Sat 171118 長崎は雨だった/20世紀末の浪人生クラス/切っちゃおう/長崎の大盛況 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 171118 長崎は雨だった/20世紀末の浪人生クラス/切っちゃおう/長崎の大盛況

 雨の多い地形があって、三重県の尾鷲はその典型である。南東からの湿った風が紀伊半島の東の山々にぶつかり、上昇気流で雲ができる。「南東からの湿った風」は、何しろ暖かい黒潮の上を吹いてくるんだから、その湿り方はハンパなものではない。

 ノルウェーのベルゲンも条件は同じである。メキシコ湾やカリブ海からの暖流が、アイルランドやスコットランドを経てノルウェー西岸に流れつく。ちょっと意外な感じであるが、ノルウェーはこの暖流のせいで比較的暖かいんだそうだ。

 その暖流の上で目いっぱい湿った風が、ノルウェーの険しい山にぶつかって、絶えず分厚い雲を作る。だからベルゲンの町は、今日も雨、明日も雨、明後日も雨。雨の降らない日の方が珍しい。8月下旬にワタクシが訪ねた夜も、激しい雨に濡れていた。

 我が故郷・秋田の天気も同じである。南西の方角から「対馬海流」という暖かい海流がどんぶらこ、東シナ海のムワムワ温かい海水を運んできてくれる。だから北緯40度の地点にあって、冬でも暖かいし、夏は東北地方とは思えないほど暑くなる。

 その暖かい海流の上を、冬には北西の季節風がビュービュー吹きつける。お湯の上を乾燥した風が流れるイメージだ。空気は一気にムワッと湿り気を帯び、それが奥羽山脈にぶつかって上昇気流となり、分厚い雲から激しい雪が降る。

 こうして諸君、「ベルゲンは今日も雨だった」「秋田は今日も雪だった」という日々になる。アメリカ西海岸・シアトルの街もまた雨で有名。ベルゲンのことを「ノルウェーのシアトル」と呼ぶんだそうな。「シアトルは今日も雨だった」なのである。
わんちゃんボール
(長崎の懇親会は、中華街の名店「江山楼」にて。名物「わんちゃんボール」、おいしゅーございました。詳細は、明日)

 昭和の大昔、「内山田洋とクールファイブ」と言ふグループが存在し、「長崎は今日も雨だった」を大ヒットさせた。長崎は「ご当地ソング」の宝庫である。小畑実「長崎のザボン売り」、ぜひとも「Just google it!!」であり(スミマセン、昨日の続きです)、春日八郎「長崎の女」、これも同様に「Just google it!!」の対象だ。

「女」と書いて「ひと」と読む。昭和文化の特徴であって、博多駅には「博多の女」というお菓子のポスターがデカデカと貼ってあったし、歌謡曲の世界には「金沢の女」「加賀の女」もあった。

 さて12月10日、長崎のサトイモ君は、激しい雨の音で目覚めたのである。時計は午前7時。天気予報で言っていた通り、長崎は今日も雨だった。

 長崎も諸君、ベルゲンや秋田やシアトルと地理的条件は同じであって、東シナ海のムワムワな暖流が海岸に打ち寄せる。その上を吹いてきた風が長崎の山々にぶつかって上昇気流となり、絶えず雲が発生して激しい雨を降らせる。
長崎
(長崎、200名の大盛況。会場は長崎大学だった)

 しかしワタクシのお仕事の性質上、「今日も雨だった」と溜め息をついているわけにもいかないのである。雨が降れば、欠席者が増加する。業界の常識であって、20世紀末期の巨大予備校では、5月の雨を境に、浪人生の欠席率がグーンと増したものである。

 現役合格が当たり前の21世紀の若者たちには理解できないかもしれないから、当時の浪人生のことを少しだけ書いておく。今から4半世紀前、一年浪人することを「一浪」と呼び、その「一浪」を「ひとなみ」と呼んで、人並みの人間なら、むしろ浪人するのが当たり前と見なす風潮があった。

 浪人生を見る目も、今よりずっと好意的。1年間の浪人生活に、たくさんのお金を払ってもらっても、「パパやママに申し訳ない」とか「親に感謝しなきゃ」とか、そういうマジメなことをほとんど考えずに、平気で浪人生活をエンジョイしたのである。

