Wed 180228 春の雪/温まるには銀座の極極辛カレー/市ヶ谷で新高1生に熱く語る
何なんだ、この全く映えない写真は? 今やインスタでもブログでも、最大の関心事は「映えるか映えないか?」であって、今や諸君、昭和男子が毛生え薬の瓶を見つめて「生えるか生えないか」と思い悩んでいたよりも、はるかに重大な問題に成長した。
それにしても、話はずいぶん矮小化したのである。シェイクスピアの時代に問題になっていたのは「生きるか死ぬか」または「生か死か」「このままでいいのかいけなのか(小田島雄志訳)」であって、Mac君が「せいかしか」を「成果歯科」と変換して茶化すのは勝手だけれども、とにかく深淵な問題だった。
それが諸君、世界中の若者、世界中の中年、世界中の高齢者、センセも生徒もナースも医者も、幸せな人間たちの日々を満たしている問題は「映えるか、映えないか」に集約されてしまった。
どうだい諸君、21世紀のシェイクスピアを目指すなら、早速「映えるか映えないか、それが問題だ」、そのセリフを中心に据えて、戯曲の1つも書いてもみないかね。
(春の雪と、ヒヤシンス君)
ところが諸君、今井君の今日の1枚目、このあまりに映えない写真を見てくれたまえ。3月上旬、超多忙のワタクシを慰めてくれたのが、このヒヤシンス君だった。東奔西走&南船北馬からオウチに帰ってくるたびに、このヒヤシンスを眺めて目を細めた。
しかしこうして、もうすっかり枯れてしまった。枯れかけたのが3月10日。枯れ始めると速いもので、11日から13日、福岡3連泊から帰ってきたときには、もう見る影もなかった。
屋内からベランダに戻して、来年に備える。きっと新しい球根が出来て、来年もまた美しい紫の花が咲くだろう。そう思ってホクホクしていた3月21日、東京は朝から非常識なほど冷え込んで、午前11時から大粒の雪が降り出した。
ヒヤシンスもスイセンももう花は終わり、来年の準備を始めたし、近所のサクラの花もちらほら花を開きかけていたのに、お空からは容赦なく大きな雪が降ってくる。
我がベランダにも、雪が積もり始めた。1月の大雪の夕暮れにミニかまくらを作成、懐中電灯を突っ込んで悦に入ったあたりに、数ミリから1cmほどではあるが、雪の層が出来た。
こりゃ寒い。サトイモの肉体は芯からギュッと凍えてきた。床暖房もガスヒーターも、何だか全く効いてこないのである。ニャゴロワも、ニャゴの座布団の上に丸くなって、ガスヒーターの温風を浴びて気持ちよさそうに丸まっている。
(銀座「デリー」にカレーを食べに行く。右から極極辛「カシミール」、極辛「カラヒ」、普通辛「コルマ」の順)
こういう時は、やっぱり肉体の内側から温めるに限る。熱燗もいいですな。熱くなってきたお相撲春場所でもテレビで眺めながら、午後4時の熱燗ちびちびなんてのは、まさに中年の天国だ。ワタクシは一瞬、徳利に日本酒を注ぎかけた。
しかし諸君、それじゃあんまり中年くさいじゃないか。オヤジ臭と加齢臭がプンプン漂う行動じゃないか。いつまでも若々しいままでいたいワタクシとしては、「そこまで堕落してはいかんね」と、自らに厳しく言い聞かせた。
そこで第2の選択肢として選んだのが「カレー」。それも「近所のカレー屋」と言うんじゃ、やっぱりオヤジ臭が漂うから、降り続く雪の中、あえて電車で銀座に向かったのである。
吐く息が白い。駅まで差していった傘をすぼめると、お手手がしびれるほどに冷たい。「こんな日に、あたしゃ何やってんだ?」「新講座E組の収録開始まであと5日、風邪でもひいたらどうするんだ?」。そういう自責の念に苛まれるが、「デリー」のカレーの誘惑は、自責の強さをはるかに超えていた。
夕暮れの銀座は閑散としている。雪は冷たい雨に変わった。雨は雪よりもっと冷たくて、歯の根が合わないほどに寒い。気温は2℃とか3℃とか、この時期の東京では考えられないところまで下がっている。
今日が卒業式の諸君、入学が決まって今日上京してきた諸君にとっては、さぞかし厳しい天候だっただろう。そういえば遥かな昔、18歳の今井君が上京して下宿を探した1日も、東京はこんな雨が降っていた。石神井の下宿を1軒だけ見て、あんまり寒いからその1軒ですぐに決めてしまった。
(選んだワインはベリンジャー。ワタクシは、このランクのワインで十分だ)
銀座の雨に、そんな大昔のことを思い出しながら電通通りを南へ、銀座電通から至近の「デリー銀座店」に入った。昨年の夏から、1ヶ月に1回はこの店を訪れている。
だからブログに掲載する写真も、もうすっかりお馴染み、読者諸君も「また同じような写真ですね」「全然かわり映えしませんね」とガッカリするかもしれない。「映える」の別バージョンに「かわり映える」なんてのもあるのである。
