Sun 180311  戻り道の哀愁/復路の楽しみ/一筆書きな人々(またシドニーの12月 21) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 180311  戻り道の哀愁/復路の楽しみ/一筆書きな人々(またシドニーの12月 21)

 コドモとオトナの違いは、もちろんいろいろあるだろうけれども、最近のワタクシは、

「復路の楽しさを知っているか」

「戻り道の妙味を味わえるか」

「帰り道の哀愁を満喫できるか」

ということなんじゃないかと考えるようになった。

 

 ピクニックに行っても、ドライブに出かけても、帰り道のコドモというものは、電車やクルマの中でグッスリ眠ってしまっている。出かけるときはあんなにハシャいでいたのに、遊び疲れたわけじゃなくても完全に熟睡、叩き起こされても目を覚まさない。

 

 そういうコドモが中高生の年齢まで何とか成長しても、まだちゃんとしたオトナになりきっていない証拠に、やっぱり「戻り道の哀愁」「復路の味わい」を知らない。

 

 まあほとんどが「ゲームに熱中」、または「馬鹿騒ぎに夢中」。うっとりと夕暮れの帰り道の風景を味わうヤツはほぼ皆無だ。まあ諸君、家族旅行でも修学旅行でも、帰り道の中高生があんまり「うっとり」というのも気色悪いし、帰り道の車窓を眺めてうるうるしてたんじゃ、「フシギちゃん」と呼ばれてしまう。

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(ハーバーブリッジの戻り道、オペラハウスの夜景に感激)

 

 だからこの「戻り道の哀愁」、オトナの特権なのである。伊豆か箱根の温泉に2泊した帰り、電車の車窓から一瞬見えた海の光景なんてのもいい。海外旅行で一番深く胸に突き刺さるのは、帰りの空港のお店やレストランを覗きながら「あーあ、日本に帰るんだな」と呟く瞬間である。

 

 お正月の箱根駅伝だって、1月2日の往路、箱根の山登り、その辺に夢中になるのは、まだコドモの証拠。オトナは「もうお正月が終わっちゃうな」という1月3日、復路の哀愁を味わうのである。

 

 1990年代、スキーに熱中していた時代があって、毎年3月には北海道のニセコに一週間も連泊してスキーを満喫した。そういう時も、一番感激するのは最終日の最後の1本なのだ。ゴンドラの駅から、さらにスキーを担いでニセコの山頂まで登る。「今年はこれで最後」という4kmを滑り降りると、熱い涙が湧き上がった。

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(シドニー港と旧市街の夜景)

 

 人生を80年と設定すれば、往路が40歳まで、折り返し点が40歳、そこから先が待ちに待った「復路」であり「戻り道」ということになる。戻り道の味わいと哀愁がわかるオトナになったちょうどその年齢で、人はマコトにタイミングよく戻り道を歩み始めるのだ。こりゃ人生、マコトにうまく出来ている。

 

 だからまあ、39歳までは戻り道の妙味なんか分からなくていい。39歳までは「あたしゃまだコドモなんだよ」と、ちびまる子ちゃんよろしく疲れた声で呟きながら、ひたすら往路の山道を登ればいい。片手にはスマホ、ゲームに熱中しながら仲間と馬鹿笑い、前進のことだけ考えていればいい。

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(夕暮れ迫るオペラハウス。フェリーは明かりをつけはじめた) 

 

 いやはや、今日もまた前置きが長いじゃないか。「えっ、これが前置きだったの?」と、読む人が呆れるぐらい長い前置きを書いて、「それで結局、本題はなーに?」であるが、12月27日、ワタクシは夕暮れからシドニーのハーバーブリッジを橋の向こう側に渡り、その戻り道で美しい夜景をたっぷり楽しんだ。

 

 往路の橋の上は、中国の皆様でいっぱいだった。大型観光バスでワーッと詰め掛けて、一団になって橋を渡っていく。韓国の人々の団体も混じって、橋はアジア人に占拠された感がある。聞こえてくるのは、ひたすら中国語。韓国の人たちは、圧倒されてしまったのか、余り口をきかない。

 

 しかし諸君、中国の皆様は「橋を向こう側に渡る」ということだけが目的なので、関心があるのはひたすら往路なのである。渡りきった向こう側にバスが待ち受けていて、再び乗り込んだバスで次の目的地に向かう。

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(オペラハウスの夜景が美しい 1)

 

