Sat 171007 怒りんぼ/ヴィーゲラン公園/プンコは卒業すべし(晩夏フィヨルド紀行24) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 171007 怒りんぼ/ヴィーゲラン公園/プンコは卒業すべし(晩夏フィヨルド紀行24)

 合唱コンクールで埼玉の超名門・浦和高校が金賞を受賞した。浦和高校は、ラグビーでも名門。「おお、まさに文武両道じゃんか」と感激していたら、同じラグビーで早稲田大学が帝京大に思わぬ善戦をした。福岡の超名門・修猷館高校からもたくさんのスーパー1年生が入部してくれた。

 かつては無敵だった早稲田ラグビーも、この3〜4年は帝京大相手に無惨な大敗が続いていた。100点近くも奪われ、オトナとコドモの試合を見るような惨めさに、しばらくは大学ラグビーを見る気さえ起こらなかった。

 しかし諸君、10月28日、ウルトラ早稲田ファンの今井君は、CSの画面にクギヅケになった。前半30分までは14−7とリードする展開。しばしばバックスの大きな突破があって、「うぉ、こりゃ行けるぜ♡」と、胸ばかりか大っきなお腹も熱く燃え立ったのである。

 もちろん、そんな期待がカンタンに現実になるわけはないので、やがて台風の雨の中ハンドリングエラーが目立つようになり、チャンスはあっという間に裏返しのピンチになって、しかもグイグイ押し込まれるフォワード戦の連続に、やがては疲れ果てて集中力を失った。

 最終スコアは40−21。ほぼダブルスコアの状態では、「健闘した!!」とも言いにくいが、日本のマスメディア流に意地でも強弁すれば、例えダブルスコアでも、未来への光明は見えた。

 しかし諸君、90−5みたいな強烈なスコアを見せつけられた数年の後に、前半30分すぎだけでも一時リードを奪った。おお、すげーじゃないか。
おこりんぼう1
(オスロ・ヴィーゲラン公園「おこりんぼ」の銅像)

 そういうワタクシでも「選挙は民意を反映していない」と言い張る大胆さは持ち合わせていない。選挙前日には「ポケットの中の一票を握りしめながら、じっと未来を考える」みたいなキレイゴトを言ってたのに、結果が気に入らないと選挙を否定する発言を平気で繰り返すメディアが多い。

 学生たちが編集する「東京大学新聞」ですら、メディアの偏向報道をずいぶん心配していた。一応ワタクシも政治学科の出身。「選挙は、結果がどうあろうと、真正の民意の反映である」というのは、民主主義のイロハのはずである。

 自分が政治的にどういうサイドなのかは、ここに書くべきではないだろうが、こういう姿勢を昔は「ヒイキの引き倒し」と呼んだ。味方されている野党サイドから見ても、こんなヒイキの引き倒しは、むしろ苦々しいものであるはず。「むしろ」という副詞を「甚だ」に変換してしまいたいぐらいだと考える。
トラム
(ヴィーゲラン公園には、オスロの港からトラムで20分)

 例え結果がダブルスコアで終わったとしても、真正のスポーツマンシップにおいては、「スコアは実力を反映していない」など、そんな負け惜しみを言ったりはしないのである。

 御託をツベコベ並べないで、次回を期す。捲土重来を期して、潔くすぐさま黙々と努力を開始する。その姿勢こそ美しく、人々の感動と感激を呼ぶである。

 だから諸君、同じ早稲田大学の野球部が、「東大と並んで最下位」「最下位は70年ぶり」と決まった今日、超早稲田ファンの今井君は、
「結果は仕方ない。受け入れるしかないじゃないか」
「来年の春の優勝に向けて、今すぐ努力を開始しようじゃないか」
と、ファンとして俯きながらも来春の捲土重来を期したのだった。
公園
(公園には、鬱蒼とした菩提樹の並木道がある)

 もちろん、こういう場合に、怒り心頭に発して「怒りんぼ」になっちゃってもいいのである。「お、コリン星」じゃ、10年前の小倉なんとかであり、何とか優子どんであるが、ワタクシが言いたいのは「怒りんぼ」。意地でもプンプン腹ばかり立てている幼児的性格の人々である。

「プンプンしてばかりの子ども」を、ワタクシは略して「プン子」と呼んでいる。怒っている人には「何でそんなにプン子してんの?」と尋ねてあげるし、「プン子してても始まらないよ」と静かに忠告してあげることにしている。

