Mon 180205  はっさく大福/三原懇親会/ヒコーキ40分遅れ/千葉県新松戸の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 180205  はっさく大福/三原懇親会/ヒコーキ40分遅れ/千葉県新松戸の大盛況

 広島県三原で遭遇したものに「はっさく大福」がある。いちご大福と同じ要領で、大福の真ん中にはっさくが入っている。これがマコトに美味なのである。

 

 もちろん諸君、はっさくがまるまる1個、どっかと大福の中に収まっているみたいな、異様な状況は考えないでいただきたい。例のはっさく君を丸ごと包み込むような巨大な大福なんてものは、想像するだけでも愚かしいじゃないか。

 

 しかもその場合、あんなゴツいはっさくの皮を、モチや白餡とともにサクッと噛み切るアゴの力も必要だ。そりゃたいへんだ、そりゃバカバカしい。もしもそんなシュールなお菓子だったら、大切なワタクシのブログで紹介することもなかっただろう。

 

 おお、見事な仮定法の例文じゃないか。「もしも…だったら、…しなかっだろう」。仮定法過去完了でござるよ。仮定法の本質は、非現実。だからこの場合「はっさく丸ごと」はカンペキな非現実であって、実際のはっさく大福には、ちょうど1口サイズにちぎった可愛いはっさく君やはっさくちゃんが、ちんまり甘い白餡に包まれてネンネしている。

 

 その可愛いはっさくちゃんに、今井君の獰猛な歯が突き刺さる。ワタクシの歯がどのぐらい獰猛かを知るには、一度この今井君と食事してみるのがいい。タクアンとか千枚漬けとか、まあその類いの食品を噛み砕く音のものすごさに、「ホントにコイツは人間か?」と、思わず今井の顔を見直すぐらいだ。

 

 その咀嚼力たるや、きゅうりもバリバリ、イノシシの肉だろうがヤギの肉だろうがクマの肉だろうが、構わずワシワシ胃袋に送り込む。「固くありませんか?」「臭みはありませんか?」。そんなグルメ番組のタレントさんみたいなことは、ワタクシは一切口にしない。

 

 野菜も獣の肉も、固くて&臭くてあたりまえ。固くて臭いのが本来の姿なのに、固さや臭さを除去して上品ぶっているのは、人間の身勝手ないし不健康と言ふものである。固かろうがバリバリ、臭かろうがワシワシ。今井君はあくまでケモノ本来の生き方を貫くのである。

19557 かなわ1

(広島空港「かなわ」で生牡蠣を貪り食う 1)

 

 そういうケモノの咀嚼力に、はっさく大福の中のはっさくちゃんたちは、強烈な酸味を発散することで抵抗を試みる。「ボクはこんなに酸っぱいぞ!!」「アタシはこんなに酸っぱいのよ!!」「退散、サトイモ!!」。その酸味にはゴジラでも熊五郎でもひっくり返る酸っぱさだ。シンゴジラにも、酸味攻撃をかけたらよかった。

 

 ましてこのサトイモ法師、酢やマヨネーズやバルサミコが大の苦手、ビネガー系にはお手上げという生まれながらの酸味ギライだ。酢味噌なんてのも、絶対にいけません。カラシ酢味噌もイヤでござるよ。

 

 だから諸君、はっさく連の酸味攻撃は、ホンの一瞬だけサトイモ撃退効果があったかに見えるのである。しかしはっさく諸君、そりゃ甘すぎる。このサトイモ君は、果実の酸味には滅法強い。

 

 キライなのはあくまで発酵ビネガー系。夏みかん・伊予柑・ゆず・レモン、ネーブルでもデコポンでもなんでもござれ。はっさくちゃんの酸味なんか、この世で一番好きな酸味でござるよ。

 

 しかもはっさくちゃん、モチと白餡などという甘—い愛情にくるまれてネムネムしている過保護なオコサマだ。ケモノの餌食になる運命は、森の小道で道草している赤頭巾ちゃんのようなもの。はっさく頭巾はあっという間に今井の胃袋に消えた。しかも諸君、3つ連続である。

 

 そのせいで諸君、はっさく大福の写真を撮影するのを忘れてしまった。いやはや、旨いものをブログ写真に残し続けて10年、写真はまもなく20000枚に達するが、はっさく大福がブログに残ることは、どうやら望み薄である。

19558 かなわ2

(広島空港「かなわ」で生牡蠣を貪り食う 2)

