Wed 171122 千代田線の思ひ出/東洋文庫に熱中した頃/昔のノート/大泉学園の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 171122 千代田線の思ひ出/東洋文庫に熱中した頃/昔のノート/大泉学園の大盛況

 12月12日21時、葛飾区金町での仕事を終えて、さて久しぶりにオウチに帰るのである。4日前の朝に長崎に旅立ってから、ニャゴロワの例の白い顔を長い間見ていない。あったかい白い背中を撫でる感触も、ニャゴ独特のソプラノの声もマコトに懐かしい。

 常磐線各駅停車の電車に乗り込めば、電車は地下鉄千代田線に相互乗り入れして、オウチまで電車1本でたどり着ける。ワタクシは大学学部生の頃からずっと千代田線の馴染みであって、人生の2/3は千代田線の沿線で暮らしている。

 金町の改札口で、2人の「今井先生ですか?」と遭遇した。ペアではなくて、完全に別々の2人である。1人は、高校3年生。「今井先生のC組とB組を受講して、英語が大好きになりました。いよいよ受験シーズンですが、どうやらうまくいきそうです」と言ってくれた。

 もう1人は東京理科大の2年生である。確かに金町には「理科大通り」もあって、理科大の学部生がたくさんこの駅を利用している。「先生のブログをいつも読んでます」「もうすぐ始まるホーチミンシティの旅行記が楽しみです」「シドニーの旅行記も楽しみにしてます」とのことだった。

 ホームで2人と一緒に写真にも収まり、恥ずかしながら「サイン」と言ふ行為にも応じた。いやはや1人は18歳、もう1人は20歳。完全に親子の年齢差であって、こんなに若い人々がこれほど親しく話しかけてくれるのは、まさに光栄の至りである。
今井君
(地下鉄千代田線で学部に通っていた、まだ19歳の今井君)

 18歳から29歳までの11年間、ワタクシはこの地下鉄千代田線に乗って、通学と通勤を楽しんだ。18歳で秋田から移り住んだのが、北松戸。北松戸に5年、松戸に2年、新松戸に4年。大学にも松戸市から、大手町で東西線に乗り換えて延々60分、読書三昧の通学をエンジョイしたのである。

 学部生のころ電車内で読んだのは、徹底して平凡社の東洋文庫である。就職してからは、ちょうど1ヶ月に1冊のペースで出ていた旺文社文庫の内田百間を読んで通勤を楽しみ、電車の中だけで内田百間の作品全てを読み尽くしたのであるが、学部時代は「意地でも東洋文庫」を貫いた。

 だから今でも、仕事で松戸とか金町とか綾瀬とか、千代田線の沿線を訪問することがあると、どうしても東洋文庫を思い出すのである。当時は授業より映画館が優先、ゼミよりも芝居小屋が優先、そういう超フマジメな学生だったが、電車内の読書だけはKとUとSとOのつくほどのマジメだった。

 読んだ順番だって、きちんと記憶している。① 耳袋(全2巻) ② 今古奇観(全5巻) ③ 十二支考(南方熊楠)全3巻 ④ ミランダ王の問い(全3巻) ⑤ 元曲五種、そんなふうに続いていく。

 映画の3本立てを見終わってヘトヘトの夜、または長い芝居でやっぱり疲れ切った後、午後11時の酔っ払いだらけの千代田線で、それでも意地でも東洋文庫に集中した。
書棚
(20歳の頃熱中していた「東洋文庫」が、書棚に残っている)

 だから、金町や亀有や綾瀬や北千住の駅は、通学時なら「まだ大学までゆっくり読書を楽しめる」とホッと一息つく地名であるし、帰宅時なら「何だ、まだ松戸まで10ページはいけそうだ」と、再びグイッと活字にのめりこむ場所であった。

 今はこんなふうにブログという形式で記録を書き連ねているけれども、当時は専ら手書きの記録であって、パソコンやスマホどころか、懐かしの「ワープロ」と言ふ古代の道具さえなかった時代であるから、今井君の日々の記録はひたすら万年筆と大学ノート。「何だそりゃ、縄文時代じゃあるまいし」の世界である。

 当時の読書の記録が、段ボール箱の中にどっさり残っている。今のブログの調子で、18歳から29歳まで書き連ねたのだから、「松戸の日々」というか「東葛飾日録」というか、膨大な量の手書きの記録である。

