Thu 180201  岐阜の大盛況/4半世紀前の辛酸なめ五郎/夜行大垣ゆき/花串庵 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 180201  岐阜の大盛況/4半世紀前の辛酸なめ五郎/夜行大垣ゆき/花串庵

 2月19日、この10年、1年に1回、定番になっているのが岐阜県岐阜市での公開授業である。3〜4年前までは秋11月、中3生とその保護者を対象に、いわゆる「高1への持ち上げ」をやっていた。当時の会場は長良川のほとり「岐阜 都ホテル」。錦秋の休日、マコトに華やかであった。

 

 最近の岐阜では、岐阜駅至近の金宝町校での校舎開催。高2生を中心に、本格的な授業を展開することになっている。筑波大の長文問題、名古屋大の長文問題。大阪大の長文問題。英文がぎっしり印刷されたゴツいテキストが、岐阜の定番になった。

 

 2018年2月、校舎に到着してみると、「今年は早稲田大学の問題を選択しました」と告げられた。「えっ? 早稲田?」であり、「はぁ? 早稲田?」であって、地元国公立大志向の圧倒的に強烈な東海地区で、東京都内の難関私大の問題なんか扱っても、授業がシラけるに決まっている。

 

 早稲田大学の長文・空欄補充問題を2問ギュッと解説する「D」テキストは、すでに人数分が完成していたが、ここはそれこそ命がけで校舎の人たちを説得、2018年のセンター6番を解説する「C」に変更してもらった。授業開始40分前、まさにギリギリで印刷が間に合った。

19535 岐阜駅

(ワタクシは「ぎふ」への思い入れが深い)

 

 そのぐらい、ワタクシは岐阜に思い入れが深い。1991年、当時の3大予備校の講師としてデビューしたのが、河合塾の岐阜校だったのである。月曜が岐阜で2コマ。水曜日が千葉県松戸と千葉で4コマ、週末にかけて、都心の池袋校と今はなき千駄ヶ谷校で合計5コマ。なかなかたいへんなデビュー戦だった。

 

 もう4半世紀以上前のことであるが、新年度の時間割が郵送されてきた時、若き今井君は絶望の叫びを上げたのである。当時は埼玉県の奥の方に在住。埼玉の小さな塾でも仕事をしていて、日曜日は21時過ぎまで授業があった。

 

 埼玉の奥に21時までいて、翌朝8時半までに河合塾岐阜校に到着していなきゃいけない。そんなの、物理的に不可能なのである。

 

 これがもし大阪なら、始発の電車で羽田に向かい、または前日深夜から羽田に宿泊して、朝7時のヒコーキで伊丹までビューンというのも可能。しかし岐阜では、もうどうしようもない。

 

 始発の新幹線で名古屋まで、名古屋で東海道本線に乗り換えるとしても、8時半に悠然と岐阜に出現するのは、若きサトイモにも完全に不可能である。

 

 それでも、せっかく提示された岐阜の2コマを、そういう理由で断ってしまいたくない。アントキノサトイモに残されたのは、

① 夜行の高速バスで東京から名古屋に移動する

② 夜行列車「東京→大垣」のグリーン車を利用する

以上2つの選択肢のみであった。

19536 岐阜

(岐阜は、校舎内での開催。小規模だがスーパー超満員になった)

 

 若い諸君はご存じないだろうが、1990年代初頭までは、深夜11時半ごろに東京駅を出発して、翌朝6時に名古屋に着き、さらに西へひた走って、7時ごろ大垣に到着する「夜行の普通列車」と言ふ驚くべきものが健在だったのだ。

 

 あの後「大垣行き」は、「ムーンライトながら」というソフトなネーミングに変えられ、車両も特急仕様の豪華なものになったが、1991年当時の大垣行きは、オレンジとグリーンの2色に塗り分けられた、古式ゆかしい普通電車であった。

 

 21世紀の初めまで、同じタイプの電車が高崎線や宇都宮線を駆けまわっていた。今になって列車の写真を眺めてみると、先頭部のオレンジが少し多めではあるが、おお、ホントの昭和の大むかし、「湘南電車」と呼ばれていたヤツである。

 

 何しろ夜の闇を7時間以上も走りぬくゴツい列車だから、グリーン車も連結されていた。「グリーン車」と言えば聞こえはいいけれども、リクライニングだってホンの3°か5°か、申し訳程度に傾くだけ。座席の面積も普通車と全く変わりがなかった。