 

 こうして、はっさく大福との出会いだけで、もうこんなに書いちゃった。入試改革がどうとか、本物の思考力と表現力が試されるとか、難しいメンドーなことをフガフガぬかしているより、とにかく楽しく文章を書くこと。そっちの方が圧倒的に大事だと思うのだが、どんなもんかね。

 

 こんなふうに岐阜 → 福山 → 三原の旅は終わりを告げた。三原の懇親会では、ついにタコは登場しなかった。「タコの町」ではあっても、若い世代の中では「脱タコ」「卒タコ」「タコばかりじゃない町」への脱皮が進んでいる。「脱・やっさ踊り」だって、若い世代の真実なのだ。

 

 頼もしい若者も急増している。三原懇親会に出席した3人の若者たちも、オジサマ3名に加わって素晴らしい健啖家ぶりを発揮した。「元はPretty塾(仮名)のシンパだったが、1度だけ今井の授業を受けて以来カンペキな東進ファンになった」という彼も同じこと。おお、そのエネルギッシュはワシワシは、まさにワタクシゆずりのものである。

19559 天ぷら

(広島空港「かなわ」で、ついでだから「穴子の一本揚げ」もワシワシ咀嚼&嚥下する) 

 

 翌日はお昼まで広島駅前「シェラトンホテル」に滞在。15時のヒコーキを予約していたから、広島空港「かなわ」でゆっくり生牡蠣を味わい、ラウンジでのんびりブログを更新してから首都圏に帰る予定でいた。

 

 しかし諸君、生牡蠣をちゅるちゅるし終えたワタクシの耳に、「東京羽田便遅延のお知らせ」が入ってきた。アナウンスをよーく聞いてみるに、「使用機材の到着が遅れたため、羽田便は40分遅れます」とおっしゃっているのである。

 

 国内線で30分を超える遅れは珍しい。大げさに深刻なアナウンスが飛び交っていても、普段の遅れはせいぜいで「10分」「15分」であって、海外の空港なら完全に無視しちゃう誤差の範囲。たった5分の遅れで「申し訳ございません」のアナウンスが繰り返されるバカ丁寧さに呆れるぐらいである。

19560 新松戸駅

(この駅に、どうしてもたどり着かなきゃいけない)

 

 しかしいきなり「40分遅れ」とくると、さすがに精神的に悪い。この日は夕暮れ19時半から、千葉県の新松戸という小さな駅の前で公開授業の予定。ヒコーキが40分遅れると、授業開始時間に間に合うかどうか、マコトに微妙な状況になってしまう。

 

 まず新松戸の校舎に電話で連絡。おお、久しぶりの「電話連絡」だ。昭和や20世紀の昔なら、メールどころかケータイも存在しないから、こういう場合には「公衆電話」という恐ろしいものに長蛇の列ができた。10円玉、100円玉、そういうものを握りしめて、会社の担当者と大声で怒鳴りあったものである。

 

 40分遅れたヒコーキは、17時50分に羽田空港に到着。しかも出口に一番遠い68番ゲート。ヒトビトは荷物を引きずって走り出す。今井君も例外ではない。20年も旅のオトモをしてきた「予想の5倍重いカバン」をぶら下げて、駆け足で京急線のホームに向かった。

19561 新松戸

(新松戸の大盛況。たどり着いたかいがあった)

 

 経路は、① 京急線で品川へ ② 品川から常磐線「上野東京ライン」で松戸へ ③ 松戸で常磐線各駅停車に乗り換えて3駅。愛用の「駅探」が指示する通りにひたすら首都圏を北上した。

 

 結論を言えば、「間に合った」のである。しかも諸君、駅探の画面が示す時刻より、20分も前に新松戸に到着した。19時27分のはずが、実際の今井君は19時09分に新松戸に到着。かつて4年暮らしたことのある懐かしい新松戸駅前を、「余裕のよっちゃん」で校舎に向かった。

 

 新松戸での公開授業は、120名が出席。写真の通りの大盛況になったのであるが、その詳細はまた明日の記事で。

 

1E(Cd) Duke Ellington: THE ELLINGTON SUITES

2E(Cd) Bill Evans Trio:WALTZ FOR DEBBY

3E(Cd) Anastasia:SOUVENIR DE MOSCOW

4E(Cd) Nanae Mimura:UNIVERSE

5E(Cd) AFRICAN AMERICAN SPIRITUALS 1/2

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