Tue 180410 憲法記念日に「獅子の時代」を思う/パリへの列車(フランスすみずみ19) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 180410 憲法記念日に「獅子の時代」を思う/パリへの列車(フランスすみずみ19)

 5月3日は、ワタクシが生まれた遥かな昔からずっと「憲法記念日」であって、新聞もテレビも毎年それなりに力のギュッと入った特集を組むのである。

 

 その世論調査の結果がA新聞とY新聞でこんなに違ったんじゃ、読者としては「おやおや」と肩をすくめざるを得ない。法律は、あまりに難しい。何しろ最高学府の東京大学でさえも、法学部系の人気はどんどん下がっていく。

 

 今や東大文科Ⅰ類は、文科Ⅲ類に追い抜かれそうな状況だ。司法試験だって、大学受験で痛い目にあった若者が、「今に見てろ」「見返してやる」とコブシを握りしめる世界になっちゃった。法律のこと、憲法のこと、ヒトビトは政局にするぐらいしか関心を居抱かないのかもしれない。

19957 菜の花1

(4月のフランスは、満開の菜の花で黄色く染まっている 1)

 

 むかしむかし1980年、珍しく幕末でも戦国でもなく、明治初期を扱ったNHK大河ドラマがあった。「獅子の時代」、菅原文太と加藤剛のダブル主演。1889年、日本人がたった1度だけ、自らの手で憲法を作り上げるまでの物語である。

 

 詳しくは、いろいろググってくんろ。第1回のタイトルが「パリ万国博覧会」、第2回が「対決のパリ」と言うんだから、まさに異色の大河ドラマである。

 

 オープニングの音楽が宇崎竜童とダウンタウンブグウギバンド、挿入歌も宇崎竜童「Our History Again」、オープニングはずっとライオンだらけ。異例ずくめの制作だった。

 

 その最終回の最終盤、今は亡き根津甚八が演じる伊藤博文が大映しになり、和田篤アナウンサーのナレーションが入る。「明治22年2月11日、大日本帝国憲法が発布された」「伊藤博文、生涯の晴れ姿であり…」。ドラマを彩った俳優たちの晴れやかな笑顔がアップで流れていく。

 

 諸君、これだけはどうしてもYouTubeで見てくれたまえ。バイアスのかかりまくった新聞各社の世論調査より、はるかに深く憲法について考えさせられると思う。「獅子の時代 51回エンディング」で検索。マコトに鮮やかに全編が締めくくられている。

19958 病院

(ガロンヌ川からトゥールーズ旧市街を望む)

 

 菅原文太は会津藩士の役。加藤剛は薩摩藩士役。幕末から維新にかけての泥沼の内戦を経て、初めて自ら憲法を作るアジア国民の悪戦苦闘の物語である。確かに憲法は完成した。しかしその憲法は失望の所産であり、近未来の悲劇を予告するものであった。

 

 エンディングでは、2つの悲劇が語られる。1つは秩父事件。「自由自治元年」の旗を掲げ、たった1人で明治政府軍に立ち向かった元会津藩士は、その旗を泥と銃弾に蹂躙され、しかしその後も1人で権力に抗い続ける。

 

 もう1つの悲劇は、旧・薩摩藩士である。明治憲法に夢を希望を託し、自ら憲法草案を書き上げるが、闇から闇へと葬り去られる運命。いよいよドラマ最後のシーンにいたり、挿入歌「Our History Again」をバックに、憲法に命をかけた彼 → 旧・薩摩藩士の独白が入る。

 

「国民は、愚か者ばかりにあらず」

「国民の声を聞かず、政府官僚が独裁独善に陥れば、必ず国は破局に向かう」

「願わくば日本国憲法は、国民の自由自治を根本とした…」

いやはや、こりゃ若い諸君諸君、どうしても今日のうちに見なきゃいかん。

19959 市庁舎

(トゥールーズ最終日、キャピトル広場にて)

 

「医学部志望」という諸君は、その直後のシーンにも注目だ。実在の人物「高松凌雲」、尾上菊五郎が演じている。

「貧乏人からカネなんか取らねえ病院だ」

「パリで見たろ。自由・平等・博愛だ」

 

 フランス語なら、「リベルテ、エガリテ、フラタニテ」。五稜郭戦争のさなか、函館で赤十字病院の元となる大活躍を見せたのが、幕末の医師・高松凌雲である。

 

 物語の締めくくり、凌雲の援助を得てパリの医学校に留学することになった「ヤスコ」という女学生の顔が大写しになる。パリに向かう列車は、おそらくマルセイユ・サン・シャルル駅発、パリの到着駅は「Gare de Lyon」である。

 

「パリでの対決から、23年が経っていた」。明治憲法への失望と、日露戦争とアジア侵略への暗い予感の中、新しい世代はマコトに頼もしく成長し、旧世代の人間たちの中にも、権力に激しく抗い続ける者がいる。うぉ、さすが脚本は山田太一。涙なしには見られない。

