Fri 171110 五能線の旅に出る/逆巻く波に … 漕ぎ出でむ/はしだのりひこの思ひ出 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 171110 五能線の旅に出る/逆巻く波に … 漕ぎ出でむ/はしだのりひこの思ひ出

 いま、青森にいる。午後から青森でお仕事なので、昨日のうちに青森に入ったのである。昨年も同じ12月の第1日曜日に青森にいた。どうやらこれは、毎年の恒例になりそうである。

「青森で15時から公開授業」ということになれば、大事をとって前日のうちに青森入りする。別に青森に限ったことではなくて、例えばそれが長崎とか沖縄であっても、前日入りは当然なのである。一般にはこれを「前のり」と呼ぶらしい。

 しかし諸君、日曜日の仕事のためにせっかく土曜日から旅をするなら、その旅を可能な限り楽しいものにしたい。その方法には2つあって、① 旅そのものを楽しくするか ② 目的地で楽しく過ごすか。その2通りであるが、欲張りなサトイモ君は、当然その2つを2つとも実現したいのである。

 だから土曜のワタクシは、朝5時半にはもうオウチを出ていた。ということは諸君、午前4時起床、4時15分には熱いお風呂につかって、5時すぎに準備万端すべて整った。旅慣れたワタクシの荷造りは、国内の旅なら5分、外国旅行2週間の場合でも、15分もあれば仕上がるのである。

 12月上旬は、1年で最も日の出が遅い。朝5時はまだ真っ暗であって、気温5℃前後まで下がった東京でも、吐く息が街灯の光に照らされて真っ白く見えた。

 これから新宿のバスタ経由、羽田空港に向かう。ホントに偉い今井君は、1年にわたって「希望の脱タクシーの党」代表をたった1人で継続中。簡単に党代表の座を投げ出したりすることは決してない。バスの新宿発車が6時20分。長い中央環状線のトンネルを抜けたところで夜が明けた。
五能線
(真冬の五能線を旅する。青森県深浦付近にて)

 これからの予定を書いておこう。羽田発7時50分のヒコーキで、ワタクシは秋田に向かう。秋田駅から「リゾートしらかみ号」に乗り込んで、冬の日本海の強烈な北西風を受けながらひたすら北上し、午後4時には青森県弘前市に到着。弘前から青森までは、奥羽本線の列車で45分ほどの旅である。

 実は昨年12月にも、全く同じルートを旅している。青森での仕事が続く限り、このルート自体が恒例になって、来年も再来年も続きそうであるが、昨年と今年とでは大きな違いがあって、それはこの地域の天候である。

 昨年は、地球温暖化の影響をマトモに受けてしまった。東京もポッカポカ、結局イチョウ並木が黄金色に染まったのは、12月も中旬になってからのことだった。秋田も青森も同じことで、北の日本海もまたポッカポカ、暖かいお日さまに照らされた北の海は波も穏やか、五能線を旅している実感はあまりなかった。

 しかし諸君、今年は状況がまるっきり違う。ヒコーキが秋田に向かって降下を始めると、凶悪な雪雲の真っ只中に入って大きく揺れ出した。途中、月山も鳥海山もちっとも姿を現さなかった。

 雲の下に出ると、山も集落も水田も、全て厚い雪に覆われて真っ白である。つい4日前のワタクシは札幌を旅していたが、いま眼下にみる秋田の雪風景には、札幌や千歳空港を凌ぐ厳しさを感じる。
なまはげ
(五能線には、秋田から入る)

 ヒコーキからバスに乗り継いで、秋田の街まで30分強の道のりであるが、山から人里に降りてきても、雪の景色は変わらない。それどころか、秋田の歓楽街「川反」あたりまできて、また急に雪が激しくなってきた。

 分厚い雪雲のせいで、街は夕暮れを思わせる薄暗さ。歩道にも車道にも、あっという間に雪が降り積もる。何しろ吹雪に弱い五能線だ。今にも「運休」「運転見合わせ」の発表があるのではないか、そのぐらいの勢いである。

 しかし結論から言うと、だからこそ今回の五能線の旅は楽しかったのである。北の日本海は、ヌルい風景であるより、強烈に厳しいほうがいいじゃないか。危険を感じるぐらいの吹雪の景色がいいじゃないか。

「北荒海の日本海 吹雪に鍛えし港魂」。幼い今井君が通った「秋田市立土崎小学校」校歌の一節である。「逆巻く波に帆を上げて 自由の海に漕ぎ出でむ」と続く。校歌3番の歌詞である。