 4月中旬にようやく予備校の授業が始まっても、生徒はなかなかホンキになれない。浪人しているのに「まだ早い」「そのうちやればいい」「夏あたりからやるかな」「秋からでも遅くない」、教室の中はそんな雰囲気であって、「今はピンチなんだ」という緊張感は感じられなかった。
花束
(長崎で、超豪華な花束をいただいた)

 そういう生徒たちが、1つの教室に200人とか300人とかギュッと集まって、シマリのない講師の雑談を聞かされる。雑談にシマリがないから、笑えない。今井君独特 ☞ 強烈&濃厚にギュッとしまった大爆笑の連続とは違うのだ。

 すると5月ごろから、「切っちゃおうぜ」という言葉が飛び交い始める。「切っちゃう」とは、「もうその授業には出ない」ということであって、せっかく3月にオカネを払ったのに、授業をどんどん切っちゃって、1週間に2日か3日しか予備校に出てこなくなる生徒が続出する。

 予備校でも塾でも、出ないより出てきた方がいいに決まっている。ホントなら週7日、最悪でも週5日。定期券だって買ったんだし、とにかく「毎日登校&毎日受講」が原則だ。

 ところが20世紀末の浪人生は、「切る」「切る」「切る」の世界。切った講師と廊下で出会ったりすると、「オレはオマエを切ったんだ」という上から目線でセンセに嘲笑を浴びせ、得意満面になったりもした。
長崎中華街
(長崎、中華街の風景。夕暮れに雨はあがった)

「チューター」「フェロー」「アドバイザー」みたいな、講師ではないが生徒にアドバイスする立場の人々も、昔の予備校にはたくさんいた。その彼ら彼女らがまた「そんな授業なら切っちゃえば?」「切った方がいいよ」と、マコトに困ったアドバイスを連発した。

 自分で切っちゃうことに躊躇を感じていた生徒でも、チューターに「切っちゃえよ」と言われれば、そりゃもうモッケの幸いだ。5月6月と雨の多い時期に、授業をどんどん切りに切って、気がつけば週に2回か3回、超有名講師の授業しか出なくなっている。

 だから諸君、昔の浪人生の予備校は、200人教室に30人とか40人とか、気の遠くなるような光景が当たり前だった。「パンパンの満員」「立ち見続出」「酸欠寸前」などという幸福な教室は、数えるほどしかなかったのである。

 だから不人気講師の方は、ガーラガラにすっかり慣れっこ。10人しかいないガーラガラの教室で、平気でマイクを使い、スピーカーの音声が寂しく壁に反響しても、シマリのない授業を続けて何の反省もなかった。
前菜
(バラエティ豊富な前菜から。写真ではあまり映えないが、たいへんおいしゅーございました)

 しかし諸君、今井君は当時からマコトに気が弱かったから、そんなミジメな状況に耐える精神力はない。ガラガラに耐えられないなら、意地でも教室をパンパンなままに維持する努力をするまでだ。

 ギュッと厳しく努力し、ギュッと集中力を高めて、ギュッと最高の授業を続ける。誰にも「切っちゃった」「切っちゃえよ」とは言わせない。雨が降ろうが、台風が来ようが、「今井だけは出なきゃ」と言わせたい。すべては、気の弱さから始まった。

 しかしやっぱり激しい雨の日は心配で、朝から落ち着かない。雨がきっかけで1回ズル休みをした生徒は、そのまま次も、そのまた次も、ズル休みをするだろう。そういう行動をイケナイことと感じなくていい風潮が、当時の世の中にはあった。だって「ひとなみ」なのだ。

 だから2017年の今井君は、今もまだ心配でならない。長崎で「今日も雨だった」ということになれば、「生徒はちゃんと来るのかな」「ズル休みの生徒もいるだろうな」と、ソワソワし始める。「どっしり構える」などという図太いことは、どうしてもできないのである。

 おかげさまで諸君、12月10日の長崎は、この激しい雨にも関わらず、出席者約200名。長崎大学の大ホールは予定通りの熱気に包まれた。保護者の皆さまも多数参加。ホッと一息のサトイモ君であったが、その後の懇親会も含めて、詳細はまた明日の記事で書くことにしたい。

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 1/6
2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 2/6
3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 3/6
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