「いつ捨てるか?」と自らに問いかけても、どこからも「今だんべさぁ!!」とか「今できないヤツは一生できない」みたいに、躊躇のない勇ましい声は聞こえてこないので、段ボールいっぱいの読書ノートは、もうしばらく生きながらえることになりそうだ。
耳袋1
(久しぶりに東洋文庫「耳袋」を出してみた 1)

 それにしても諸君、18歳頃の今井君、素晴らしく几帳面な文字を書いていたのである。今ももちろん板書の文字の美しさには、自ら驚嘆し「うまいな!!」と絶叫するほどのものがあるが、万年筆で綴った当時の文字の几帳面さをみると、「オレって、どこかで血液型が変わっちゃったんじゃないか」と思うほどである。

 秋田での18年から、そういう千葉県松戸の11年に移行する間に、ごく短く ① 埼玉県大宮時代 ② 岩手県盛岡時代 ③ 練馬区石神井時代が挿入されるのである。

 ①が1年、②が2ヶ月か3ヶ月、③が5ヶ月であるから、中国史で言えば「五胡十六国」とか「五代十国」とか、まあそんな感じ。漢とか唐とか宋とか、長生き大帝国の間にギュッと短くはさまった、混乱の時代である。

 浪人して御茶ノ水の駿台予備校に通っていたのが、①の大宮時代。東京大学に入学を許可されず、「どうしたらいいんだ?」と呻吟していたのが、②の盛岡時代、春から夏の早稲田でウロウロしていたのが、③の石神井時代。おお、やっぱり五代十国そのものであった。
耳袋2
(久しぶりに東洋文庫「耳袋」を出してみた 2)

 12月13日のお仕事は、西武池袋線の大泉学園駅前。五代十国を締めくくる「石神井時代」を、大泉学園の1つ手前、石神井公園駅周辺で過ごした。18歳のころの記憶を辿るのに、まさにもってこいの仕事が連続したことになる。

 アパートとかマンションとかではなくて、普通の一軒家の2階の部屋を借りて下宿した。「6畳一間」であって、もう1つの6畳間には静岡県藤枝からきた学習院大文学部生がいたし、真ん中の4.5畳間には、名古屋からきた男子がいた。彼は学習院大法学部の1年生だった。

 もう10年前のことになるが、2007年秋、ワタクシは石神井時代に下宿していたオウチがまだ残っているかどうか、ふらふらと訪ねていったことがある。秋の夕暮れ、すっかり古びた昔の下宿が見つかった。しかし諸君、あれから再び10年が経過している。時の流れるのは、マコトに早いものである。

 大泉学園でのお仕事は、19時半開始、21時10分終了。その様子はすでに昨日の記事に示した。定番ではあるが、机を全て取り払って椅子だけの設定とし、定員50名程度の容積に合計120名が入って、またまたモーモーと激しい湯気が立ちのぼる大盛況となった。
当時のノート
(19歳当時の観劇ノート。おお、万年筆の字が几帳面だ)

 ワタクシがお隣の石神井公園で1人暮らしを始めたころと、ほぼ同じ年頃の男子女子が目の前にズラリと120名も並んでいるのである。うぉ、どうしても信じがたい。諸君、こんなに若いサトイモ君が、深夜の電車の中でひたすら「東洋文庫」を読みふけっていたのである。

 大泉学園からの帰り道、懐かしい西武池袋線の準急で池袋まで行ってみた。おや、こんなに遠かったですかね。18歳の今井君は、この電車の中で何をやってたんですかね。

 当時の準急は「練馬」という駅には停車しなかったが、今やこの路線は、地下鉄副都心線やら地下鉄有楽町線やらとクンズ&ホグレツの相互乗り入れを実施中。練馬からは、都営地下鉄大江戸線にも乗り換えできる。練馬に止まらないと、いろんな混乱をきたしそうだ。

 練馬のお隣は、桜台。青森県木造町から上京してきた友人の菊池君は、桜台駅から徒歩10分のところに下宿していた。1歳年上の友人であったが、25歳の初夏に急死した。西武池袋線に乗るたびに、どうしても記憶に甦るのは、菊池君の懐かしい笑顔の思ひ出なのである。

1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 1/9
2E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 2/9
3E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 3/9
6D(DMv) HAMMINGBIRD
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