ま、その辺は諸君、許してくれたまえ。馴染みのカレー屋の定番カレーだ。そんなに画像が変わるはずもない。注文したのはお馴染み「3種のカレー」。極極辛の「カシミール」、極辛の「カラヒ」、普通辛&タマネギたっぷりの「コルマ」。いつもの3つを選択した。
しかしこれだけの量のカレーに、ライスはごくごく控えめである。極極辛と極辛の2品だけで、カンタンにライスはなくなってしまい、サトイモ君はアタマから背中まで汗みずく、顔面と頭部をぬぐっていたハンカチは、「しぼれば水滴が滴るよ」という恐ろしい次元に入る。
だから最後に残った普通辛の「コルマ」は、カレーだけで食べるのである。ますます全身がホッホ、ホッホ&ホッホ、さっきあんなに春の雪に凍えていたのがウソのようである。というか、すでにサトイモは「プールでひと泳ぎしてきました」というモードに入っていた。
(銀座デリーでハンバーグ2個も追加。おいしゅーございました)
こういうふうだから、翌日の市ヶ谷での公開授業だって、気合の入り方はハンパなものではない。相変わらずホッホ&ホッホ、口から真っ赤なホノホが吹き出る勢いである。
しかもさすがにカレーの勢いであって、真っ赤なホノオはマコトに辛口になる。もともと今井君は辛口なのであるが、その辛口にギュッと磨きがかかって、極辛ないし極極辛のスーパーホットな公開授業になっていく。
対象は、新高1生とその保護者。会場は市ヶ谷の元シャープ本社ビル。遥かな昔のシューカツ時、今井君が重役面接で「第7志望です」と言い放ったまさにそのビルは、いまや「TKP」という不動産屋さんの管理下にある。
出席者、約100名。全員が今井君とは初対面。だからこの参加者数は、奇跡的なことである。我々のところには「中3生」という夢のような集団は一切存在しない。だからいま目の前に集結した新高1生は、すべてゼロからの出発なのである。
(市ヶ谷の大盛況。「大変革だからこそ基礎基本」を熱弁 1)
保護者の皆様も、たくさん集まっていただいた。何しろ2020年は入試制度改革の年。新高1生はがその年に大学を受験する年齢である。特に英語は「何が何でも4技能」であって、新高1生以上に、保護者の不安と関心はたいへんな高まりを見せている。
塾関係のテレビCMなんか、
「ウチはこんなに新しいことをやります」
「ウチだって負けてません」
「新しいこと、ナンボでも企画中です」
そういう姿勢で、不安に苛まれている保護者と新高1生に、自らの新しさをアピールすることに夢中だ。
しかし諸君、そういう時代だからこそ、超べテラン今井が熱く訴えかけるのは、
「落ち着きたまえ」
「慌てなさんな」
「大変革の時代だからこそ、落ち着いて基礎基本徹底なんじゃあーりませんか?」
ということなのである。
「こんなに難しくなります」「読めるだけじゃダメなんです。話せないといけません」。各予備校のヒトビトが、パワポの資料を夢中でカチカチやりながら、「だからウチの塾へ」と熱弁を繰り返しているだろう。
だからこそ今井君は、決してパワポを使わない。落ち着きたまえ。落ち着きたまえ。大変革の時代こそ、頼るべきは基礎と基本。基礎基本が我々を裏切ることは決してないのである。単語・文法・音読の徹底。語学において、それ以上に頼れるものが他にあるだろうか。
保護者も新高1生も、超ベテランの熱弁に完全に魅了されていく。基礎基本を徹底するのに、高1の春ほど相応しい時期は、他に考えられない。
高1の夏までに、単語をやっちゃいな。高1の夏までに、文法も終わっちゃいな。音読は1日30分、大学の入学式まで怠ってはならない。そういう今井の熱弁に、男女御三家、新御三家、いよいよそういう晴れがましい高校に進学する諸君と、もちろんそのパパ&ママも、熱く&熱くうなずき続けるのであった。
1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 8/10
2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 9/10
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 10/10
4E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 1/5
5E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 2/5
total m141 y296 d22767