Sat 180210  杉山君との探検の日々/大阪梅田「Buzz」でシカ/名門「揚子江」の超淡白 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 180210  杉山君との探検の日々/大阪梅田「Buzz」でシカ/名門「揚子江」の超淡白

 小学生の頃、やっと秋田にも春が来ると、幼い今井君は「探検」に夢中になった。秋田の春は遅い。2月下旬に一応根雪は融けるが、せっかく出現した黒い地面に、3月になって何度も繰り返しまた雪が積もった。カンペキに「春が来た!!」と絶叫するのは、3月下旬の頃である。

 

 何しろ幼い今井君は「図鑑オトコ」である。「植物の図鑑」「昆虫の図鑑」「鳥類の図鑑」「魚介の図鑑」。そんなのみんなほとんど暗記している。春先に野原に出れば、雪が融けた地面にムクムク頭を出した雑草の名前もみんな暗記していた。

 

 ウシハコベ・オオイヌフグリ・スズメノカタビラ・スズメノテッポウ・カラスノエンドウ。そういう地味で目立たない雑草を引き抜いてきて、押し花にして、ひたすら植物標本を作った。クラスの女子に人気のないことなんか、ちっとも苦にならなかった。

19585 ジビエ

(大阪豊中のお仕事の後は、お馴染み梅田「Buzz」で豪華な食事を楽しんだ。左がシカ、右がカモ。おいしゅーございました)

 

 そういう今井君の「探検」に付き合ってくれたのが、杉山君である。パパはクリーニング企業の幹部職員。確か「粂川クリーニング」といったが、ワタクシの故郷・秋田市土崎港のクリーニングを一手に引き受けていた、地方中核企業である。

 

 諸君は「クリーニング屋」と言えばすぐに中小零細企業をイメージするだろうが、何しろ日本海側を代表する工業地域の街である。昭和の昔には「新産業都市」にも指定されて、石油精製・製紙・発電・鉄道など、大規模な工場が林立した。

 

 そういう状況になれば、クリーニング業界もまた隆盛を極めるのである。巨大工場ともなれば、従業員全員の制服クリーニングは、定期的かつ大規模にならざるをえない。昭和の「粂川クリーニング」は、まさに多忙を極めたのである。

 

 杉山君は、理系人間だった。国語や社会科の授業で今井君を凌駕できるほどの児童は、男子にも女子にもほぼ皆無、あえて言えば4組に存在する「玲子さん」という優秀な医者のムスメがいたが、先生方の評価が高いのは、やっぱり今井君で間違いない状況だった。

 

 しかし諸君、話が算数と理科になると、杉山君がグイグイ上位に上がってくる。小学校時代の今井君は、まだ算数も無敵。絶対の自信をもつ国語より、むしろ算数が得意であって、話が文章題になると、「日本全国でもワタクシに算数で勝てるヒトはいないでしょう」、ほぼマルオ君的な小学生をやっていたのである。

 

 しかし諸君、それほど自信満々な今井君が、唯一恐れていたのが親友の杉山君だ。特に理科では杉山君と常に拮抗。彼とは、小学生時代ほぼ連日そこいら中を歩き回った。野球なら竹内君。歩き回るなら杉山君と一緒だった。

19586 阿闍梨餅

(大阪豊中で、大好物・京都名物「阿闍梨餅」をいただく。おいしゅーございました)

 

 その後の竹内君は、超名門・秋田高校の4番バッターになったほどのヤツであったが、彼の野球センスを育てたのは、小学生時代に連日バッティング練習につきあったこの今井君なのである。

 

 一方の杉山君とは、やたらに「探検」に出かけた。廃線になった路面電車の線路に沿って、片道3時間の徒歩旅行をする。あるいは春の田んぼ道をどこまでも東に進み、やがて丘陵地帯に突き当たるまで行ってみる。

 

 昭和の秋田だから、賑やかな繁華街から30分も歩けば、そこには「ここはまだ弥生時代ですか?」と溜息をつきたくなるような、いくら何でも余りに穏やかな田園が広がっている。そういう集落を突っ切って、遥かな丘陵地帯までひたすら東進を続けた。

 

 春がくれば、思い出す。その場合、日本人の多くは「はるかな尾瀬、遠い空」なのであるが、はるかなのは別に尾瀬ばかりではない。水芭蕉の花が咲いている。夢みて咲いている水のほとり。それは「夏の思い出」であるけれども、杉山君と探検した田舎の集落にも、ナンボでも水芭蕉が風に吹かれて揺れていた。

 

 いま今井君のオウチのベランダで春風に吹かれて揺れているのは、紫のヒヤシンス君である。まだ夜はギュッと冷える季節であるから、出来れば夜はオウチの中に入れてあげたいが、何しろ諸君、オウチの中ではニャゴロワが1日中ニャゴニャゴ大声で走り回っている。

 