 だから戻り道をトボトボ、こんなキレイな哀愁に満ちた夜景を眺めて帰るのは、日本のワタクシぐらいのものである。夜8時、夏の夕陽もすっかり沈んで、橋の上にはもう人影がほとんどない。クルマの数も減り、同じ橋を通る電車の轟音も間遠になった。

 

 こういう雰囲気の中、オペラハウスの白い屋根がますます美しく見えるのである。オペラハウスの向こう側にはシドニー旧市街の高層ビルが並ぶ。手前のシドニー湾を、明かりをつけた小型フェリーがまだ忙しく走り回っている。

 

 こりゃ写真の撮り放題だ。ナンボ撮ったか分からないぐらい、同じような夜景の写真を撮りまくった。もっとも、読者諸君にお見せできるような鮮明な写真は数えるほどしかない。オーロラでも月食でも夜景でも、ワタクシが使っているコンパクトカメラやスマホじゃ、ギュッと自慢できるようなのは撮影できない。

 

 だからマコトに残念なのである。「この夜景、何だかカレンダーの最後のページ、12月のカレンダーにピッタシだな」と思う反面、どうしてもカメラの限界を露呈する。

 

 他には誰もいない夏の海の橋の上、爽快な海の夜風に吹かれながら、こんな素晴らしい夜景を見ているのに、その感激を誰にも伝えられない。「日本に帰ったら、いいカメラでも買いますかね」ではあるが、あんなデカイものを買って、今後の旅が億劫になるのもイヤなのである。

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(オペラハウスの夜景が美しい 2)

 

 こういうふうに書いてくると、意地悪な人は邪推するかもしれない。「戻り道の哀愁を満喫できるのがオトナ」ということは、大型観光バスでワーッとやってきて、橋の往路を楽しんだだけで次の場所に移動する中国の皆様を、まるで今井は「子供っぽい」と揶揄しているみたいじゃないか。

 

 それが、全く違うのだ。コドモたちは「復路の楽しみ方を知らない」「せっかくの戻り道をグースカ眠って過ごす」。中国の皆様はそうじゃなくて、最初から「復路」も「帰り道」も設定しない。とっとと先に行ってしまう。次元が違うのだ。

 

 彼ら&彼女らの旅は、「折り返し点」とか「往路&復路」とか、そんなメンドーな考え方を必要としない。ひと筆書きの旅こそ理想、同じ風景を2度見るより、ひと筆書きに効率よく旅先を周り、時間のロスを可能な限り省略するのである。

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(オペラハウスの夜景が美しい 3)

 

 ということは、人生も同様にひと筆書き。40歳あたりに折り返し点を設定してシミジミ哀愁を味わったり、そんな無駄なことはしないのだ。こりゃ確かに日本人とは異次元であって、ひと筆書きなら間違いなく人生の全てが一期一会。集団での爆買いのチャンスは決して逃さない。

 

「また帰りに立ち寄るからいいや」。そう言って素晴らしいチャンスを逃すのが、日本人の悪いクセ。むかしから「チャンスはハゲ頭」といい、前髪を捕まえずに消極的に行き過ぎれば、振り返った時にはもうそこに捉えるべき髪の毛はないのだ。

 

 まあ諸君、以上のようなことをしみじみ考えながら、夜のシドニーを徘徊したのである。結局この日の晩メシは、部屋にたまったいろんなスナックをかじって終わりということになった。いろいろ思い巡らしているうちに、どんどん店が閉まっていく時間帯になっちゃったのである。

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(オペラハウスの夜景が美しい 4)

 

 それでもオーストラリアなら、「スナックをかじる一晩」も、それなりに楽しいのである。テレビをつければ、1日中ラグビーを放送しているチャンネルが3つも4つもある。ラグビーに飽きたら、クリケットの中継だってある。

 

 日本の場合、ずっと同じニュース、ずっと似たようなバラエティ、仲間うちの内輪ネタで盛り上がるトーク番組、キャベツやモヤシをナマでかじって「あまーい!!」と絶叫、いくらチャンネルをいじっても、どうせそんなのしか見られない。

 

 そこへいくとシドニーなら、ラグビーにクリケットにオージーボール。ビールとスナック菓子で何時間でも過ごせるのは当たり前だ。諸君、ワタクシは将来、シドニーかメルボルンへの移住を夢みているのである。

 

1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2

2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2

3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2

4E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO

5E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL

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