Sat 171111 能代を通過/牛丸君/いよいよ日本海の絶景/千畳敷/熟睡の渦に加わる | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 171111 能代を通過/牛丸君/いよいよ日本海の絶景/千畳敷/熟睡の渦に加わる

「五能線」と聞いて、旅にそれほど関心のないオカタ、鉄道の旅なんかちっとも面白くないという御仁、そういう人はもちろん早速ソッポを向いているに違いない(スミマセン、昨日の続きです)。

 確かに五能線、ワタクシが小学生のころには、廃止路線になるかならないかの瀬戸際に立たされた、マコトに寂しいローカル線であって、ちょっと趣向を凝らした海水浴に、岩舘の岩だらけの海岸を訪れるぐらいがせいぜいだった。

 しかしそれも諸君、「岩」である。黒い尖った岩がどこまでも続いているんだから、たいへん痛々しい海水浴になる。「砂浜でのんびり寝転がって甲羅干し」みたいな甘い思ひ出にはなりにくい。

 数メートル泳いでは、尖った岩を膝で思い切り蹴り上げて、膝頭から真っ赤な血液がほとばしる。また数メートル、今度は膝を痛めないようにバックで泳ぐと、今度は肩から背中にかけてパックリ、岩のナイフで長い傷ができる。
千畳敷
(五能線、千畳敷海岸の絶景)

 何と言っても苦痛なのは、「歩く」という動作である。裸足で一歩進むごとに、アンヨに岩が突き刺さる。海岸の屋台でワラジを販売していて、慣れた人はそのワラジをはいてアンヨの裏を保護しているのだが、初めての岩浜訪問では、そんなワラジの存在も知らないのである。

 今井君が岩舘海岸を訪れたのは、小学校3年生の夏である。ちゃんと水泳ができるようになったのも、まさにその岩舘の海水浴であるが、それもやっぱりトゲトゲ尖った固い岩のおかげだった。

「泳いでないとアンヨが痛い」という切羽詰まった状況がスパルタ教育的に機能して、「意地でも泳いでやる」という意識が高まったわけである。

 諸君、やっぱりスパルタも悪くない。「英会話ができません」みたいな悩みには、スパルタがいいに決まっている。1人で1年アメリカかオーストラリアかイギリスで生活してきたまえ。「日本から出ないで英語をマスター」なんてのは、水たまりでパシャパシャやっているに過ぎないじゃないか。
五能線1
(冬の日本海は強烈だ 1)

 というわけで、今井君を乗せた臨時列車「リゾートしらかみ」は、10時38分に秋田駅を発車。とりあえず東能代まで田園地帯を北上する。

 進行方向左側には、男鹿半島の山々が展開し、その手前に旧・八郎潟なんてのも見え隠れする。オランダの真似をして干拓、広大な「大潟村」ができる前までは、琵琶湖に次いで日本第2の面積を誇る湖だったが、昭和の中期に干拓が完成して、まあこんなありさまになった。

「リゾートしらかみ」は、本日だけ「冬のごほうび しらかみ号」という長ったらしい名前に変更になった。長ったらしくて、予約がマコトにたいへんである。JRの職員でさえ、その列車の存在を知らなかったりする。

 そのわりに、列車は空いている。ワタクシが予約した個室タイプは、いちおう団体ツアーのお客さまで満席に近い状況だが、ごく普通の座席タイプは、見たところガーラガラ。1ヶ月前のキップ発売日に長い列に並ばなくても、十分に座れるんじゃあるまいか。
五能線2
(冬の日本海は強烈だ 2)

 団体ツアーの皆様は、秋田を出発するとすぐにガンガンお酒を飲み始めた。東能代で五能線に入るまで、1時間近くかかるのであるが、そのお酒の勢いはたいへん激しいものがある。「おいおい、大丈夫かい?」の世界である。

 能代は「バスケの町」である。全国大会優勝58回を数える能代工業高校が、町の人の誇りである。最近10数年の実績は少し寂しいものがあるが、ごく普通の公立高校が58回優勝というのは、20世紀の奇跡と言っていい。バスケの町は今も健在である。

 しかし今井君にとっては、能代は「牛丸君の町」である。なんだそりゃ?であるが、中学3年のころ、模擬試験で秋田県内トップを争っていたのが、今井君と牛丸君と黒坂君。今井君と黒坂君は秋田高校の同級生になったが、牛丸君は能代高校に進んだ。

 一度も会ったことがないし、牛丸君のほうでは今井君なんかちっとも眼中になかったかもしれないが、それでもワタクシは牛丸君を記憶している。

 だって諸君、「牛丸」、インパクトのある名前じゃないか。いいですな、今井などという平凡な名前に比較して、牛丸ならあっという間に記憶に刻み込まれるじゃないか。
五能線3
(冬の日本海は強烈だ 3)

