Tue 171205 昭和の12月28日/ベトナムのスコール/メコン河へ(速攻ホーチミン12) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 171205 昭和の12月28日/ベトナムのスコール/メコン河へ(速攻ホーチミン12)

 12月28日といえば、昭和の昔なら官庁も民間企業も一斉に「仕事納め」であって、遠くに単身赴任していたお父さんを、「もうすぐ帰ってくるね」と、家族が楽しみに待ち受ける日でもあった。

 昔はどこの家でもお正月のお餅を「餅屋」と言ふ古色蒼然としたものに注文したから、28日の午後ぐらいから、餅屋のついたお餅が届けられるのである。

 お餅は一升単位で注文、4人家族で2升も注文し、ついでに豆餅も0.5升。お餅が好きなオウチなら、平気でそのぐらい注文した。

 だから、12月28日の夜には、家族がみんな集まって「餅切り」をする。一升のお餅は畳半分ぐらいの大きな平たいお餅で、それを約5cm角の食べやすい大きさに切り分けるのである。

 みかんも、八百屋さんに箱単位で注文する。15kg入りの紀州みかんとか愛媛みかんとか、「こりゃナンボでも食べられる」と安心するぐらい大量のみかんが、段ボール入りで届けられる。食いしん坊の幼い今井君は、叱られながらも「まず10個」。お正月のうちに顔も手も真っ黄色に染まった。

「受験生は、お正月も返上です」みたいなニューストピックスは、昭和の時代から完全に定番。30年も前のニュース番組をみると、黒縁メガネのマコトにオジサンくさい受験生が、「ぼく達の正月は3月です」とか、いやはや何とも恥ずかしい発言を繰り返すのだった。

 今や「この1年の流行語」なんてのも、11月の末にはもう決まってしまっている。タイムスケジュールは忙しくなる一方である。12月ごろ遅ればせに流行しても、それはもう来年まわし。というか、中途半端なところに引っかかって、そのまま無視されてしまう可能性だってある。
メコン
(9月30日、豪雨の翌日のメコン河)

「流行語」と呼ぶにはあまりに深刻で悲惨な事態を招いたので、もちろん候補にあげる必要もなかったが、2017年の7月から9月にかけて、我々の心理にたいへん不気味な影響を与えたのが「線状降水帯」という言葉であった。

 2017九州北部豪雨の直後、ワタクシは大分と熊本に出張した。大きな被害があった翌々日だったと思う。大分と熊本を結ぶ「久大本線」の鉄橋が流されて、その後も長い運休が続いた。それでも大分・熊本ともにたくさんの受講生が集まってくれて、感激もひとしおであった。

「線状降水帯」、それが日本型のスコールであるらしい。背の高い強烈な積乱雲がズラリと1列に並んで、同じ場所を長時間にわたって襲い続けるわけである。

 8月の秋田県南部でも同じ線状降水帯に襲われた。「大曲の花火大会」直前の出来事で、大規模な花火大会が中止寸前まで追い込まれた。大稲作地帯の経済的な被害も甚大だったと思う。
フルーツ1
(チョロンのオレンジ屋さん)

 日本のスコールは線状に降るけれども、ベトナムのスコールは面で襲ってくるようである。9月29日夕刻、ワタクシが不機嫌なチョロンの街から路線バスで都心に帰還した直後から、ホーチミンシティ周辺は激烈なスコールに襲われた。

 チョロンのワタクシは、都心に帰るバスが見つけられなくて右往左往した。バスターミナルが2つに分かれていて、都心方向のターミナルと郊外ゆきのターミナルの2つが隣接している。何も知らない今井君は「郊外ゆき」の方でひたすら都心方面のバスを待っていたのである。

 この時間帯からすでに、空には不気味な黒雲が転々と発達しはじめ、面状スコールの襲来はほぼ疑いようもなかった。ホーチミンの夏の日没は8時近いはずであるが、午後4時半を過ぎた段階で、もう街は日没の頃の薄暗さになっていた。

 ホテル1階の食料品店で、もうすっかりお馴染みの ① タイガービール6本と ② 皮をキレイにむいたザボン1個分を購入。合計で300000ドン。相変わらず0の数に悩まされるが、要するに1500円。都心のホテルの店であっても、物価は実に安いのである。
フルーツ2
(チョロンのスイカ屋さん)

