Mon 180319 花より団子/ヤタガラスに心を癒される/仕上げはいのしし鍋/クマの予習 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 180319 花より団子/ヤタガラスに心を癒される/仕上げはいのしし鍋/クマの予習

 大昔から「花よりダンゴ」と言い、または「花より男子」とも言って、どんなに桜の花が美しくても、人と言ふものはマコトに食い意地の張った生き物である。

 

 ヒトの中でも特に今井君は食い意地も飲み意地も人並みをはるかに超えていて、いったん「なんだ、せっかくの吉野の桜がみんな散ってるんじゃ、食うか飲むかしかないじゃないか」とムクれてしまえば、もう頭の中には「何を食うかな」「何を飲むかな」の選択しか残っていない。

 

 そして諸君、飲むものも食うものも、そこいら中に溢れているのである。午後3時ぐらいからどんどん気温が下がってきたから、あんまり寒くて居ても立ってもいられない。

 

 震えながら坂道を下ってきたワタクシの目の前に展開された光景こそ、今日の写真の1枚目、ヨモギ団子がズラリと焼ける、素晴らしいスペクタクルである。焼き目もキレイ、カホリも超一流、「これを食べずに何が花見だ?」の世界である。

19807 団子1

(吉野・吉水神社付近で、ヨモギ団子の店を発見)

 

 だって諸君、「花よりダンゴ」とは中2か中3で習得すべきごく基本的な比較構文であって、高校入試の定番だろう。「… like 団子 better than 桜の花」なのであって、団子の比較対象である桜の花なしには成り立たない。それなのに、一目千本の吉野のヤマザクラは、「影も形もない」というアリサマだ。

 

 ならば致し方ない、早速ダンゴに飛びつこうじゃないか。選んだのは、キレイに焼き目のついたヨモギ団子。贅沢にアンコまみれになった団子4兄弟も存在したが、この日の今井君の選択は、みたらし4兄弟。焼き目のことでケンカなんかしない、マコトに仲良しそうな諸君であった。

 

 焼けてからちょっと時間が経過していたのか、「あちちちち」と絶叫しながら目を白黒させて飲み込む「東海道中膝栗毛」みたいなシーンは再現できなかったが、まあいいや、いくらかお腹が膨れれば、寒さも少しは凌げるじゃないか。

19808 団子2

(焼き目にみたらしの光景がたまらない)

 

 この段階で、一応は「吉水神社」に入ってみることにした。いわゆる「一目千本」は、この神社の境内から遥かな吉野の奥山を望むのである。全山が綿菓子みたいなピンクに染まれば、そりゃその美しさは一生の思ひ出になるだろう。

 

 歌舞伎や人形浄瑠璃で「義経千本桜」をやる場合、静御前と忠信狐の一場面「道行初音旅」の背景の書き割りは、まさにこの吉水神社からの「一目千本」である。

 

 だから諸君、「一度は見てみたい」「きっと絵に描いたみたいな美しさだろう」と憧れているその光景は、歌舞伎座や国立劇場に熱心に通いつめていれば、まさに「絵に描きました」という状態で何度も目撃しているのだ。

 

 ところがマコトに残念なことに、いま実際にその場に来てみると、一昨日の朝から昨日の午後までそこにあった夢のようなピンクの世界は、風と雨に吹き払われて跡形もない。ホンの少しだけ残ったピンクの残影に、想像力をたくましゅーする以外に方法はないのである。

19809 吉野山

(吉野の一目千本、前夜の嵐でこんな光景になってしまった)

 

 ということになれば、次はお酒の出番である。団子で小腹は満たした。あとは心の問題なので。冷え切った心を美味しい日本酒で浮き立たせれば、想像力もいっそう掻き立てられて、夢の枯れ木に桜の花が豪華絢爛に咲き誇るに違いない。

 

 吉水神社を出てすぐのところに、幸いなことに吉野の造り酒屋がお店を開けていた。「1杯500円」。樽出しの生酒をヒノキの枡に注いでくれる。枡には「やたがらす」の文字。ワタクシは白い濁り酒を選んだ。吉野に酒蔵のある北岡本店のお酒である。

 

 400年前、交通の要衝・吉野で金融業を始めたのが店の起こり。1860年代に酒や醤油の醸造を始めたんだそうな。「やたがらす」とは、漢字で書けば「八咫烏」。なかなか難しい漢字じゃないか。

19810 吉水神社

(吉野・吉水神社。南朝の本拠地であった)
 

