Mon 171211 丸一日の美談/一杯のかけそば/ベトナム戦争証跡博物館(速攻ホーチミン16) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 171211 丸一日の美談/一杯のかけそば/ベトナム戦争証跡博物館(速攻ホーチミン16)

 丸一日テレビで大学駅伝と高校サッカーを眺めていれば、レポーターが金切り声で絶叫し続ける美談の連続に思わず疲れ果て、そうも美談&美談の連続でなければ、駅伝にもサッカーにも感激できないものなのか、ふと悲しくなってくる。

 何もそんなに美談づくめにする必要はないんじゃないか。ワタクシは、マスメディアによる美談攻撃があんまり好きではないのだ。昭和の美談の代表格が「一杯のかけそば」。バブル景気まっただ中の1988年、テレビの世界は「一杯のかけそば」を巡る美談で埋め尽くされた。

 あの「週刊文春」や中尾彬どんまでが、一杯のかけそばに夢中になった。国会でも取り上げられ、リクルート問題や消費税審議にも影響を与えた。金丸信どんは涙し、竹下登首相も重い苦笑をにじませた。

 当時のワタクシは、人生が全く思うように進まず、連日連夜、辛酸ばかりなめて生きるような日々。お正月だってちっとも楽しくなくて、一杯のかけそばをめぐる美談の氾濫に、ますます毎日が苦しくなった。美談ギライは、あのへんから始まったのかもしれない。あらすじを示せば、以下のようになる。
バイク1
(ホーチミン、にこやかなバイク軍団は雨をものともしない 1)

① 1972年の大晦日、札幌の蕎麦屋「北海亭」での出来事である。いかにも貧しげな女性が、コドモを2人連れて入ってくる。すでに閉店間際の時間帯。店主は帰ってほしいのだが、「かけそばを、一杯だけ」「どうしても」とせがまれ、親子3人にかけそばを一杯出すことになる。

② 亭主は何故か胸が熱くなり、こっそり1人前+αの蕎麦をゆでる。母子3人はその1杯のかけそばを分けあって、おいしそうにすする。実はこの母子連れ、事故で一家の大黒柱を亡くしていたのである。大晦日の夜は、かつて彼の好物だったかけそばを「北海亭」で食べるのが、年に一度の贅沢なのだった。

③ 翌年の大晦日も1杯。しかし翌々年の大晦日には2杯。3人は楽しげにかけそばをすする。「北海亭」の亭主夫婦も、いつか毎年の大晦日に3人を待つのが楽しみになる。

④ しかしある年から、3人はぷっつりと姿を見せなくなった。それでも亭主夫婦は待ち続ける。ついに十数年後、すっかり大きくなった息子2人が、年老いた母を連れて「北海亭」に現れる。職に就いてすっかり立派になった息子たち。母子3人、かけそばを3杯注文する。

 以上のような美談である。1992年には映画化もされている。電通・東映が配給、文部省選定、泉ピン子・鶴見辰吾・市毛良枝・渡瀬恒彦などが出演。主題歌「予約席」は、さだまさしどん。まさに20世紀終盤のオールスターキャストである。

 こりゃいけませんな。「お蕎麦屋さん、かけそば、最初から3杯出してあげりゃよかったじゃないですか」「どうも辻褄が合いませんな」と言ふことになって、大ブームはまもなく下火になった。バブルの崩壊と、ほぼ同じ時期のことである。
バイク2
(ホーチミン、にこやかなバイク軍団は雨をものともしない 2)

 一方の今井君は、2017年10月1日を「一杯のフォー」でスタートさせた。鶏肉入り、パクチー控えめ、最高の一杯のフォーで身体は芯から温まり、この蒸し暑いのに身体の奥からポッカポカ、1歩進むごとに汗が大量に吹き出し始め、「オレは何てものを貪っちゃったんだ?」と反省しきりである。

 汗まみれの状態で、まず「旧南ベトナム大統領府」を見学。雨は小降りになっていたが、雨で外から濡れるより、汗で内側から濡れていく。そんなマコトにだらしない状態で訪れるべき場所ではないけれども、さすがにホーチミンに来てここを素通りするわけにはいかないじゃないか。

