Wed 171101 富山の記憶/富山の大盛況/予定より50名も増えた/やっぱりこうでなきゃ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 171101 富山の記憶/富山の大盛況/予定より50名も増えた/やっぱりこうでなきゃ

「いつ雨が降り始めてもおかしくない」という緊張感もなかなかのものだが、11月17日の富山では「いつ雨が雪になっても不思議ではない」と、緊迫感はグイッとワンランク上がるほどであった。実際、タクシーの運転手さんは「明日は雪かもしれません」と笑ったものだった。

 京都から乗った特急「サンダーバード」で2時間半、金沢で北陸新幹線に乗り継いで、富山に到着したのは16時半である。この新幹線が出来る前は、サンダーバードは一気に直通で富山まで連れてきてくれたものだが、今や新幹線に気をつかって、富山までの直通電車は姿を消してしまった。

「金沢−富山シャトル便」と名づけられた、可哀そうな新幹線も走っている。その名は「つるぎ」。JR西日本サイドの意地か何かで、片道30分もかからない金沢と富山の間を、ガーラガラのスッカラカンな状態のまま、行ったり来たりさせられている。

 せっかくの意地なら、全車両でチャンと営業すればいいものを、「○号車から△号車までは、ご乗車いただけません」と、1年経っても2年経ってもマコトに中途半端なままである。存在意義が問われるというか何というか、休場続き&出れば負けの横綱みたいな感覚である。

 京都からやってきた今井君は、このガーラガラの「つるぎ」に乗り継いで富山に着いた。ワタクシの車両には他に5人連れのサラリーマン集団。その他の座席はホントにスッカラカン、座席に1冊ずつズラリと配置された車内誌「西Navi」の表紙の文字が、たいへん悲しく見えるのである。
富山1
(富山の大盛況。予定より50名も増えた 1)

 駅から真っ直ぐに大通りを南下して、ANAクラウンプラザホテルにチェックインする。街中の紅葉はグイグイ進んでいるようで、「うーん、このまま放置すると、2017年のワタクシはホントに紅葉を見逃してしまいかねない」、そういう暢気な危機感に苛まれるのであった。

 スタッフとの待ち合わせは18時。会場はタクシーで5分ほどの別のホテルであって、この5〜6年、1年に1度の割合で続いている富山での公開授業では、もうすっかりお馴染みの会場である。

 何しろ諸君、2011年3月11日、あの東日本大震災の夜、ワタクシはこの富山の会場で公開授業をして過ごしたのだ。当時、快傑ババサマ(今井君の母上)は宮城県仙台市で生活していたが、仙台との電話はもちろん通じなかった。

 仙台とも東京とも安否が確認できないままで、それでもキチンと公開授業をこなした。あの夜の退場時の熱い拍手は、今も忘れられない。ホテルスタッフの皆様も、たいへん熱心な笑顔で見送ってくださった。

 もうこのブログでも何度も書いているが、富山から宿泊先の金沢まで、降りしきる雪の中を1時間半、各駅停車の列車で帰った。特急列車は全て運休になったのだった。たどり着いた金沢駅には、運転打ち切りになった「トワイライトエクスプレス」のモスグリーンの車両が停車していた。

 その金沢のホテルで、夜明けまでテレビ画面を見つめて過ごした。気仙沼・陸前高田・塩釜・石巻、三陸沿岸のどの町も、赤く恐ろしい炎を上げて燃えていた。深夜2時、長野県栄村を震源とする震度6の大地震が発生して、金沢の街も大きく揺れた。

 あの夜の強烈な記憶は、むろん簡単に消えるものではない。翌朝は小松空港から飛行機で首都圏にたどり着き、羽田空港にもほとんど残っていなかったタクシーを、何とか1台つかまえてオウチに帰還した。しかもその夕暮れ、神奈川県平塚での公開授業に駆けつけたのである。
立山連峰
(ANAクラウンプラザホテル16階から眺める立山連峰の絶景)

 あれから6年、富山会場のホテルに入るたびに、どうしてもあの夜のことを思わずにはいられない。あの夜の参加者が17歳だったとすれば、6年後の今日、彼ら&彼女らはすでに23歳。多くの諸君がすでに大学学部を卒業して、立派な社会人になっているはずなのだ。

 時の経つのはマコトに早いものであって、ふと「今井君、オマエは何をやってるんでござるか?」という神様やホトケサマやオーマイゴッド様の厳しい質問が、控え室のワタクシを苛むのである。

