Sun 171022 歴史教科書からの削除候補/アンノン族/津和野探訪/森鴎外と西あまね | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 171022 歴史教科書からの削除候補/アンノン族/津和野探訪/森鴎外と西あまね

 11月14日の朝日新聞朝刊によれば、「歴史の教科書には暗記すべき用語が多すぎるから、たくさんの用語を削除すべきだ」「半減すべきだ」という識者会議の提言があるんだという。

 何しろ朝日新聞だ。「暗記より、考える力を」の類いの提言は、社員こぞって大賛成でいらっしゃるだろう。考える力、思考力、表現力、その類いのコトバを錦の御旗にすれば、今や滅多な人は手向かいなんかできない。

 で、その提言によれば、余計な用語であり高校生の負担になっている用語とは、世界史ではクレオパトラとマリー・アントアネットとロベスピエールであり、日本史では上杉謙信と武田信玄と吉田松陰と坂本龍馬なのである。

 他にも、中宮寺の弥勒菩薩 ☞ 半跏思惟像も余計だし、「カノッサの屈辱」も「ワーテルローの戦い」もガリレオ・ガリレイも、みんな高校生の負担になっているし、一遍上人の「時宗」も「桶狭間の戦い」も「暗記中心の学習」だからダメ、歴史教科書から削除すべきだとおっしゃっているらしい。

 これが入試にも反映されて、「入試で問う用語は今の半分にすべきだ」「とにかく暗記はいかんぜよ」「思考力を問いたまえ」「考える力を問わなきゃダメだんべ」、そういう方向性であるらしい。

 思考力を問わなきゃいけないから、吉田松陰と坂本龍馬とガリレオが歴史教科書から消える。この3人の皆様の、天国での苦笑が見えるようである。

 世界史上&日本史上で何よりも思考を大切にした3人の名前が消えるようなことになれば、それは歴史の名にも値しないし、その状態で思考力を名乗れば、それは思考を僭称することになるんじゃあるまいか。
柴わん
(津和野、森鴎外生家前の柴わんこ。右のアンヨが可愛い)

 そりゃ今井君は完全なシロートであるが、パパとか父とかオトーサンの立場としてなら、こんなバカげた意見がまかり通ることに、強烈な不安と強烈な不満を述べるのは許されるはずだ。

 クレオパトラやロベスピエールや坂本龍馬が「歴史上の役割は大きくなかった」と断言するヒトビト。ワタクシは、こういう人たちが国の教育の将来に、ホントに責任をもって発言しているのか、たいへん疑わしいと思わざるを得ない。

「歴史上の役割」と言ふマコトに曖昧模糊とした概念。「あまり大きくなかった」という、テキトーきわまりない判断基準。「大きい」とはどんなことで、「あまり」とはどこからどこまでを指すのか。学者なら、まずその全ての概念を明確に規定してから議論を始めなければいけないんじゃないのか。

「暗記中心だから、負担になっている」というその断定が、また「噴飯モノ」のソシリを免れない。高校生諸君にキチンとインタビューして、「上杉謙信と武田信玄が負担になっている」「クレオパトラが覚えらんない」「桶狭間の戦いを記憶するのが苦痛だ」という回答が多かったとでも言うのか。

 むしろ高校生にとって負担になっているのは、この種の提言を絶えず持ち出すヒトビトの存在なのだ。現場を知らないこういうヒトビトが、しょっちゅう提言とか意見とかを持ち出し、制度や教科書がしょっちゅう切り替わり、変化した制度に適合する負担が大きくなって、学習そのものに集中できないのだ。
森鴎外1
(津和野、森鴎外生家)

 そうですか、吉田松陰と坂本龍馬は余計ですか。ではこの2人について知らずに、一体どうやって幕末&維新に興味を持つんですか。上杉謙信と武田信玄が負担、桶狭間が負担、そうですか。でも偉ーい先生方、そんなの、小学生どころか幼稚園児だって、みんな知ってるような気がしますが、いかがなもんでしょうか。

 こういう提言をマトモに取り上げたら、坂本龍馬も勝海舟も西郷隆盛もなしの幕末&維新、クレオパトラなしのシーザーとアントニウス、ロマンも友情も何にもナシの歴史の授業で、さぞかし無味乾燥な教室になっていくんじゃないか。

「英単語を記憶するのはムダだ」「英語学習にもっとゆとりを」とか、そういうことを言い出すのも、この種のヒトビト。「暗記より理解」とキレイゴトを並べて、単語や例文の暗記を邪魔するのもこういうヒトビトだ。

 単語の知識なしに、どうやって話し、どうやって聞き取るのか、超現場の人間を代表してぜひ教えていただきたい。「考えれば何とか通じる」とか、語学とはそんな甘いものではなくて、あくまで単語や文法の学習が前提。その種のまっとうな意見は、言ってはならない状況らしい。
森鴎外2
(鴎外幼少時の勉強部屋。知の巨人・森鴎外もきっと「暗記じゃなくて思考力を磨いたんだ」ということにされちゃいそうだ)

 というわけで諸君、怒りと苦笑の中で今井君は津和野の旅のことを書かなければならない。ここは1970年代から1980年代にかけて、「アンノン族」の聖地となり、すぐ近くの「萩」とともに大いに名を挙げた町である。

