Fri 180202  のどの調子/名古屋で来し方行く末を思う/不機嫌な時代/上機嫌な日々 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 180202  のどの調子/名古屋で来し方行く末を思う/不機嫌な時代/上機嫌な日々

 国公立大の入試本番というか2次試験というか、ほとんどの受験生にとって最終盤が始まった。さすがのワタクシも、昨日と今日と明日はお休み。オウチで大人しく受験生諸君の健闘を祈るばかりである。

 

 早春シリーズの激烈な全国行脚も、ここで前半の区切りがついた。連日連夜の大奮戦を続けるうちに、先週の岐阜・福山あたりから声の調子がおかしくなり、広島県三原・千葉県新松戸の公開授業では思うように声が出なくなった。高校の先生方対象 → 市ヶ谷での講演会も、物凄いガラガラ声を張り上げる始末になった。

 

 別に「ひどい風邪をひいた」というわけではない。熱演に熱演を続けた挙句のていたらくである。厳しく言えば「自己管理が出来ていない」であって、「自らの熱演に抑制がきかないようでは、プロ中のプロとは言われない」ではあるが、まあ諸君、この仕事に手加減なんかするのはサイテーじゃないか。

 

 だから昨日と今日と明日は、オウチで完全に大人しくして、声の調子をキチンと整える。いま振り返ってみると、やっぱり2月19日 → 岐阜の夜の張り切りすぎが、のどの不調の原因だったようである。

 

 岐阜の懇親会から名古屋に帰ってきたのが、ちょうど日付が変わる頃。マリオットホテルの45階、ほぼ最上階からの夜景を眺めながら、しみじみと来し方行く末を思ったのである。

 

 それというのも、毎週日曜の夜に大垣ゆき各駅停車で東京から河合塾岐阜校に通った1991年の辛酸を思いだしたのがキッカケ(スミマセン、昨日の続きです)。あれからずいぶん名古屋に通い、名古屋ではホントにいろんなことがあった。

19541 名古屋1

(マリオットホテル45階の部屋から名古屋の夜景を楽しむ)

 

 河合塾や駿台で仕事をしていた頃には、岐阜とも名古屋ともそれっきりだったのだが、1997年に代々木ゼミナールに移籍してからは、毎週1回の名古屋出講があった。

 

 月・水・金が代々木本校、火曜日が名古屋、木曜日が横浜、土曜日が大宮。2005年に東進に移籍するまで、8年間ほぼ同じスケジュール。どの校舎でも朝9時から5コマ。90分授業が週30コマというハードスケジュールで、6年目7年目ぐらいからは、身体も心も少し壊れかけていた。

 

「心もカラダもこわれかけていた」とは穏やかではないが、このスケジュールの中で参考書を7冊も書いたんだから、そりゃカラダもおかしくなるわな。書いたのは、東京と名古屋を往復する新幹線の中と、名古屋のホテルの夜なのである。

 

 マリオットホテルがオープンしたのは2000年のことであって、それ以前は名古屋駅南側の「名鉄ニューグランドホテル」か、北側の「名鉄グランドホテル」に宿泊していた。

 

 いま改めて2つのホテルを眺めてみると、マリオットとの格差にビックリするが、1997年は「名鉄ニューグランド」、1998年から1999年にかけては「名鉄グランド」を選択。窓を開けるとまさに目の前に「住友銀行」の大きな看板が迫ってくる、イヤな感じのお部屋に宿泊していた。

 

 つまり、まだ「三井住友銀行」ではなかったのだ。三井と住友が単独で銀行業務を展開中の時代なのである。三井と住友が一緒になっちゃったのは2001年のこと。そのころには今井君の宿泊先も、オープンしたばかりのマリオットに変更していた。

 

 太陽銀行と神戸銀行が、1973年に合併してできた「太陽神戸銀行」がまずあって、三井銀行が太陽神戸を吸収合併した「太陽神戸三井銀行」は、「名前が長すぎるよー」という批判に応えて「さくら銀行」と名称を変更した。

 

 じゃ、合併後は「住友さくら」「さくら住友」かいな。そう思っていたら、出来上がった看板は三井住友。おお、さくらも太陽も神戸も、跡形もなく消えていった。世の中とは、マコトに冷酷にできている。かつて日本唯一の外国為替銀行だった名門「東京銀行」も、おそらく三菱どんの意向で名前が消えちゃった。

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(マリオット45階の部屋から、名古屋の風景を楽しむ)

 

 名鉄ニューグランドでも、名鉄グランドでも、ワタクシは懸命にPCをたたいて参考書原稿を書きまくった。だって諸君、あの頃のホテルのお部屋は10階がせいぜい。「美しい夜景をうっとり眺めつつ来し方行く末を思う」などという優雅な夜はありえない。だって「窓を開ければ住友銀行」だったのだ。