 プン子になっても事態はちっとも前進しないことを、今井君自身がむかしむかし激しいプンコ人間だったからこそ、よーく知っているのである。他人が相手の時でも、友人知人が相手の時でも、プンコして事態が改善されたことは一度もない。
人さらい
(ヴィーゲラン公園、何だか危ないオジサマの銅像)

 だから諸君、もしも目の前の事態を解決の方向に持っていきたければ、怒りんぼにならないことだ。もちろん誤解しないでほしいのは、「妥協せよ」というのではない。毅然とした態度は決してなくしてはならない。しかし、毅然とするのとプンコするのは全く次元が違う。

 プンコは、ハッキリ理性を失っているのである。日本のメディアは、要するにプンコ君たちであって、株価が2万2000円を超えようが、失業率が世界に例を見ないほど下がろうが、意地でもそれを報道しようとしない。

 報道したとしても「それは何かの偶然」であって、みんなで懸命に努力した結果だとは絶対に認めない。日本中のオトーサンやオカーサンが懸命に頑張って働いて経済を立て直しても、「実感はありません」「納得がいきません」という主観的判断で全ての努力を否定する。
阿波踊り
(ヴィーゲラン公園、阿波踊りに興じる男女の銅像)

 そういう姿勢をプンコと呼ぶ。オスロの「ヴィーゲラン公園」で「怒りんぼ」の銅像がたいへんな人気である。おお、こりゃ昔の今井君と全く同じ表情だ。

 Pretty塾(仮名)でも「どうすんだい?」(仮名)でも佐々木ゼミ(仮名)でも、今井君は事あるごとにこんなプンコ状態になり、誰が何と言ってもプンコを繰り返した。冷静に見れば「プンコするチャンスを逃さない」というタイプの人間であって、それをカンタンに言えばクレーマーと呼ぶ。

 いやはや、もしかして昔のワタクシは、単なる怒りんぼであり、単なるクレーマーだったんじゃなかろうか。こんな顔で地団駄ふんでいなかったか。だとすれば、マコトに情けない過去である。

 あれも納得いかない。これも納得いかない。何もかも不満、何もかも不公平。そんな怒りんぼさんたちは、東大総長が入学式式辞でおっしゃったように、どんどん海外に出て「日本で当たり前であることが、世界ではちっとも当たり前でないこと」と目の当たりにしてくるべきじゃないのか。

「タフでグローバルな若者になってほしい」。3年前の東大総長は、それを何度も繰り返し、来賓のエラーいお2人も、その発言を称賛しつづけた。パパやママの厚い庇護を受けながら、ワガママが通らないとこんなに激しくプンコする、そんな生き方じゃ、さすがに情けないじゃないか。

 オスロ中心部から「ヴィーゲラン公園」までは、12番だったか、13番だったか、とにかくトラムで30分ほど。日本のメディアがこぞって「理想社会」と持ち上げる北欧の、実際の姿をよく知るためにも、ぜひトラムやバスや地下鉄をバンバン利用して行ってきたまえ。
おこりんぼう2
(諸君、もう一度「おこりんぼ」の表情を眺めてくれたまえ)

 公園の別名は「フログネル公園」。鬱蒼とした菩提樹の並木道があり、19世紀後半から20世紀前半にかけて大活躍した彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの作品がズラリと並んでいる。

 銅や花崗岩による彫刻の数、何と212。ガイコツや胎児を含めれば、彫像にされた肉体は650を超える。恐るべき執念を感じる。「プンコ像」こと、正式名称「怒りんぼ」は、ズラリと並んだ彫刻のちょうど半分あたりだ。

 SNS映えする写真を撮ろうと、人々が像の前にギュッと集まっているから、見逃すことはまずありえない。というか諸君、むしろ「SNS映え」ということに人々がこんなに夢中になっている事実に、思わず自分が「プンコ」「怒りんぼ」という範疇に突き進んでいく。

 1992年、「怒りんぼ」は足許から切断され、どこへともなく持ち去られてしまったが、後に発見されて無事に公園に戻ったのだという。持ち去った御仁、さぞかし何かにプンコしたのであろうが、戻ってきてホントによかった。めでたし&めでたしである。

 諸君、不毛なプンコなんか、もうヤメようじゃないか。プンコしているヒマがあったら、仲直り&仲直り。毅然とした態度だけは決して譲ってはならないが、ヌルい妥協するのではなくて、毅然として解決を目指す笑顔で相手に正対する。オトナというものは、常にそうじゃなくちゃいけませんな。

1E(Cd) Bobby Caldwell:CARRY ON
2E(Cd) Bobby Caldwell:COME RAIN OR COME SHINE
3E(Cd) Bobby Caldwell:BLUE CONDITION
6D(DMv) INTERSECTION
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