Sat 171021 蒸気機関車の旅/再び父について/ケムリは意外にアブラっぽい/津和野に到着 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 171021 蒸気機関車の旅/再び父について/ケムリは意外にアブラっぽい/津和野に到着

 日曜朝10時の新山口駅に到着して、その「鉄密度」に改めて驚嘆する。「鉄密度」というより、正確には「テツ密度」であって、ギュッとハイレベルな鉄道ファンが、ギュギュッと高密度でお集りになっている。

 そんな冷静な判断より「じゃ、オマエはどうなんだ?」の問題であるが、確かに諸君、このイマイ自身、普段の生活を考えればそれなりにレベルの高いテツそのものである。この15年、日本ではとうとう足りなくなって、世界中の鉄道を乗り回してきた。

 2017年は、何しろ旅した所がモロッコにキューバ、メキシコにノルウェー。そんなにテツの旅の盛んな所ではないが、モロッコではマラケシュからフェズまで往復18時間、目いっぱいのテツ旅をやった。

 ノルウェーだって、フィヨルドを満喫するために往復16時間のテツ旅を敢行したわけだし、まだ旅行記を書いていないベトナムですら、ただ単にサイゴンの駅を眺めるためだけに、往復2時間の雨の道を歩き通した。いやはや、自分自身が筋金入りのテツなのである。
津和野駅
(津和野に到着 1)

 そして諸君、最近のテツは圧倒的に中高年が多い。すなわち「ワタクシも中高年?」であるが、鏡に映した自分の顔をつくづく眺めてみるに、おやおや、ずいぶん白髪が増えた。全体としてお顔は今もマコトに黒々としているが、特にオヒゲの白髪率は高い。

 お散歩中のビーグル犬をよく見てみたまえ。黒と茶色と白のミケミケした色彩がチャームポイントのビーグル犬も、年をとるにつれて何となく白っぽくなってくる。黒と茶色の領域に、白い毛が増加してくるのである。

 今井君は、白髪を黒く染めてゴマかす類いの行動はとりたくないから、きっとこのまま少しずつ白っぽくなっていくのである。まあそれも生物であるかぎり必然であって、盛者必衰、黒かった生物は必然的に白くなる。

 遥かな昭和の昔、「丸山圭子」というシンガー&ソングライターが存在した。いわゆる「1発屋」であって、たった1曲「どうぞこのまま」を残して去ったが、なるほど人生の必然として「黒かったテツは、必ず白いテツになる」「きっと、このまま」「どうぞ、そのまま」と諦めるしかない。
SL
(津和野に到着 2)

 というわけで、日曜朝の今井君は、少なからず物悲しい気持ちでテツ集団の仲間入りをした。やがて入線してきた蒸気機関車の写真を、先頭に立って撮りまくり、わざわざ向こう側のプラットホームにまで行って、プロ級の人々とともにシャッターを切りつづけた。

 彼ら&彼女らのカメラを見るに、なるほどまさしく「プロ級」であって、今井君のカメラなんかオモチャみたいにしか見えないのである。だって、たった3万円だ。すでに死語なのかもしれないが、「デジタルカメラ」であり「コンパクトカメラ」である。

 フィヨルドの時もそうだったが、新山口でもやっぱり「みんなすげーカメラを持ってるな♡」「そんな大っきな重いカメラを持ったら、旅がツラくないかい」なのだ。我が友・早稲田カラーのデジタルカメラ君は、肩身の狭い思いをしながら、すでに世界100都市をともに旅してくれた。
津和野駅前
(津和野、駅前の風景)

 こうしていよいよ「出発進行」と言ふことになった。汽笛一声、機関車は深々と思い切り息を吸い込んで、その息を一気に全て吐き出して見せた。ホームに残った人々、乗客、沿線のヒトビト。昭和の蒸気機関車の全盛時代を知らなくても、さすがにこの汽笛一声には感激するに違いない。

 今井君は、その全盛期の最後の最後を記憶している。何しろ秋田は、蒸気機関車が最後までウロウロ走り回っていた田舎のうちの1つである。小学校低学年の時期まで、現役の蒸気機関車がオウチの近くで頑張っていた。

