Sat 171014 津和野への旅/帰国の旅/熱さを求める(晩夏フィヨルド紀行31 最終回) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 171014 津和野への旅/帰国の旅/熱さを求める(晩夏フィヨルド紀行31 最終回)

 実は昨日(11月5日)のワタクシは、広島から列車を乗り継ぎ、島根県津和野を旅していた。蒸気機関車が引っ張る客車に乗って、新山口から津和野までは、約2時間の旅だった。

 そのまま夕暮れまで津和野にいて、マコトに楽しい秋の1日を過した。ワタクシのオウチには、岩波書店の「森鴎外全集」38巻が全巻揃っている。ベルリンでもライプツィヒでも、鴎外の足跡を巡り歩いた。鴎外の出身地・津和野を、一度ぜひ訪ねたいと思っていた。

 暗くなるまで津和野にいて、津和野から新山口へ、新山口から広島へ、広島駅から広島空港へ、広島空港を最終21時35分発のヒコーキに乗って、長い長い旅の果てに東京に帰ってきた。

 広島駅から乗ったタクシーの運転手さんが、何と高速道路で道を間違えちゃったのである。空港を遥かに超えて、竹原市や三原市の深い山の中に迷い込み、慌てて高速を降りたら、そこはもう誰もいない真っ暗闇であった。

 ヒコーキの搭乗時間は刻々と迫り、山中の一般道に降りたクルマは遅々として進まず、タクシーの中の今井君は、いったんはヒコーキを諦めて、広島にもう1泊する覚悟を決めた。

 それでも「残り15分」というところで空港にたどり着き、ホッと安堵の息をつきながらほうほうのていでヒコーキに乗り込んだ。羽田に到着、23時。羽田空港からのバスもほぼ最終便。オウチに帰り着いたら、もう日付が変わっていた。
夕焼け
(8月23日、オスロ港の夕陽)

 その旅の詳細はまた近い将来ここに書くとして、今日はオスロ旅行記のほうを、終わりにしなければならない。11月から12月にかけては、来る日も来る日も公開授業の連続。日本全国を飛び回る日々になり、またまた各地の旨い物を貪り、紅葉はじめ軽く観光も楽しんで、その様子を書くほうを優先することになる。

 8月24日、フィヨルドの旅は締めくくりを迎えた。最後にもう1度だけ地図を確認すると、オスロはスカンジナビア半島のほぼ西端。旅のクライマックスは、さらにホントの西の果てまで鉄道と船とバスを乗り継ぎ、ついにたどり着いたベルゲンの夜の雨だった。

 ホンモノのムンクもたっぷり眺めたし、冷たい北の海でギュッと身のしまった甲殻類も、2晩連続で思う存分に貪った。フィヨルドの風景に感激し、数えきれない滝の光景に感動し、カニと牡蠣とエビを満喫した。

 ロフォーテンでは、第1戦には敗北したが、翌日の第2戦ではカンペキな雪辱に成功。とりあえずこの旅に、思い残す要素は残っていない。10日では滞在が短すぎたが、こんなに物価が高くては、そろそろおサイフだって心配だ。
オスロ港
(8月23日、オスロ港。そろそろ冬の雰囲気が漂っていた)

 8月24日、11時からの1時間弱で大急ぎのランチを済ませてから、ホテルをチェックアウト。「お風呂の栓が閉まらない」という欠点はあったにせよ、まあ快適な日々ではあった。

 お風呂の栓については、「前回のリノベーションの際に新しい栓を採用したら、穴とフタの大きさが合っていなかった」と言ふマコトに初歩的な過ち。ノーベル平和賞の受賞者が必ず宿泊するほどの名門だ、これだけは早く何とかした方がいい。

 駅まで徒歩10分、スーツケースを転がしていく。オスロでもなお今井君は「脱タクシー宣言」を守っていた。「ホテルから空港までタクシーで一気に」みたいな贅沢は、贅沢なように見えて、実はちっとも贅沢とは言えないのだ。

 昨日の広島みたいに「道を間違えちゃった」というタクシーに遭遇することだってある。話が広島だから、暢気に気楽に笑っていられたけれども、例えばブエノスアイレスやリオデジャネイロで、夜のタクシーが「道を間違えた」なんてことになれば、タクシー強盗の可能性が高い。

 話は一気に「命からがら」の世界に入っちゃう。間違いなく命に関わる危機である。オカネも持ち物も、残らず全部とられちゃう。暗がりのATMで、おろせるかぎりのオカネをおろさせられる。オカネで話が済めばいいが、ナイフなり拳銃なりが、ナンボでもチラチラし始める。

 だから諸君、最後まで公共交通機関に利用して、「汗だくになりながらの帰り道もまた楽しいものだ」と強がりを言おうじゃないか。空港までのバスや電車もまた、旅の中身をもっと贅沢にしてくれるものである。