 木造船で日本海に漕ぎ出でて、思わず対岸に漂着するような軽挙はイケナイけれども、北荒海の逆巻く波を進行方向左に眺めながら、男鹿半島の付け根から津軽半島まで一気に北上する。やっぱり冬の旅はこうでなければいかん。

 列車の出発は10時38分である。秋田の駅で時間の余裕があったから、お土産屋さんで酒とツマミを買い込んだ。何しろ秋田から弘前まで5時間の旅だ。お酒も進むし、ツマミも弁当もどんどん平らげるだろう。今日は仕事はないんだから、まあその辺にも遠慮がない。
秋田駅
(秋田駅。15歳から18歳まで、この駅を利用した)

 ところで諸君、フォイークシンガーのはしだのりひこが亡くなった。本名・端田宣彦。京都で生まれ、京都で育つ。同志社高校から同志社大学へ。「フォーク・クルセイダーズ」「はしだのりひことシューベルツ」などを率いて、1960年代終盤から1970年代の日本を席巻した。

 北山修作詞の代表作「風」を知らない人は、少ないだろう。「人は誰もただ1人旅に出て 人は誰もふるさとを振り返る」「ちょっぴり寂しくて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ」。今井君の同年代の人が、ふとカラオケで歌いたくなり、歌い出してまた寂しくなって、途中でやめてしまう曲である。

 しかしさすがに京都の人だけあって、2番の歌詞は「プラタナスの枯葉まう冬の道で」と続く。秋田の冬の道は雪が風で舞い上がり、逆巻く波に帆をあげて海に漕ぎ出せば、たちまち日本海の向こう岸まで漂流しかねない風景とは、別世界の人である。
きっぷ
(五能線の周遊きっぷ。格安で五能線の海岸を堪能できる)

「帰ってきたヨッパライ」となると、知らない人はもっと少ないはずだ。というか、今日から明日にかけてのテレビニュースでは、必ずこの曲が流れるだろう。「オラは死んじまっただ」「オラは死んじまっただ」「天国に行っただ」の曲に乗せて、女子キャスターが真面目なお顔で「冥福をお祈りします」と締めくくる1日だ。

 今井君は学校のスキー教室のことを思い出す。あのころ秋田市内の学校のスキー教室は、田沢湖の乳頭温泉スキー場。コドモたちのために貸切にするには、ちょうどピッタリの初心者用スキー場だ。リフトなんか、短いのが1本しかなくて、ユルユルの緩斜面がどこまでも続いていた。

 そのスキー場で、1日中ずっと「帰ってきたヨッパライ」がかかっていたのである。いくらヒット曲でも、スキー教室でやってきたコドモたち相手に、朝から夕暮れまでずっと「帰ってきたヨッパライ」というんじゃ、何となく場違いであった。

 帰りのバスの中は、「酒は旨いし♡ネーチャンはキレイだー」の大合唱になった。だって諸君、10時から午後3時まで、スキー教室の間ずっと繰り返し繰り返し、意地でもこの曲がかかっていたのだ。コドモたちの脳に、「死んじまっただー」「ネーチャンはキレイだー」がギュッと染み込んだのも当然である。
個室
(リゾートしらかみ号、個室風景。これなら酔っ払っていける)

 はしだのりひこには、もう1つ幼い今井君が記憶してしまった懐かしい歌がある。NHK銀河テレビ小説「天気晴朗なれど」(1973年)の主題歌である。ドラマは、佐藤愛子作、出演は木村功・京マチ子・春川ますみ。今年「90歳 何がめでたい」が大ヒットした佐藤愛子どんであるから、ふと何かの因縁を感じる。

 曲名は「あしたの色は」。「人のこころ 通り過ぎる」「窓の外を 通り過ぎる」で始まるこの曲、記憶力抜群の今井君は今もなお全曲歌えるのであるが、いろいろ著作権のこともある。ここに歌詞を掲載するのは控えることにした。

 こうして、いよいよ五能線の旅の本番が始まるのである。秋田駅で買った弁当「秋田のうめぇもの詰め合わせ」をつついているうちに、右の車窓に秋田県立秋田高校、父・三千雄が長年勤めた旧国鉄土崎工場、幼い今井君が「天気晴朗なれど」を眺めていた旧国鉄職員宿舎、市立土崎中学校、全てたちまちのうちに過ぎて行った。

 こんなふうにして、人は誰も旅に出て、人は誰もふるさとを振り返る。窓の外を通り過ぎるのは、雪のふるさとの風景。あんまり軽率に逆巻く波に帆をあげたりしないように、吹雪の冬はこうして穏やかに、暖かい車内でお酒でも飲みながら旅するのがいいのだ。

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10
2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 3/10
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 4/10
6D(DMv) MORNING GLORY
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