19960 ドンジョン

(トゥールーズ最終日、馴染みの「ドンジョン」にしばしの別れを告げる)

 

 まだコドモだった今井君は、モトモト完全な文学部志望でありながら、こういうドラマに激しい影響を受けて「医学部志望!!」だの「22世紀の新日本国憲法の草案を書く!!」だの、身の丈に合わない志望に来る日も来る日もニギリコブシを握り続け、気がつくと浪人生活に転落していた。

 

 そして諸君、2018年4月17日、すっかり中年になった今井君は、医学校に留学する「ヤスコ」同様、パリに向かう列車の中にいたのである。大日本帝国憲法の発布から、実に130年が経っていた。

 

 そのルートは、「ヤスコ」とほぼ同じなのである。「ヤスコ」のルートは、横浜か神戸からお船でマルセイユへ、列車にはマルセイユ・サン・シャルル駅から乗車、リヨン、デョジョンの町を経て、パリのGare de Lyonに至る。

 

 130年後の今井君は。トゥールーズ・マタビオ駅からTGVに乗車。ボルドーの「サン・ジャン駅」からTGVは320km/hの最高速度で走り抜き、パリのモンパルナス・ビアンブニュ駅に到着した。

19961 ブドウ

(ボルドー付近の車窓は、見渡す限りの葡萄畑である 1)

 

 ドラマの収録では、Gare de Lyonが何度もロケ地として使われている。ロケだって、大昔のパリだ。コンコルド広場でのロケもあった。第3回のタイトルは「セーヌのめぐりあい」。いろいろ難題もあっただろうが、そのぶん素晴らしいドラマに仕上がった。

 

 コドモだった今井君が、最後に真剣に見たNHK大河ドラマである。1980年以降は、幕末と戦国の繰り返しがバカバカしくて、大河なんかちっとも興味がなくなったけれども、「獅子の時代」、これは何と51回分、全部を今でも視聴できるんだという。憲法記念日のオススメとして、総集編だけでも観ていただきたい。

19962 ボルドー駅

(ボルドー、サン・ジャン駅。2年ぶりの再会だ)

 

 というか、「フランスすみずみ」の旅の記録と、「獅子の時代」のヤスコをダブらせて、自分のトゥールーズからパリへの移動の話を始めた今井君の、この手腕の見事さはどうだ。こりゃほとんどプロ級だ。とても、「市井の一般人」とは思えませんな♡

 

 130年前の「ヤスコ」も、そのまた23年前の会津藩士・菅原文太どんも、ほぼそっくりの春の田園風景に見入ったんじゃないだろうか。フランスは、昔も今も素晴らしい農業国なのである。

 

 19世紀、パリ万国博覧会の頃は、大作家ゾラの全盛期である。ゾラは「居酒屋」「ナナ」「ジェルミナール」で産業革命期フランスの残酷な労働環境を描いた。工場も炭鉱も、人間性をほぼカンペキに無視してフル稼働を続けていた。

 

 しかし諸君、いったんパリを離れて農村に出れば、非人間的だった150年前だって、今と変わらぬノドカな風景がどこまでも広がっていたはずである。4月、フランスの農村は菜の花畑の鮮やかな黄色に染まっていた。

19963 ブドウ2

(ボルドー付近の車窓は、見渡す限りの葡萄畑である 2)

 

 春のフランスは、菜の花の花盛りなのである。畑の小麦も長く葉を茂らせ、サクラやフジが鮮やかな花を咲かせ、時おり現れる牧場では、赤や茶色や白の牛がTGVの轟音を無視して平然と草を噛んでいる。

 

 ボルドーまでは、どこまでもつづく葡萄畑。「フランス人って、ワインのことしか考えてないんかいな?」と、ふと呆れるほどである。しかしボルドーを出て320km/hの走行を始めたTGVの車窓には、牧場と小麦畑と菜の花畑の3つが代わる代わる占拠するばかり。極めて単純&タイクツである。

19964 菜の花2

(4月のフランスは、満開の菜の花で黄色く染まっている 2)

 

 この平和な風景には、130年前の医学生「ヤスコ」だって、さぞかし胸を撫で下ろしたに違いない。幕末から会津戦争・五稜郭戦争・徴兵制・西南戦争を経て、明治22年2月11日の憲法発布まで、日本では「のどか」という贅沢品を味わうヒマはなかったのだ。

 

 もちろんそれはフランスも同じこと。19世紀末のフランス史をたどってみたまえ。その血なまぐささは、日本をはるかに凌駕する。「ヤスコ」のその後はいかに。ワタクシは今、若き医学生「ヤスコ」のその後を描いたドラマがみたいのである。

 

1E(Cd) Kirk Whalum:UNCONDITIONAL

2E(Cd) Sheila E.:SEX CYMBAL

3E(Cd) Sheila E.:SHEILA E.

4E(Cd) Incognito:BENEATH THE SURFACE

5E(Cd) Incognito:100°AND RISING

total m50 y590  d23060