 17階の部屋に帰って外を眺めるに、四方八方、すでに凶悪な黒雲が垂れ込めている。部屋の東と南に大きな窓が開いているが、東のお空は黒雲で真っ暗、南の窓から見る黒雲からは、すでに下に向かってスダレのような雨が落ちているのが見える。

 それでも諸君、驚くなかれ、窓の下の道路はバイクに埋め尽くされている。轟音がビル街を包んでも、それが雷鳴であるのかバイクの轟音であるのか判断がつかない。

 バイク軍団は、すでに雨ガッパを着用している。色とりどりの雨ガッパを風になびかせて、要するに月光仮面のオジサン&オバサンたちなのであるが、1台のバイクに4人乗りや5人乗りも珍しくない。パパが先頭、ママが後ろ、パパとママの間にコドモが3人、歓声をあげて爆走する。
フルーツ3
(チョロンのバナナ屋さん)

 しかしやがて、最初の稲妻が青く光った。東でも稲妻、南でも稲妻。東と南で稲妻が走っているのに、西と北が黙っているはずはないから、明らかに稲妻どんはホーチミンシティを面状に取り囲んでいるのである。

 稲妻には2種類あって、まず植物の根っこ状に枝分かれしながら地上に向かっていく、いかにも凶悪そうなヤツら。続いてホーチミンの空全体を青く照らして、パパッと一瞬で消えるヤツら。どっちがより凶悪なのかよくわからないが、そういう稲妻が同時多発的に街を襲い続けた。

 雷鳴ももちろん強烈なものであって、それが続けざまにビル街に反響すれば、ココロに与える衝撃もまた激烈だ。これがもしお外にいてバイクに乗っている状況だったら、どれほど恐ろしいだろう。ただしホーチミン市民は、もうとっくに慣れっこになっているのか、これでもまだバイクの渦には影響はないようだ。

 窓に雨滴がぶつかる音も、やがて恐怖を感じさせるほどのものになってきた。午後7時から10時にかけて、「いつ窓が割れてもおかしくない」というほどの豪雨が降り続いたのである。

 ようやく豪雨と雷鳴が収まったのは、夜半過ぎのことである。それでも稲妻は光り続けたし、雨音に混じって遠い雷鳴がいつまでも聞こえていた。降り始めから6〜7時間、激しいスコールが続いたわけである。
メコン2
(メコン河。泥の水に大量のホテイアオイが流されていく)

 翌9月30日は、早朝からウソのような快晴になった。スコール明けの朝に小鳥たちが可愛く鳴いて、街もキレイに洗われたようである。これから今井君はメコンデルタに出かける。

 昨夜の雨は、さすがにベトナムの人々も驚くほどの激しさだったようで、郊外では水害発生の一歩手前まで事態は悪化したようである。しかし一夜明ければ、また人々は颯爽とバイクに乗って目的地を目指す。

 というか、こんなにバイクが溢れかえっていると、「ホントに『目的地』と言ふものがあるのか」と疑わしくなってくる。「むしろ、バイクに乗ること自体が目的なんじゃないか」「風を切って爆走すれば、確かに蒸し暑さを忘れることはできそうだ」。そういう邪推さえ生まれてくるほどなのだ。

 何しろあの豪雨の直後だ。お空はスカッと真っ青な快晴だけれども、バスに揺られること1時間半、やがて姿を現したメコン河は、数々の濁流を集めて水位も上がっている。赤く濁った大河の流れは速く、ちぎれた大量のホテイアオイがどんどん流されていく。

 メコン河の源流は、中国の奥地。流れはやがてラオスを貫流し、ベトナムに入る頃にはアジアの奔流を体現する大河となって南シナ海に注ぐ。この水の一部は、はるばる中国から流れてきたものなのだ。

 これからワタクシは小舟に乗り換えて、メコンデルタの米作地帯を旅するのである。スコールを 集めて早し メコン河。小舟ではさすがに心許ないが、その探検の様子は、また明日の記事で。

1E(Cd) The Beatles:ABBEY ROAD
2E(Cd) The Beatles:SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND
3E(Cd) The Beatles:WITH THE BEATLES
4E(Cd) The Beatles:A HARD DAY’S NIGHT
5E(Cd) The Beatles:BEATLES FOR SALE
95Stay09 HO CHI MINH CITY 170927 171005
total m237 y2391 d22335