「じゃ、昨日の広島では、どうしてタクシーに乗ったんだ?」というオカタ。そんなに厳しく追及しなさんな。昨日の夜の厳しいスケジュールでは、路線バスで片道1時間もかけてるヒマがなかったのだ。まあ許してくれたまえ。
議事堂
(ノルウェー国会議事堂。宿泊したホテルの斜向いだった)

 オスロ中央駅からオスロ国際空港までは、快適な高速電車が頻繁に走っている。ほぼ10分に1本、大きな荷物を置くスペースもたっぷり用意されていて、さすが「北欧の先進国♡」、思わず♡マークぐらいくっつけたくなるじゃないか。

 車内の静寂も、マコトに素晴らしい。大声で喋りまくる乗客も皆無。何より嬉しいのは、車内アナウンスが控えめなことであって、羽田空港モノレール内のアナウンス過多の喧騒とは、まさに対照的である。あのモノレール、何とかならないんですかね。

 オスロからフランクフルトまでは、ルフトハンザを利用。フランクフルトでANAに乗り換える。同じ「スターアライアンス・メンバー」ということで、ルフトハンザに乗る場合でも、チェックインはスカンジナビア航空のカウンターに並ぶ。

 うーん、カウンターのオバサマが、どうやら風邪気味なのか、鼻をグジュグジュすすりながらの応対。苦しそうな咳も混じる。それはいいが、たいへんご機嫌が悪い。ご機嫌の悪い応対に見送られてノルウェーを去るのが、何だか残念であった。

 ラウンジも、スカンジナビア航空のものを利用。おお、ここは個室まであって、マコトに心地いい。搭乗まで2時間、個室でMac君をいじくりながら、赤ワインを痛飲した。ポリフェノールたっぷりの健康な今井君になって東京に帰ろうじゃないか。
ホテル
(9泊。お世話になったグランドホテル・オスロ)

 フランクフルトまで、1時間。乗り継ぎに2時間ほどあって、ここでもラウンジでMac君を相手にポチポチやりながら、ますますポリフェノールたっぷりなサトイモに変貌していく。

 茹でたソーセージが旨い。何本貪ったかワカランぐらい貪って、ラウンジのソーセージで満腹したのである。だって帰路もまた、プレミアム・エコノミー。無料アップグレードで、エコノミー料金でも「プレミアム」に乗れるのだが、メシはエコノミー独特のプラスチックプレートだ。

 というわけで、フランクフルトから東京へは、ほぼグースカ眠って12時間を過ごすのである。「もったいない。少しは読書ぐらいしたらどうですか?」であるが、読書はまたオウチに帰ってからじっくり取り組めばいい。狭い機内で疲労に苛まれながら無理して読むんじゃ、筆者に申し訳ないじゃないか。

 羽田に到着、8月25日午後3時。最低気温が10℃まで下がっていたオスロから帰ってくれば、8月の東京の30℃の熱風は、まさに別世界である。

 この蒸し暑さ、ただごとではないが、実はもう3日も4日も前から、「東京に帰ったらすぐさま駆けつけよう!!」と決めていた店があった。言わずと知れた、銀座のカレー屋「デリー」である。
カレー3種
(寒い国から帰って、ホットなものが食いたくなった)

 すでに今年になってこのブログに3回も登場したお馴染みのカレーであるが、オスロの寒さに震えながら、「カレー♡」「カレー♡」「デリーのカシミールカレー♡」とウワゴトのように繰り返していた。

「暑い日には、熱いものを」と、昔から人は言うのである。カレーは同じホットでも「熱い」と「辛い」を兼ね備えている。超辛口のカシミールなら、一皿のカレーでタオルが1枚ビッショリになるほどの汗がかけるはずだ。

 スーツケースを引きずりながら銀座のカレー屋を訪れるのはキツいものがあるから、羽田空港の宅配カウンターに並んで、オウチまで宅配をお願いすることにした。手ぶらでモノレールへ。国際線ターミナルから浜松町まで15分、浜松町から銀座は目と鼻の先である。

 寒い国を旅した反動で、ホットなものを求める。これと同じ反動で、ノルウェーの旅の1ヶ月後にはベトナムを旅したくなった。寒かった後は、汗をかきたくなるものと見える。

 カレーで全身を汗まみれにしながら、「よっしゃ、ベトナムの1週間も、こんなふうに汗だくになるべ」と決意していた。その旅行記「速攻ホーチミン」を、今から約50日後ぐらいに開始する予定である。

1E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
2E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
3E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
4E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
5E(Cd) Bobby Caldwell:AUGUST MOON
total m85 y2002 d21948