 というわけで列車は、東能代を発車。次の能代駅で30分停車して、いよいよ五能線に入る。20分ほどで八森を通過。民謡「秋田音頭」に登場する「八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ」「能代春慶、ヒヤマ納豆、大館まげわっぱ」であって、ハタハタが名物の八森。ここからは日本海の絶景の連続だ。

 ところが諸君、列車内には激しいイビキが響き渡っている。秋田を出発して1時間。どこの個室でもオジサマ連とオバサマ連が大はしゃぎで酒盛りを繰り広げ、能代を出る頃にはすでに相当お疲れの様子。やっと八森を過ぎて、お目当の海岸風景が展開し始めるころには、すっかり酔いが回ってしまった。

 個室といっても、別にドアがギュッと閉まるわけではない。衝立で仕切られているだけだから、他の個室の様子も手に取るように分かる。今井君のお隣の個室では、オジサマ2名+おばさま2名、マコトに幸せそうにスヤスヤ眠っていらっしゃる。

 その向こうの個室も、そのまた向こうの個室も、状況は完全に同じである。窓の外には北荒海の日本海、恐るべき大波が巨岩を噛み砕き、黒い岩が波に噛まれて悲鳴を上げているのに、しっかり目を見開いて岩の苦悶を見つめている者は、列車内にほとんど存在しない。
はたはた
(秋田駅で購入した「はたはた磯焼」。おいしゅーございました)

 かく言う今井君も、危なくなってきた。ただ単に消費したアルコール量で比較すれば、間違いなく列車内で今井君がトップ。というか「抜群のトップ」であって、テーブルの上の酒瓶の数に我ながら唖然とする。それでもまだただ1人しっかり目を開いているのは、強靭な意志の力によるのである。

 岩舘を過ぎて、列車は秋田県から青森県に入る。十二湖を過ぎ、陸奥岩崎を過ぎて、深浦に到着すると、岩の色が黒から赤に変わる。太古の昔、岩木山の溶岩流がこの海岸まで流れ着いて日本海に流入、氷の海水にジュッと冷やされ、ギュッと固まった。そういう赤岩サンたちである。

 深浦から鯵ヶ沢までが、西津軽海岸の絶景。途中「千畳敷」の奇景の前で列車は15分ほど停車する。「海岸の散策をお楽しみください」「発車5分前に汽笛を鳴らします」とアナウンスが入るが、諸君、列車内は散策どころか熟睡の嵐。散策を楽しもうと外に出た人は、ホンの数人にすぎない。
つらら
(ツララがびっしりの千畳敷海岸。手前はリゾートしらかみ号)

 しかもこの日の千畳敷、季節風はただごとではない。軽い人間なら、ポンと吹き飛ばされてもおかしくないほど。しかし今井君は何しろ重量級であって、風に向かってどっしり構えれば、地吹雪も恐るるに足らず、マコトに落ち着いたサトイモである。

 この落ち着きの秘密こそ、「楕円形」である。サトイモやキウィや柑橘類が恐るべき楕円形の子孫を日々量産しているのは、楕円形こそこの世で最も安定した理想の形だからである。

 楕円、恐るべし。日本海を吹き荒れ、無数の木造船を押し流す北西の季節風でさえ、楕円のサトイモ男を止めることはできない。厳寒の千畳敷海岸を闊歩することによって、楕円・今井は体内に蓄積したアルコールを一気に退散させることにも成功したのである。
お酒
(消費した日本酒各種)

 こうして列車は、無事に鯵ヶ沢に到着した。昨年の五能線は快晴のポカポカお天気。波も穏やかで、荒れた日本海の絶景を味わうことはできなかったし、千畳敷もまるで瀬戸内海の小豆島みたいなゆったりした雰囲気。しかし今年の日本海は、その本来の荒々しさをギュッと厳しく堪能させてくれた。

 しかし今井君の気力もここまで。鯵ヶ沢を過ぎて、列車が内陸部に入ったところで、睡魔に屈した。大音量の車内放送で津軽三味線がハードロックよろしく流れ始めたが、そんなことはお構いなしのウルトラ熟睡である。

 列車が木造を過ぎ、五所川原を過ぎ、リンゴ畑が地平線の彼方まで広がる津軽平野を横切っても、乱れることのない楕円形の安定した熟睡は続いた。弘前に到着、15時50分。いやはや、よく眠った。これほど快適な熟睡は、久しぶりの経験かもしれない.

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10
2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 7/10
4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 8/10
5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 9/10
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