 神武天皇が東征の際、熊野から大和に向かう途中、吉野の山中で道に迷われた。その時に天の神様が道案内として「やたがらす」を遣わした。3本足の大型カラスであって、太陽の精であると言われている。

 

 そういうたいへん目出度くも由緒あるお酒である。たった500円でマス酒をいただき、おお、サトイモの肉体もどんどんポッポと煮えてきた。「一目千本」の夢は虚しく消えても、また来年、そのまた来年、桜は毎年この山を彩るのであって、また何度でもここに来ればいいことだ。

 

 この辺のポジティブ思考こそ、お酒の素晴らしい威徳であり恩恵であって、北の寒風にさらされ桜の夢も虚しく消えた肉体と精神をあっという間に立ち直らせてくれる。

 

 それを思えば、「神武天皇が道に迷われヤタガラスに道案内を受けた」というのも、実は同じことなんじゃないか。神武天皇ともあろう尊いお方が現実に「道に迷う」などということがあるはずがない。

 

 何かのキッカケでしょんぼり、やる気を失われた。しょんぼり状態の神武天皇の目の前に出現したヤタガラスこそ、今ワタクシの手の中の枡で揺れている美しく白く濁った飲み物なのだ。

 

 これさえあれば、ちょっとやそっとのしょんぼりなんか、「しょんぼり&しょんぼり、飛んでいけぇ」であって、3本足のヤタガラスが、しょんぼりの種をワッシと掴んでどこかに捨てにいってくれる。

19811 やたがらす

(やたがらす、マス酒1合で癒された)

 

 こうして諸君、21世紀の今井君もまた、ヤタガラスに救われた。その前にヨモギ団子にも救われたのだが、団子は胃袋、ヤタガラスは心。救いどころというか、効能が適材適所にちゃんと分かれている。

 

 ただし胃袋のほうは、団子だけではとても救われきれない。温かいお蕎麦かうどんがどうしても必要だ。さっき吉水神社を出たところで「静」という名前のヨサゲなお店があった。もちろん静御前の静なんだろうけれども、メニューは定食類がメイン。温かな湯気ホカホカを求める今井君としては物足りなかった。

 

 ますます吹きつのる北風の中、吉野駅のほうにどんどん坂を下りていく。午後4時を過ぎて、飲食店は店を閉じ始めた。「こりゃこのまま食いっぱぐれか?」「大阪に着くまで我慢せにゃいかんのか?」。道に迷った神武天皇のしょんぼりが、再び黒雲のように襲ってきたのである。

 

 まさにその時発見したのが、「いのしし鍋」の看板。お店をのぞいてみると、もうほとんどお客の姿はなくて、店の人たちも何だかそわそわ、土曜日の店じまいは時間帯が普段より少し早いのかもしれない。

 

 恐る恐る尋ねてみると、「どうぞどうぞ」と優しく招き入れてもらえた。いやはや神様&ホトケサマ、ありがたや&あ

りがたや、寒風の中で飢えなくて済んだ。

19812 熊肉

(いのししのお肉。いささかアブラ身が多くても、吉野の桜をこういう形で満喫するのも悪くない)
 

 さっそく注文したのが、いのしし鍋。写真の通り、アブラ身が圧倒的に多い。うーん、ホントはもっとずっと赤身肉が欲しいところだが、予約もせずに突然訪問したのだ、普通の人々が「あまーい!!」「何だこりゃ?」「臭みもないですね!!」「とけちゃったぁ♡」とギョロメを剝きだすアブラ肉も、そりゃ致し方ないのである。

 

 実はワタクシ、翌日の大阪でクマの肉の鍋を貪る予定になっていた。朝11時から午後3時半までは、国立文楽劇場で人形浄瑠璃。その後ちょっと飲み屋に行って、飲み屋の後の2次会が、大阪・玉造にあるクマ鍋屋の予定なのだ。

 

 だから、今日の予定外のいのしし鍋は、いわばクマ鍋の予習なのである。予習なら、若干アブラが多いのもまた一興じゃないか。見た目には、一目千本の桜のように見えるいのしし肉を、ほとんど手づかみで鍋に放り込み、その姿を目撃した店のオバサマが、恐ろしそうに苦笑しながらその場を去ったのであった。

 

1E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION

2E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA

3E(Cd) Dutoit & Montréal:RESPIGHI/LA BOUTIQUE FANTASQUE

4E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 1/2

5E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 2/2

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