 

 そんなことを続けるうちに、カラダの調子が悪くなっていった。原因は分からないが、健康診断で「赤血球がずいぶん少なくなっていますね」と言ふオソロシー結果が出た。

 

 まあチャンといろいろ調べたのだが、原因は不明のまま。「おそらく偏食のせいでしょう」ということになって、鉄分をグイグイ積極的にとるように生活を改善したら、いつの間にか完全復活を遂げた。

 

 その後20年も、知らん顔でピンピンしているんだから、深刻な病気ではなかったのは間違いない。しかし諸君、2000年の頃の今井君は、階段とか坂道を見るたびにメマイを感じたし、すぐに動悸と息切れに悩まされ、ついでに何だか異様に機嫌が悪くなった。

 

 あの機嫌の悪さは何だったのか。今でも不思議なほど、口論というか口ゲンカというか、形をなさない不平不満が渦巻くは&渦巻くは、いつでもニコニコ冗談ばかり言っている気のいい今のサトイモ君からは、とても考えられないぐらい不機嫌なオジサンを3年も4年も続けたのである。

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(名古屋新幹線ホーム「住吉」のイカ天きしめん。タマゴをトッピングするとますます旨い)

 

 マリオットには年間平均45泊、それを5年続けたから、200泊以上したことになる。その200泊、常にこんな美しい夜景を眺めつつ、それでもなおスーパー不機嫌。21世紀の初頭は、マコトに残念な日々を過ごしたのである。まあ、バカなことをした。

 

 そのぶん2005年以降は、真逆のスーパー上機嫌なオジサマに変貌。2度と赤血球が急減したりしないように、チャンスがあれば非常識なほど赤身肉を貪り、広島のヒトがびっくりするほど生牡蠣をちゅるちゅる飲み込み、トンカツにカニにエビにイカ、タンパク源は遠慮なく摂取する。

 

 スーパー上機嫌の元として、タマゴの存在も忘れてはならない。2005年以降の今井君は、「スキあらばタマゴ」な生活も心がけている。うどんでも蕎麦でも、月見じゃなくともタマゴをかける。

 

 だから名古屋に立ち寄ることがあれば、新幹線ホームのきしめん屋さんで、必ずトッピングに玉子を注文する。一番高い「イカ天きしめん」の食券を買って、ついでに玉子をトッピング。ずいぶん高いきしめんになっちゃうけれども、スーパー上機嫌には代えられない。

19544 目玉焼き

(ワタクシ制作の絶品♡目玉焼き。黄身はトロトロ、白身はカリカリ。タマゴ3個が定番だ)

 

 ついでだから、スキあらば目玉焼きをつくる。赤身肉に生牡蠣、トンカツにイカ刺身、そこにたっぷりの目玉焼き。これで不機嫌に陥る危険性なんか、考えられるだろうか。

 

 しかも諸君、写真でご覧になるとおり、黄身はトーロトロ、白身はカリカリ、滅多にお目にかかれないような絶品の目玉焼き。タマゴ3個、ハムやベーコンも1パックまるまる焼いて、ニカニカ大笑いしながら食してみたまえ。のどの具合なんか、一瞬で元に戻る。

 

 友人知人や家族のことには触れないのがこのブログの原則だから、その辺のことは書かないが、それ以外にもこの15年の上機嫌の理由はいろいろあって、ニャゴロワ&ナデシコの存在ももちろん大きい。

 

 確かにナデシコは1年半前に天国に旅立ったが、居場所がテレビの上から天国にかわっただけで、間違いなく今も彼女は存在する。2匹のネコに囲まれて15年も過ごしていれば、誰だってスーパー上機嫌を実現できるのである。

19545 胡椒がけ

(ワタクシは、コショーをたっぷりかける。そのぶん塩は控えめ。塩味はベーコンとハムで十分だ)

 

 しかも、スキあらば旅。海外でも国内でも、これほど多くの時間を旅に費やしている人間って、なかなか見つけるのが難しいなんじゃないか。その旅の様子をブログ上で詳細に再現して、実は自分でみっちり再体験する。旅はみんな二重にも三重にも楽しさを増して、不機嫌のタネはそこで全て雲散霧消する。

 

 こうして諸君、名古屋の夜はうっとりと更けていった。来し方行く末を思ってしっとりするはずが、ついついお酒も進んでしまった。そのぶん喉がおかしくなっちゃったが、これぐらいの不調なら早くオウチに帰って、また絶品の目玉焼きを作れば治る。こりゃ諸君、何とシアワセな人生なんだ。

 

1E(Cd) Ann Burton:BLUE BURTON

2E(Cd) Harbie Hancock:MAIDEN VOYAGE

3E(Cd) Miles Davis:KIND OF BLUE

4E(Cd) Weather Report:HEAVY WEATHER

5E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’

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