 ベトナム戦争の終結が、1975年。「一杯のかけそば」の最初のエピソードが1972年であるから、ベトナムではまだ大激戦が続いていたのだ。1975年4月30日、ベトナム解放軍の戦車が、大統領府のフェンスを突破するシーンは、記録フィルムなどでよく目にするはずだ。

 昨日の記事の写真4枚目・5枚目・6枚目が、その大統領府のものである。特に5枚目、あの日戦車に突破されたフェンスの姿が、今もマコトに印象深い。

 戦争終結から、すでに45年近くが経過。「ベトナム戦争を知らない」という世代が人口の半数を占め、かつてヘリポートまで完備されていた大統領府の前を、みんな満面の笑顔でバイク軍団が駆け抜けていく。
お店
(夕食は有名店「HOANG YEN」で)

 旧大統領府から徒歩10分ほどのところにあるのが、「戦争証跡博物館」。この日の午後3時間、ワタクシはずっとこの博物館で過ごすことになった。滅多にマジメになることのない今井君ではあるが、ここではとても「サッサと」「サクサク」みたいな行動はできなくなってしまった。

 詳しい展示内容は、諸君自身でググってみてくれたまえ。南ベトナム政府に反抗した人々に加えられた残虐な拷問の跡。拷問用の「トラの檻」。枯葉剤の凄惨な被害を伝える写真の数々。ググるだけではなくて、実際にホーチミンシティに出かけて、直接目撃すべきものばかりである。

 もしも近いうちにこの博物館を訪れるなら、1階より2階、2階より3階に時間をかけることをオススメする。1945年9月23日、イギリス・フランス・インドの軍隊に対して、サイゴン市民が抵抗を開始。そこから30年間、戦闘はどこまでも激化してこの悲劇を生み出した。

 日本の写真家・石川文洋氏による戦争写真の展示もある。石川氏は、沖縄県那覇市生まれ、ワタクシより1世代も2世代も上の人であって、戦場カメラマンとして世界的に有名。もう20年も前のことになるが、早稲田大学の学園祭で講演会を行った時、お隣の教室で石川文洋氏が講演をなさっていた。
生春巻き
(HOANG YEN、生春巻き)

 午後4時、外はまだ雨である。人というものはマコトにバカバカしい存在であって、これほどの悲劇の記録を見て回った後でも、やっぱり腹が減ってくる。

 ホントは軽く済ませたいのに、そう思えば思うほど、軽く「フォー!!」では済まなくなってくる。キチンとした静かな店で、じっくりベトナムの料理を噛みしめながら、いろんな思いを定着させたいじゃないか。
揚げ春巻き
(HOANG YEN、揚げ春巻き)

 選んだのは、ドンコイ通りの東の果て、名店「HOANG YEN」。規模の大きなチェーン店であるらしく、「HOANG YEN」の看板はホーチミンシティの様々な場所で見かける。YENの「E」の上にはまたベトナム語独特の記号や符号が載っかっているが、やっぱり省かせていただく。

 1軒目の「HOANG YEN」では、「ディナーは6時からです」と断られてしまったが、そのすぐ脇に発見した2軒目の「HOANG YEN」は営業中。時計を見るとまだ5時前、ランチメニューとディナーメニューの入れ替えの最中に、優しくお店に招き入れてくれた。
チャーハン
(HOANG YEN、蓮の葉チャーハン)

 注文したのは、揚げ春巻き、生春巻き、蓮の葉チャーハン、その他2〜3品。それにアルゼンチンの赤ワイン。「は? ベトナムなのにアルゼンチンワイン?」ではあるだろうが、何しろワタクシはアルゼンチンワインの大ファンなのだから、どうにも致し方ないのである。

 ラベルには「PUNTA DE FLECHAS」とある。「punta」とは、まあいろいろ困った意味もあるが、とりあえず「先端」の意味。「flechas」は「矢」。ワインの名前に「矢じり」とは? 再び「は?」であるが、まあ詳しくはスペイン語の専門家にでも尋ねるしかない。
ワイン
(アルゼンチンワイン PUNTA DE FLECHAS)


1E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 1/2
2E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 2/2
3E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
4E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
5E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.1 & No.4
total m146 y2421 d22365