Tue 180116  さすが東京大学、お見事♡/伊藤和夫師を思う/京都のお仕事に向かう | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 180116  さすが東京大学、お見事♡/伊藤和夫師を思う/京都のお仕事に向かう

 おお、さすが東京大学だ。福田サンとおっしゃるんですか? 東大の副学長がギュッと素晴らしい意見を述べてくださった。

 

 マスメディアから文部科学大臣、横丁のオジサンから予備校講師まで、世間様のご意見は「模範解答を提示すべきだ」「採点基準を明示すべきだ」という流れ。京都大学と大阪大学のミスを受けて、「こりゃもうこの流れは止められない」の様相になっていた。

 

 かくいうワタクシも、駿台予備学校の超人気講師♡だった頃からずっと「採点基準を示さなきゃダメなんじゃないか」と言い続けてきた。特に長ーい英作文、長ーい英文和訳問題、どこをどう評価し、どこをどう減点するのか、そこんトコロが明確にされていなきゃ、受験生が困惑するじゃないか。

京都1

(京都の大盛況、詳細は明日の記事で 1)

 

 ワタクシ自身が受験生だった時代には、駿台予備校の当時のエース・受験の神様とまで言われた伊藤和夫師の授業を受講していた。それから10年後、河合塾や駿台の講師になってからも、雑談の中で伊藤師のモノマネやらクチマネをするほど大好きだった。

 

 さらに遡れば、バイト気分で勤めていた首都圏の小さな塾で、伊藤先生の名著「英文解釈教室」を参考に独自プリントを作成し、伊藤師そっくりそのままの授業をやってみていた。20歳代最終盤のことである。

 

 だから諸君、信じられないかもしれないが、ワタクシは骨の髄まで、あの生マジメな伊藤和夫師の考え方が染み込んでいる。おそらく日本で最初に「東大や京大は採点基準を示すべきだ」と喝破したのは伊藤師だったのである。

 

 伊藤師の論文やエッセイをまとめて、研究社から「予備校の英語」というタイトルの1冊が出版されたのは、1997年である。ワタクシが駿台から代ゼミに移籍した年であって、伊藤師はその年に亡くなられた。「採点基準を示すべきだ」の一言が、先生の遺言になった。

 

 模擬試験の採点者に、驚嘆すべき詳細&厳密かつ明確な基準を示したのも伊藤師。いやはや、こんなに厳しい基準を設けてしまったら、採点者にたいへんな負担がかかるのだが、「それが模擬試験を作成&採点する者の義務である」と喝破された。

京都2

(京都の大盛況、詳細は明日の記事で 2)

 

 そういう先生の影響を受けたせいで、21世紀の今井君もいろんなところで「国立大学は採点基準を示さなきゃダメなんじゃないか」と論じてきた。

 

 難関国立大学の中でも、東進でワタクシが解説を担当している名古屋大学は、模範解答のみならず「出題のねらい」までHP上で明示している。

 

 解説授業中で、今井君は名古屋大学のこの姿勢を熱く支持し、「こんなに受験生を大切にする大学なら、入学して4年ないし6年、学部生として大切に教育してもらえるんじゃないか」「ぜひ入学したまえ」と力説している。

 

 だから今回、京大と阪大のミスをキッカケに、世論がググッとその方向に動き出した時、軽率な今井君は「おーし、こう来なくちゃ♡」と快哉を叫ぶ思いだった。ミスの被害を受けた受験生諸君は心から気の毒だが、これで大学入試の世界もどんどん風通しがよくなる。そう考えるのが当然じゃないか。

 

 そこへ諸君、冒頭に触れた東京大学副学長の会見があったのだ。おお、ホントに見事な反論なのである。「模範解答も採点基準も、今のところ明示する気は全くない」とおっしゃる。その理由は「正解は1つではないから」。おお、スカッとサワヤカ、のどにギュッと染みわたる。

 

 要約すれば、次のようになる。

「今のところ公表するつもりは全くありません。解答は1つでないことが多いのです。大学側が知りたいのは、解答を導くプロセス。答えが3つ4つあってもいい場合に、1つだけが正解と捉えられてしまうことを恐れています」

 

「世の中は、正解がないことが圧倒的に多いのです。プロセスこそが重要。『これが正解』と思い込んでそれを記憶してしまうのは、知能の発達によろしくない」

 

「東大の入試は、ただ一つの解に向かって皆が同じ道を通るのではなく、学生それぞれが多様なプロセスを通り、採点する側はそのプロセスを丁寧に判断するのです。正解の公表は、東京大学にとってはふさわしくないと思います」