 5年も10年もほとんど成長することなく、こうしてホテルの用意したサンドイッチなどをハムハム&フガフガ、ダラしなく咀嚼&嚥下しているだけだ。ダメじゃないか、もっとグイグイ成長しなきゃ。神とホトケの叱責は、まさに当然のものである。

 しかしまあ許してくれたまえ。イマイの成長の証しは、必ず今回の新規収録講座でビシッと示してみせる。「今井の代表作」が、また1つラインナップに加わろうとしている。E組、まさに「ウッシッシ」であって、今井には珍しいほどのこの強烈な覚悟から考えて、間違いなくスゲーことになりそうだ。
富山2
(富山の大盛況。予定より50名も増えた 2)

 富山での公開授業は19時開始、20時半終了予定。出席者140名の予定。そう暢気に構えて、何故だか1980年代のディスコ音楽に聞き入っていたら、諸君、驚くじゃないか、「飛び込みの出席者がどんどん増えて、200名に達する勢いです」「現在、懸命に増席の作業中」「開始が5分遅れそうです」と言ふ報告が入った。

 いやはや諸君、講師としてこんな嬉しい報告が他に考えられるだろうか。予定より10名増とか20名増、「椅子が足りないぐらいでした」、もちろんそれでも嬉しいには違いなくて、ブログにもほとんど「特記事項」として明記する。

 しかしその「増」の数が、+40とか+50とかになると、何だかあまりにシミジミして、熱い涙が込み上げてくるほどである。東進に移籍してきて以来13年、たゆまず熱く努力してきた証しにさえ思えるのである。

 最終的には、194人だったか、196人だったか、ホテルの館内から集めきった合計200脚の椅子のうち、残ったのはわずか数客だけだったという報告を受けた。

 印刷したテキストも部数が足りなくなって、講師自身の手許にあった1部も、臨時で使ってもらった。今井君はテキストを暗記しているから、印字したものがなくても事足りるのである。
香箱蟹
(富山懇親会で「香箱蟹」をいただく。おいしゅーございました)

 熱い大拍手を浴びて会場に入ると、おお、パパやママや高校の先生方の姿も多い。高校生オンリーでももちろんかまわないが、こんなにオトナのヒトビトもビッシリ集まってくれると、富山の教育界がこぞって今井の熱弁と熱演を期待してくれているのを感じ、まさに光栄の極みである。

 富山は、教育熱心な県として昭和の昔から有名だ。進学実績で有名な公立高校が数多く存在し、だからこそ今井みたいなマジメな講師のマトモな話に、高校生諸君もオトナたちもみんな、手に汗を握る熱意で聞き入ってくれる。

 何か特殊なことをして集めた聴衆ではない。ひたすら地味に&地味に、6年も7年も同じ今井君の公開授業を続けることで、この信頼を勝ち取った。富山のスタッフの長年の蓄積で、「当日に+50」などという快挙をやってのけた。これこそこの世界の理想と言っていい。

 こういうふうだから、我々はもちろん他塾の追随を許さない。すぐ近くに存在したPretty塾系の「学びます!!」みたいなのも、あっという間に撤退を余儀なくされたとのことである。
お刺身
(富山でいただいたお刺身盛り合わせ。おいしゅーございました)

 終了後、富山では恒例となった日本酒のお店まで、スタッフ4人でゆっくり歩いていく。気温がグッと下がって、「これじゃ路面が凍結しちゃうよ」という勢いであるが、何しろ大熱演で全身が汗まみれの状況だ。日本海からビュースカ吹きつける北風で、サトイモの肉体を冷やしてもらった方がいい。

「おまかせします」とお店の人に丸投げして、もうすっかりお馴染みのオニーサマに次々に出していただいた日本酒は、すべてが絶品である。あんまり絶品すぎて、田舎者のクマ助にはほとんど区別がつかないありさまだった。

 しかしとにかく、次から次へと強烈な絶品の日本酒が登場する。もちろんこういう懇親会では、何よりも「話題」が大事だが、まあ諸君、話題に事欠く業界ではない。

 日本各地 ☞ 津々浦々、東の話題に西の話題。ビール瓶より危険な横綱の平手パンチや、相変わらずのモリ&カケ、その他もろもろの話題に笑い興じ、わらわら&メロメロ熱く語り合ううち、まもなく日付もかわりそうになり、お店もすっかりカラッポの時間帯になっていた。

E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
E(Cd) Backhaus(p) Böhm & Vienna:BRAHMS/PIANO CONCERTO No.2
E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK, JANÁĈEK, and BRAHMS
D(DMv) BEE SEASON
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