、4月上旬に東京にやってきたオノボリサンであっても、6月中旬から下旬の状況。確かに大昔のTOKYOでも、6月下旬の頃の若き今井君は、すでに実に大胆不敵に闊歩していたものである。

 

1E(Cd) Incognito:LIFE, STRANGER THAN FICTION

2E(Cd) Incognito:FUTURE REMIXED

3E(Cd) Incognito:ADVENTURES IN BLACK SUNSHINE

4E(Cd) Incognito:WHO NEEDS LOVE

5E(Cd) Incognito:NO TIME LIKE THE FUTURE

total m55 y595  d23065