Thu 171102 雪のカホリ/福の花/埼玉県与野の大盛況/津田沼の大盛況/モッタイナイ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 171102 雪のカホリ/福の花/埼玉県与野の大盛況/津田沼の大盛況/モッタイナイ

 11月17日夜、懇親会というか祝勝会というか、とにかく予定を50人も上回った富山での大勝利を祝って(スミマセン、昨日の続きです)深夜まで旨い料理とお酒に陶然となった。

 何より楽しかったのは、「むかしバンドで活躍してました」「その後はしばらくバーテンダーもやりました」という若いスタッフの人生経験談である。

 おお、素晴らしいじゃないか、むかしむかしの日本で流行した生き方は「何でも見てやろう」であり「書を置いて、街に出よう」であったが、21世紀の世界は諸君、「何でもやってみるべ」「ばりばり経験してみるべ」なのである。

 ホテルに戻る頃には、天気予報でずっと予告していた通り、強めの雨が降り出した。「雪になるかもしれません」という予報であったが、北国出身の今井君としては、「雪のニオイはしませんな」であって、以前に一度書いたことがあるが、その年の最初の雪になる前は、空気中に初雪のカホリが漂うものである。

「お、そのセリフ、今から15年前に中島美嘉という人物が『雪の華』の中で熱唱していましたな」であって、初雪の気配の中、ふと15年前を振り返れば、2003年から2004年、ワタクシはいよいよ佐々木ゼミ(仮)から東進への移籍をマジメに考え始めていた頃である。

白海老
(富山で「白海老づくし」を満喫する)

 

 あの頃は、バブル崩壊の後の緊張時代であって、「次の巨大倒産はどこなんだ?」「あそこかもしれない」「いや、こっちかもしれない」と戦々恐々、冬の初めの北風が身に沁みた。

 中島どんが雪と氷の真っただ中で熱唱する「雪の華」にも、だからこそ実感がこもっていたのかもしれない。ふとYouTubeで眺めてみると、懐かしいと言ふか、こりゃあまりにも寒そうだ。まもなく札幌に旅立とうとしている今井君は「よし、パッチ履いて行こう!!」と絶叫するのである。

 諸君、中島どんのお歌のサビの部分、「いつも いつでも そばにいるよー♡」であるけれども、2003年の時点でその類いの告白をした経験のあるアナタ、あれから15年、キチンとまだ「そばに」いらっしゃいますかい?

  当時22歳だったとして、すでに37歳と言ふことになれば、いやはや、人間の心と言ふものはマコトに頼りないもの。雪も氷もものともしない熱い告白なんちゅーもんも、あっという間に雲散霧消、「そんな時代もあったね♡」とか、ヌルくてズルーいゴマかしの真っただ中なんじゃあーりませんか?

 2017年11月、世の中の話題は「雪の華」より、むしろ「貴乃花」が優勢だ。土俵下では白鵬が自分で自分のお相撲に物言いをつけ、館内からはブーイング。翌々日の土俵上では、宝富士どんと激しい追いかけっこなんかもやって、いやはやマコトに暢気な時代になった。

酒饅頭
(富山名物「甘酒まんじゅう」を満喫する)

 

 今井君としては、「貴乃花」からさらに連想が進んで「福の花」を思い出すのである。いやその前に、Mac君は「たかのはな」の入力に対して「高野華」の変換を返してきた。おお、高野華ね。今の日本に少なくとも1000人は存在するんじゃあるまいか。

 ところで今井君が「雪の華」から連想した「福の花」であるが、1958年初土俵、1971年引退、最高位は東の関脇。彼の激しい突っ張りは連日のように「キップのいい相撲」と紹介され、幼い今井君は「キップって、なあに?」と、国語辞典を引いてみた経験がある。

 開いた辞書は、「小学館 国語学習辞典」であったが、残念ながら「キップ」は出ていなかった。父の書棚の「角川 国語辞典」を引くと「思い切りがよく、さっぱりとした様子」みたいなことが書いてあったが、今度は「角川」の読み方がよく分からない。

「かくかわ?」「つのかわ?」と迷いに迷って友達に聞いても、だーれもそんなの知らなかった。「かどかわ映画」「かどかわ文庫」が大流行する数年前のことである。ついでに言えば、「有斐閣」が「ゆうひかく」であることについても、高校時代にずいぶん大きな話題になったことがある。

メロン
(埼玉県与野でメロンをいただく)

 