19537 うし

(ギフ ウッシーナ。次の懇親会にいいかもしれない)

 

 窮余の一策として若き今井君は、日曜夜9時に埼玉の仕事が終わり次第、決死の覚悟で東京駅に向かったのである。東京駅着23時。あのころの大垣行きは鉄道ファンの人気が高かったから、グリーン車の前には長い列ができていた。

 

 こうして諸君、確か23時40分ごろ東京駅発。何とかグリーン車に潜り込んで、翌朝9時の授業に備えてひたすら眠っていく。東京駅でほぼ満員だったグリーン車も、熱海あたりでガラガラ、静岡でガーラガラ、浜松を過ぎてまだ乗っているのは、今井君以上にゴツいオジサマ3〜4人しかいなかった。

 

 豊橋あたりで、夜がしらじらと明けてくるのである。夜の乗客は「東京からギリギリで終電車に間に合った」というヒトビト。早朝の乗客は、豊橋や岡崎あたりから、名古屋での朝の仕事に向かうヒトビトなのだ。

 

 アントキノイマイは、何とその両方を兼ねたまま、丸1年を過ごしたのだ。朝6時、電車は名古屋の駅に滑り込む。ワタクシはいったん名古屋で下車して、朝メシを食べられる店を探し、それなりに朝メシもワシワシ貪り、トイレや洗顔も名古屋駅で済ませてから、東海道本線の電車で岐阜入りしたのである。

19538 花串庵

(岐阜の懇親会は、お馴染み「花串庵」。おでんと串の店である)

 

 当時の河合塾岐阜校は、お世辞にも「うまくいっている」という感じではなかった。生徒はみんな本拠地・名古屋の千種校や名駅校に流れるのである。

 

 ましてや、パンフレットに名前も写真も掲載されていない新人講師の今井君。1時間目の国公立大コースには、まあ60名程度。2時間目も100名に達しない。初年度には合計25回、そんな苦労と辛酸なめ五郎をやってスーパー超人気を確立し、翌年にはこの辛酸から解放されたのである。

 

 そういうふうだから、あれから四半世紀、「ぎふ」と大書されたJRの駅にたどり着くと、当時のツラい思ひ出がぬるぬる&じゅるじゅる、今井君の脳裏で「走馬灯」をやることになる。どんなに気楽そうに見えている中年男子にも、長い辛酸の歴史が隠れているものである。

19539 おでん

(花串庵。大根を中心に、熱いおでんがクツクツ煮えている)

 

 2月19日、岐阜での公開授業は、参加者約105名。現在ホントに大評判をとっている「C」テキストで、盛り上がれるだけ盛り上がった。長文アレルギーも長文ノイローゼも長文コンプレックスも、諸君、大爆笑の中でとっとと吹き飛ばそうじゃないか。

 

 思い起こせば、1991年の岐阜でも、ワタクシはセンター試験の担当。あれから幾星霜、30回近いセンター試験の問題を解説しまくって、今ここに至る。

 

 まさに「センター試験のことなら、まかしとけ」という大ベテランになっちゃったわけだが、国公立2次の本番でも、難関私立の超長文でも、同じことがあまりにそのままピッタリ当てはまる。全国の諸君、どんどん今井の公開授業に集結したまえ。

19540 串カツ

(花串庵の味噌カツ串。おいしゅーございました)

 

 岐阜の懇親会は、すっかりお馴染みになった「花串庵」。おでんもうまいし、串カツも絶品だ。串カツについては、今井は大阪で目いっぱい味わってきているツワモノであるが、東海地区は東海地区で、出てくるのは味噌カツ串だ。

 

「ソースの2度づけ禁止やで」も何も、こっちの味噌カツ串はもうイヤというほど味噌風味のソースが染み込んでいる。2度づけという違反行為は、ちょっと考えられないぐらいである。

 

 おでんのほうは、何と言っても大根が絶品。というか、大根1つで満腹してしまって、次の味噌カツ串が食べられないほどである。いやはや、おいしゅーございました。すっかり満腹して午前1時近く、名古屋のマリオットホテルに帰還した生サトイモ君なのであった。

 

1E(Cd) Brian Mcknight:BACK AT ONE

2E(Cd) Isao Tomita:Shin Nihon Kikou

3E(Cd) Ralph Towner:ANA

4E(Cd) Stan Getz & Joao Gilberto:GETZ/GILBERTO

5E(Cd) Keith Jarrett & Charlie Haden:JASMINE

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