Tue 171114 青森の懇親会/サテラインの思ひ出/1990年代と2001年以降のワタクシ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 171114 青森の懇親会/サテラインの思ひ出/1990年代と2001年以降のワタクシ

 青森の懇親会は、宿泊していたホテルのすぐそば、有名店「一八寿司」で17時半から。ワタクシの肉体はたいへん都合よく出来ているので、この段階でランチの揚げ物はほぼ消化が完了。ディナーに向けて準備万端が整っていた。

 胃袋くんも小腸さんも大腸どんも、すっかり臨戦態勢。何よりもまず泡立つ黄金色の液体を求めて、みんな勇み立っている。青森の90分も、やっぱり汗まみれになった。雨の街を5分ほど歩いて、肉体に充満する熱気がほどよく冷めてくれた。

 青森祝勝会の出席者は5名。「北海道大学数学科の出身」という驚くべき秀才もいれば、「元は写真家でした」とニッコリ笑う変わり種もいらっしゃる。東進関係のヒトビトは、日本中どこへ行っても、いい意味でひと癖もふた癖もある猛者が揃っている。

 青森県の担当者は、現役高校生の頃にワタクシの授業を、札幌で受けていてくれたのだそうである。「どうすんだい?」でも佐々木ゼミナールでも、札幌のナマ授業に出講したことはないから、彼が受けた今井の授業は、もちろん「サテライン」による全国同時生中継の授業である。
お刺身
(青森「一八寿司」のお刺身盛り合わせ)

 いやはや、言われてみるとマコトになつかしい。なつかしすぎて、むしろムズムズ、たいへんムズ痒い思いである。ワタクシの佐々木ゼミナール在籍は、1997年3月から2005年2月までだが、当時は「衛星♡全国同時生中継」が大流行していた時代である。

 21世紀の受験生諸君は、「は?」「同時生中継?」「そりゃ何ですか?」という気分だろうが、東京の本部校舎で行なっている授業を、地方校舎に生中継、地方校舎の巨大スクリーンに映して、生徒はその薄暗い教室でスクリーンを眺めて受講した。

 地方都市にいながらにして、東京の授業を受けられる。超有名講師の実況中継を体験できる。20世紀末の受験生にとっては、もうそれだけで驚きの体験だった。スタジオで収録した授業のVODが当たり前の現代からみると、やっぱり隔世の感がある。

 今の高校生の保護者の世代あたりから、佐々木ゼミならサテライン、Pretty塾なら「サテライト」、どうすんだい?なら「サテネット」、長い時間を経て、少しずつ&少しずつ定着していったのである。

「講師と生徒の間でキャッチボールができないじゃないか」
「わからないところを先生に質問できないじゃないか」
マスメディアのしつこい異論反論が続いたけれども、我々がたっぷり時間をかけ、異論も反論も着実に誠実に克服&征服してきた。
 一八寿し
(青森、一八寿司)

 そういう思ひ出を語り合いながら、青森での祝勝会は熱く盛り上がった。彼が札幌のサテラインで今井の同時生中継にのめり込んでいたのは、2001年を過ぎたばかりの頃、まさにミレニアムの時期である。

「他の先生の授業が全くわからなくて困っていたら、先輩が『すごくわかりやすいよ』と言って今井先生を勧めてくれました」とおっしゃる。そりゃそうだ、当時の今井君は、「分かりやすい」こと以外、ほとんど何も考えていなかった。

 もしもっとルックスがカッケーなら、ナンボでもサテライン映えするだろう。長身の足長オジサンとか、足長オニーサンとかなら、赤やグリーンや紫やピンクのスーツで颯爽と登場してもいいし、黒い革パンツに革ジャケット、そんなムレムレのカッコもビシッと決まる。

 日焼けした褐色の胸を大きく開き、革ジャケットを直に羽織って、首からは金のネックレス。いやはやすげーカッコのセンセも少なくなかった。

 当時、佐々木ゼミナール本部校舎は、そんな超画面映えのカッコで登場するイケメン講師たちで本当にムレムレな雰囲気。ド地味な今井君に、入り込むスキなんか見つかりそうもなかった。
お寿司
(一八寿司、〆の握り寿司セット)

 そうなると、地味サトイモに残された活躍の余地は、2通りしか考えられない。① ド派手な発言を繰り返して耳目を集める。または ② あくまで分かりやすく、懇切丁寧な授業を積み重ねる。その2つの道である。