 おヒマな方は、「D51 232」でググってくれたまえ。鉄道省・秋田土崎工場の記念すべき作品である。ワタクシの生家のすぐそば、土崎神明社に今も勇姿を残している。同じ秋田の大森山動物園にも展示されているんだそうな。

 その工場に30年勤続したのが今井君の父・今井三千雄であって、正直な話、今もワタクシの英雄と言っていい。30年も1つの工場でマジメに勤務を続け。その結果として勲5等までいただいたなら、その鉄道人生に拍手喝采を送らずにいられない。

 だから諸君、汽笛一声 ☞ 新山口駅を離れ、沿線のヒトビトに手を振られながら疾走し始めたC57 1に引かれつつ、今井君の目には熱い涙が込み上げてくるのである。

 父は、山形県東田川郡清川村の出身。そのまた父、要するに祖父の今井小作は、1853年生まれ、72歳の時に24歳の女子と結婚して、生まれた3人のコドモのうちの1人が父・三千雄である。諸君、驚くべき強烈&濃厚なファミリーヒストリーである。家族には、近辺の村の村長さんなんかも存在する。

 酒田中(現・酒田東高校)から米沢高専(後に山形大学工学部に吸収&合併)を経て、日本国有鉄道に入社、勤続30年の末、子会社に出向して平和な人生を70歳で終えた。予備校をぴょんぴょん渡り歩いて出世した軽薄な今井君とは別格の、マコトに重厚な昭和男子であった。
商人
(津和野には「あきんど」という地名がある)

 蒸気機関車が吐き出すケムリのニオイについても、この辺で言及しておかなければならない。諸君、人の記憶とは頼りにならないものである。黒いケムリがこんなに生々しいニオイだったなんて、小学生の今井君はちっとも知らなかった。

 トンネルに入るたびに、窓を閉めなければ危険なのである。むかしむかし、長いトンネルの中で、蒸気機関車の運転手さんがケムリに窒息して殉職するケースが少なくなかった。

 父の昔語りに、「折渡(おりわたり)トンネル事件」というのがあった。羽越本線・羽後亀田駅と羽後岩谷駅の間にある2kmほどのトンネルであるが、大正13年に完成したこのトンネルの中で、機関士が窒息死した事件である。

 ワタクシの記憶の中で、機関車のケムリはもっと辛口に乾燥したカホリだったように思うのである。石炭の質が変わったのか、それとももともとこんな粘っこいカホリだったのか、山口線を行く「やまぐち号」のケムリには、何だかバターを融かしたようなアブラの粘っこさが混じっていた。

 ま、そりゃそうなのだ。これがもしも石油だというなら、アブラそのものだ。石油が石炭に変わっても、やっぱりよく見ればギトギト&テラテラ、アブラっぽい輝きは同じである。木炭みたいな、悟りきったオジーサンの爽やかさとは違う。ケムリだって、ギトギトしていて当然なのだ。
カープ
(津和野、たくましいコイ諸君)

 列車はやがて、深い山の中を走り抜ける。長いトンネルがあって、客室内にも濃度の高いケムリが充満する。車内放送で「窓をお閉めにならないと危険です」とアナウンスされ、みんな慌てて窓を閉めるのだが、それでもギトギト系のケムリがスキマから容赦なく入り込む。

 これが昭和の昔なら、清水トンネル・丹那トンネル・北陸トンネル、遥かに長いその類いのトンネルで、窒息しかかった人が少なくなかったのも、まさにムベなるかな。トンネルを出て、ハンカチで顔を拭いてみると、なるほど顔も黒く汚れていた。

「シンドラーのリスト」やなんかで、蒸気機関車に引かれた貨車の列が、雪の降りしきるアウシュヴィッツの構内に入線してくるシーンがある。貨車の中には、捕えられたユダヤの人々。彼ら彼女らの絶望的な疲労と、苦悩と苦痛と悲惨を思わずにいられない。

 こうして2時間、途中「地福」の駅で15分停車した以外は、たいへんのどかな列車の旅であった。12時すぎ、快晴の津和野に到着。森鴎外と西周の故郷・津和野の町もまた限りなくのどかである。さてこれから5時間、ゆっくりと津和野散策を楽しもうと思うのである。

1E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1
2E(Cd) Brendel:BACH/ITALIENISCHES KONZERT
3E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
6D(DMv) A CIVIL ACTION
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