 受験生世代の負担になってはいけないから、萩や津和野の歴史について触れては叱られるのかもしれないが、吉田松陰やら久坂玄瑞やらが大活躍したのも、まさにこのアンノン族の聖地なのだ。

「もはや死語」とハッキリ書かれてしまっているけれども、雑誌「an・an」「Non-no」の創刊がちょうどその頃。「an」と「Non」とつなげて「アンノン族」と呼んだ。今で言えば「CREA」のような役割を果たし、雑誌記事に取り上げられた全国の小京都を、たくさんの若い女子が訪れた。

 名もない小京都、それこそ提言によれば「歴史上大した役割を果たさなかった」という理由で埋もれてしまっていた町に、アンノン族が脚光をあてた。

 萩も津和野もそうだったし、小樽・角館・飛騨高山・輪島・倉敷・柳川、木曽の妻籠とか、信州の小布施も加わった。本家の京都だって、大原も嵯峨野も、アンノン時代までは鄙びた田舎に過ぎなかった。

 だから、旅好きな当時の今井君がふと「白川郷から越中庄川あたりを歩いてくる」「萩と津和野を回ってくる」などと口にすると、当時の友人たちに「もろ、アンノン族じゃん」と冷やかされた。「もろ」とは、21世紀なら「めっちゃ」「むっちゃ」「むちゃくちゃ」に該当する副詞である。
西周1
(津和野には、西周(にし・あまね)の生家もある)

 冷やかされると鼻白むほうなので、萩も津和野もどんどん後回しになって今日に至る。つまり、津和野訪問は今回が人生初。鼻白んでいる間に、アンノンは死語となり、津和野は再びすっかり寂れてしまっていた。

 なお諸君、「鼻白む」と書いて「ハナジロム」と読む。「批判されたり、気勢をそがれたりして、気分を害しムカつくこと」の意。Mac君に「はなじろむ」と入力して「鼻寺ロム」と変換され、鼻白んだ今井君が「ハナヂラム」と入力すると今度は「鼻血ラム」ときた。ヒツジの鼻血はイヤですな。

 津和野の駅前に出て、そのあまりの寂れ方に茫然とする。いやはや、コンビニもない。貸し自転車屋さんが1軒。そこと同じオジサンが1人で全てを切り盛りする土産物屋さんが1軒。日曜のせいもあるだろうが、その他に営業している店舗はほぼ皆無である。

 最近の今井君は、自転車にも滅多に乗ることがない。10数年前にヴェネツィアのリド島で2時間、昨年は天橋立で3時間ほど乗り回したが、いやはや、久しぶりの自転車だ。

 とりあえず、森鴎外の生家に自転車を走らせる。医師で軍人で大作家で翻訳家、ドイツ語もペーラペラ、ライプツィヒ大学で医学の授業を受けた。誰でも憧れていいはずの偉人だけれども、やっぱりこの人も「高校生の負担」「思考力をつけるには邪魔」の一言で、削除の対象になりそうだ。

 もちろん、生家なんか見たって特に感動はない。ザルツブルグでモーツァルトの生家を見ても、プラハでカフカの家を見ても、「だから何?」であって、きっとカフカもモーツァルトも思考力育成の障害と判断されてしまうだろう。
西周2
(西あまねの生家)

 むしろ、鴎外生家前で日向ぼっこをしている暢気な柴犬クンのほうが、「思考力養成には役立つ」と言ふことになるかもしれない。この犬の写真を見せて、以下のような「思考力を試す問題」を作成すればいい。

「この柴犬は、明治の文豪・森鴎外の生家前で午後のお昼寝中です。どんな夢を見ていると思いますか? 150字程度で書きなさい。ただし語尾は「…という夢」とすること」

 そういう入試をくぐり抜けて入学した大学生が、大学の図書館でどんな勉学に励み、どれほどクリエイティブな研究にいそしみ、ゼミの教授とどんな激烈な討論を交わすのか、ぜひ想像力を逞しゅうしてみたいものである。

 森鴎外の生家から、美しい清流をわたったところに「西周」という人の生家もある。今井君はかつて小学生の時に切手収集というマコトに地味な趣味に熱中したことがあり、西周のことは切手を通じて知っている。

「文化人切手シリーズ」の1枚なのである。それこそ森鴎外、他に野口英世・樋口一葉・夏目漱石・内村鑑三・新島襄・岡倉天心・市川団十郎・正岡子規・寺田寅彦・狩野芳崖など、錚々たる高校生の負担の面々と並んで、西周どんもキチンと負担を増やしていらっしゃる。

「西周」と書いて、「西あまね」。偉かったあまねちゃんは品行方正にその知的人生を送り、津和野の山々の長い影が伸びるあたりに、こうして安らかに寝んねしておらはります。あまねちゃんのオウチの穏やかな佇まいも、彼の知的な生活の日々を思わせて、深く思い出に残るものであった。

1E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 1/2
2E(Cd) Jochum & Concertgebouw:BACH/JOHANNES-PASSION 2/2
3E(Cd) Schiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
4E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 1/2
5E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR 2/2
total m132 y2049 d21995