 さて、富山の冷たい雨は、翌朝になっても降り止まず、昼前までは激しくなる一方だった。ワタクシはこのホテルチェーンでも「レイトチェックアウト」が14時まで可能なので、まあゆっくり富山ステイを楽しみ、富山名物「甘酒まんじゅう」も貪ってみた。

 お昼には、富山駅のレストランで「白海老づくし」も味わった。本日の写真1枚目がそれである。白海老天丼、白海老のお造り、白海老南蛮、白海老から揚げ、合計150匹ほどの白海老集団の勇姿を、諸君も目で味わってくれたまえ。ただし実食すると、白海老がいろいろ口に刺さって痛いと言ふことも付け加えておく。

 こうして首都圏に帰還したワタクシは、週がかわってから再び「首都圏周縁の旅」を続けることになった。11月20日が埼玉県の与野、21日が千葉県の津田沼。ともに都心に向かう通勤電車の始発駅付近であって、オウチからは片道約1時間の旅になる。

 いやはや今井君は、ホントに勤勉によく頑張るサトイモである。誰か表彰してくれんかね。こんなに頑張るサトイモを、誰か今までに目撃したことがありますかね。

 11月20日、与野での公開授業は、出席者100名超。まあ諸君、一度でいいから「与野」と言ふ町を目撃してくれたまえ。京浜東北線の電車を与野の駅で降りた瞬間、「例えイマイの公開授業でも、集まるのはせいぜい30名」と、群馬から吹き付ける北風に思わず衿をかきあわせる気分になるはずだ。

 北に大宮。南に浦和。こんな小さな駅の四方から、埼玉県を代表するような大っきな街がギュギュッと圧迫し、すぐ西の隣にも「与野本町」。その隣には北与野に南与野。商圏はマコトに窮屈になっている。

与野
(埼玉県与野、窓を全開の大盛況)

 

 誰が見たって「こりゃ厳しいや!!」と納得するはずだ。暗い駅前には、5階建てぐらいの雑居ビルが数軒。和菓子屋と、ラーメン屋と、居酒屋が、それぞれ1軒。我々の入るビルの地下には「目利きの銀次」がオープン。状況はこれ以上ないほど厳しくなっている。

 しかし諸君、それでも「We are still here!!」であって、我々は今もなお意気軒昂。この街で100名超の高校生を集めきる。それも純粋に高1と高2のみだ。この大盛況は、他の予備校ではとても考えられないはずだ。

 使用したテキストは「C」。「B」に負けないほどの超定番になろうとしている「C」であるが、その熱さはまさに別世界。本日4枚目の写真で注目すべきところは、「窓が全開になっている」という事実である。

 気温は5℃まで下がり、群馬から冷たい北のからっ風が吹き下ろしてくる埼玉の与野で、窓を全開にしなければならないほど、我々は熱く火の玉のように燃え上がっているのである。キップのよさは福の花なみ。雪の華はたちまち融けてジュッと蒸発するだろう。

津田沼
(津田沼、扇風機も出動の大盛況)

 

 翌20日は、今度は首都圏を西から東へ横断して、千葉県の始発駅・津田沼に向かった。津田沼で驚くのは、その塾密度であって、駅前はまさに塾の飽和状態。カンタンに総括すれば、「パルコ以外、ぜんぶ塾」。あとはせいぜい蕎麦屋とファストフードが目立つぐらいだ。

 この飽和状態の中でも、やっぱり我々は意気軒昂であって、狭い教室に「もうこれ以上入れません」「アンコがはみ出ます」のレベルの超満員になった。10日前までに150名の申し込みがあって、「これ以上は危険」と判断。その後も多くの問い合わせがあったが、丁重にお断りするしかなくなった。

 今井君は、残念でならない。10日前でもう150名ということなら、もしもどんどん受け入れたら、250名とか300名とか、塾飽和状態の津田沼で、我々の圧倒的優勢を決定づける大規模な公開授業を実現できたかもしれない。

 今後はぜひ、大きな会場を借りて実施したいと思うのである。だって諸君「丁重にお断り」だなんて、今の少子化時代にあまりにも贅沢すぎないか?

 150人でおしくらまんじゅう状態、冬の真っただ中なのに教室内に扇風機を2台も設置して、そよそよ風の吹く中を、みんなでサウナよろしく汗まみれ。大爆笑の連続に異様なほどの熱気は感じるけれども、「もったいないな!!」であり「Mottainaiデス!!」であって、こりゃ間違いなくホントにモッタイナイのである。

1E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 1/2
2E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 2/2
3E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.1
6D(DMv) UNFAITHFUL
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