 別にヒヤシンスの花に毒があるわけではないから、万が一ニャゴどんがヒヤシンスの花をワシワシ食っちゃっても、そりゃそれで致し方ないのである。しかしやっぱり、ニャゴが例の乱暴な行動で、せっかくのお花をバラバラにしちゃったら、ヒヤシンス君が可哀そうだ。

19587 うめきた場所1

(宿泊先のインターコンチネンタルホテルでは、「大相撲うめきた場所」を開催。「うめきた」とは、梅田の北側ということである)

 

 まあ諸君、そういう季節である。3月3日、大阪・豊中の公開授業が終わったのは21時であったが、汗みどろでお外に出ても、吹く風はホノボノ暖かくて、「コートの襟をかきあわせて」という季節はどうやら完全に過ぎ去った。

 

 タクシーにスタッフみんなで同乗して、向かったのはお馴染みの梅田「Buzz」である。大阪淀屋橋や東京丸の内でベルギービールの専門店を経営している系列店であって、シェフ自ら腕によりをかけて作ってくれる料理があまりにも旨い。

 

 前菜にお魚、スパークリングワインに白ワイン、最初の1時間でカンペキに満足した頃、本日のメインの肉料理が登場する。今日の写真の1枚目、左側がシカのお肉、右側がカモのお肉。今井君が大好きなジビエをたっぷり盛り込んで、シェフも満面の笑顔で挨拶に来てくれた。

 

 ワインのセレクションも素晴らしい。お店にはたいへん頼もしいソムリエさんがいらっしゃって、自信の笑みで料理にピッタリのワインをセレクトしてくれる。関西の諸君、「ここ一番」という乾坤一擲の場面があったら、是非とも梅田のBuzzを訪ねてみてくれたまえ。

19588 うめきた場所2

(大相撲うめきた場所。2階に上がって、より映えそうな写真を撮ってみた)

 

 しかしこの夜の我々は、こんなに豪華な料理をたらふくワシワシやった後なのに、「まだ胃袋に余裕がありますな♡」という意見で衆議一決した。ならば諸君、ここは意地でもラーメンで〆なきゃいけないじゃないか。

 

「大阪でラーメン」となると、それなりに緊張するのである。味にうるさい大阪のヒトビトだ、こんなに旨いものをたくさん胃袋に詰め込んだ後で、評判の良くないラーメンなんか選択すれば、きっとボロカス言われるに決まっている。

 

 しかし諸君、我々の仲間には、大阪グルメに目いっぱい詳しいオジサマがついている。大阪グルメの基本は「安くて旨い」であって、「高くて旨いは当たり前や」「安くて旨いやないと意味ないで」という大阪のオジサマたちの情報を全て熟知していらっしゃる。

19589 揚子江1

(名門、揚子江ラーメン。日付が変わっても、まだ行列ができていた)

 

 このオジサマが、若いスタッフ3名とともに今井君を案内してくれたのが「名門 揚子江ラーメン」。オジサマ、実は今井君と同い年。ワタクシの東進移籍から13年、艱難辛苦をともにしてきた有難い同僚なのである。

 

 カウンターが満員で5分ほど待たされたけれども、さすがに自ら「名門」を名乗るだけのことはある。口うるさいはずの大阪のお客も、みんな黙って終電間近のラーメンをすすっている。

 

 今日の写真の6枚目が、その揚子江ラーメン。ケモノの油でギトギトとか、ラーメンなんだか野菜煮込みなんだか分からないようなラーメンが全盛の世の中、ここまで淡白な油ヌキのラーメンは、絶賛に値する。

19590 揚子江2

(さすが名門ラーメン。ギトギトなケモノの匂いは一切ナシ。澄みきっていて、マコトにおいしゅーございました)

 

 どんより濃厚に白濁したケモノくさいスープも好きだが、ここまで淡白にキレイに澄みきったスープなら、間違いなく2杯でも3杯でもワタクシは完食が可能だ。ゴツい春菊は、うーん、野菜ギライの今井君はちょっと残してしまったが、ま、完食であったことは間違いない。

 

 ホントならギョーザも試したかった。しかしついさっき「Buzz」で、シカにカモにおサカナに、美味を目いっぱい胃袋に詰め込んだ直後である。ギョーザはまた今度の楽しみにして、満杯の胃袋を両手にかかえ、幸せいっぱいでホテルに帰還した今井君なのであった。

 

1E(Cd) Festival International de Sofia:PROKOFIEV/IVAN LE TERRIBLE

2E(Cd) Schüchter:ROSSINI/DER BARBIER VON SEVILLA

3E(Cd) Cohen:L’HOMME ARMÉ

4E(Cd) Vellard:DUFAY/MISSA ECCE ANCILLA DOMINI

5E(Cd) Oortmerssen:HISTORICAL ORGAN AT THE WAALSE KERK IN AMSTERDAM

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