 ワタクシもまだ若かったから、最初に目をつけたのは①タイプ。どれほど自分が頭が切れ、過去にどれほどの知的武勇伝があって、今もどれほど自分しか知らない知識に溢れているか。それを知的な表情で語りまくって「カッケー♡」「スゲー♡」「感動した♡」と言わせたいわけである。

 しかしそんなの、すぐに化けの皮が剥がれるじゃないか。しかも「どうすんだい?」から鳴り物入りで移籍してきたおかげで、いきなりサテライン授業が1週間に5コマ。「全講師の中でサテライン数が一番多い」というツラい立場に立たされた。

 まあ、いろんな試行錯誤をした。知能指数の高さを匂わせたり、自分にしかできない長文読解の方法論を見せびらかしたり、「真の速読を伝授する」とか、その種の激しい言葉を連発したり、そうでもしなきゃ、ド派手軍団に対抗できるはずがないと考えていた。
日本酒
(お土産に、旨い日本酒をいただく)

 しかしその種の努力は、佐々木ゼミ移籍から4年目ぐらいまで。21世紀を迎えるころからは、ひたすら分かりやすさと懇切丁寧を旨とする方針に切り替えた。幸い人気も衰えることなく、なんとも画面映えしないサトイモなのに、サテライン講座は1週間9コマに増えていた。

 青森の担当者が授業を受けていてくれたのは、まさに「徹底的にわかりやすく」「いつでも爆笑しながら楽しく授業を受けられるように」「生徒諸君が苦しむことがないように」と心がけて始めた時代だった。

 20世紀の今井を知っている人と出会うと、実は今も気恥ずかしいのである。1990年代、ハッキリ無理をしてました。「どうすんだい?」でも、英字新聞の社説を50分に1つ読解して要約するとか、無理して自分を偉く見せることにばかり熱心でございました。

 それにひきかえ諸君、21世紀に入ってからの授業を受けた人となら、ワタクシは気恥ずかしさナシに話ができる。「ウケました」「笑いました」「面白かったです」「わかりやすかったです」「全部わかっちゃいました」。そう言ってもらえれば、それが一番うれしいのである。

 もしその人が先生とか講師とかいう立場になり、「カッケー授業より、わかりやすい授業を心がけています」などと言ってくれれば、今井はさらに調子に乗って、宴会の酒も進み、寿司も刺身もボコボコ口に突っ込んでいく。昼の揚げ物の重苦しい記憶なんか、宇宙の果てに飛んでいくのだ。
亜希
(翌日、再び「とんかつ 亜希」の店先まで行ってみた。牛さんと豚さんが、優しくワタクシを招いていた)

 最近は日本中いろんな所で、「むかし今井先生の授業を受けてました」という先生に出会う。塾や予備校の先生に「あのころの先生の授業をパクって授業をしています」と告白されることも少なくない。

 その場合ワタクシはできるだけ「20世紀のヒトですか? 21世紀のヒトですか?」と確認するようにしている。パクられることはたいへん嬉しいが、もしも1990年代の今井の授業をパクっているというなら、「その種の無理は、余りなさらないほうがいい」とアドバイスすることにしている。

 何も20世紀の今井の授業がよくなかったというのではない。あれはあれなりに強烈なインパクトがあり、アタマを強烈に刺激するスンバラシー授業をしていたという自負はある。

 ただし刺激が強烈すぎれば、いろいろ壊れるものもあるだろう。マッサージチェアに3時間も座って気持ちよくモミモミしていると、その後カラダ中の筋肉に痛みが走り、まるまる1週間も後悔することになる。まあそれに似た話である。
マロン
(昭和な純喫茶「マロン」。次回の青森では、ここに来てみたい)

 そのぶん、21世紀に入ってからの今井の授業なら、日本中の先生方にどんどんパクってもらってかまわない。雑談部分だって、どんどんパクってよかんべえ。大いに生徒を笑わせて、センセも生徒もみんな幸福な気持ちで終了のチャイムを聞こうじゃないか。

 青森のお寿司屋には2時間ほどいて、午後8時には「2次会に行きましょう」ということになった。この段階で今井君は、もう日本酒を5合も飲み干していたから、2軒目がどういうお店だったか、正確に記憶してはいない。

 しかし、居心地のいい和食屋さんで、鉄板でお肉を焼いて、生タマゴで食べたことは覚えている。今井君だけ生タマゴを解かず、そのまま鉄板にのっけて、目玉焼きを作ってみた。みんながすき焼き風に食べているのを横目に、目玉焼きの黄身をまるまる口の中に放り込んだ。おお、たいへんおいしゅーございました。

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