祇園1

(京都の懇親会は、祇園「みずおか」で。詳細は明日 1)

 

 うーん、いいじゃないか。意地悪な見方をすれば「要するにメンドーなだけなんじゃあーりませんか?」であるし、「さすがアタマのいい人たち。わかりやすいキレイゴトを言って、うまく逃げましたね?」とニヤッとしたくなるが、少なくとも正論ではある。

 

 そもそも昭和のむかしから、新聞やテレビの論調はそうだったじゃないか。○×式や客観選択式の問題を否定ないし攻撃する論説の締めくくりに「コドモの数だけ答えがあるんだから」とか「みんな同じ答えじゃつまらない」、そう熱く論じていたはずじゃないか。

 

 予備校の広告や、学習参考書の出版社のCMなんかも、同じ趣旨のことを言っていた記憶がある。「大切なのは正解ではありません」「どんなプロセスで考えたかこそ大事なんです」から「あなたの夢まで採点しないでください」まで、いやはや東大副学長にマコトに見事に使われちゃっていないか。

 

 こうなると、伊藤師の跡を継いだつもりで「公表すべきだ」と言い続けてきたワタクシなんかも、もう一度ジックリ考えてみなきゃいけないようである。

 

「コドモの数だけ答えがある」と言っても、スピーキングの採点をAIが行う可能性のある時代に突入すれば、なかなかそうも言っていられないじゃないか。

 

 英語4技能系の試験の採点にも、東大はやっぱり「基準の公表はしない」と突っぱね続けるんだろうか。その場合、受験生の数だけ答えがあるスピーキングの採点を、思考のプロセスまで見抜いて瞬時に判断できる採点者を、十分に確保できるんだろうか。

祇園2

(京都の懇親会は、祇園「みずおか」で。詳細は明日 2)

 

 ま、そのへんの難しい話は、今すぐここでワタクシなりの答えを提示するのは控えよう。それこそ「思考のプロセスこそ重要」であって、今井君の思考がこれから例えば1年2年かけてどんなふうに発展していくか、自分もで大いに楽しみである。

 

 2月6日の今井君は、雪がちらつく夕暮れの大阪駅から「新快速」に乗り込んだ。京都に向かうのである。ホントは大混雑の新快速を避けて、指定席のとれる金沢行き特急サンダーバードに乗って行こうと考えていたのだが、「北陸地方の大雪の影響で、サンダーバードは終日運休といたします」という掲示があった。

 

 京都の冷え込みは、大阪よりはるかに厳しいのである。京都の人に「京都の冬は寒いですね」と言ってみると、ホントに嬉しそうな顔をしてもらえる。

 

 夏の京都もおんなじだ。「京都の夏は特別に暑いですね」と言ってみたまえ。ちょっと気難しそうな京都の人でも、一瞬でその表情が緩み、「そうでしょ? 京都は暑いでしょ?」と、心から満足げにニコニコしてくれる。

泡醤油

(祇園「みずおか」にて。右が祇園伝統の「泡醤油」。高級和服文化の中で「着物にはねないお醤油」が工夫されたんだそうな)

 

 ホテルグランヴィアのロビーでスタッフと待ち合わせ、今日の会場の「キャンパスプラザ京都」に向かう。京都の街にも雪が舞っている。寒さはむしろこの間の吹雪の函館よりも身にしみる。

 

 函館の雪は豊かな湿り気を帯びてほのぼのするのだが、京都の寒さはナイフ状であって、肉体の奥深いところに鋭く突き刺さってくる。いつか北欧の人たちが2月のイタリア・フィレンツェで「この種の寒さは経験がない」と絶叫していたが、まあ似たようなものである。

 

 もっとも北欧の彼ら彼女らは、「寒い」「寒い」と震えながら、20ユーロもする大っきなジェラートを貪っていた。京都の今井君も同じ余裕であって、確かに「寒い」「寒い」と歯の根も合わないが、日本海から吹きつけてくる秋田の地吹雪に18年も耐えた人間だ。この程度なら余裕なのである。

 

 京都のお仕事についての詳細は、明日の記事で書こうと思う。使用した教材は、2018年センター試験の第6問。「コドモの数だけ答えがある」というキレイゴトとは無縁の、「解答は意地でも1つだけ」な問題。メディアの批判を20年も30年も浴び続けてきたゴツイヤツなのである。

 

1E(Cd) Amalia Rodrigues:SUPERNOW

2E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 1/18

3E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 2/18

4E(Cd) Ono Risa:BOSSA CARIOCA

5E(Cd) 村治佳織・山下一史&新日本フィル:アランフェス交響曲

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