Fri 171006 ムンクどん/「耳を塞いでいる説」への様々な疑問(晩夏フィヨルド紀行23) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 171006 ムンクどん/「耳を塞いでいる説」への様々な疑問(晩夏フィヨルド紀行23)

 こうしてノルウェー・オスロの旅は、いよいよ終盤に入った。残るエピソードは、「ムンク」「おこりんぼ」「ノルウェーの五稜郭」「甲殻類 ♨ 大襲撃」の5つぐらいである。

 しかし諸君、やっぱりオスロを旅して「ムンク」はマコトに重大なテーマであるし、8月22日から23日日にかけて、2夜連続の「ロフォーテン甲殻類 ♨ 大襲撃」は、十分そのままで映画にすることも可能なぐらいの大エピソードである。ぜひ心して読んでくれたまえ。

 そこでまず「ムンク」であるが、8月22日のお昼前、すっかり秋晴れの清々しいオスロの街を歩いて10分、国立美術館はすぐに見つかった。美術館の隣はオスロ大学。古書店や小劇場が並んで、たいへん知的な雰囲気が支配する界隈に、レンガ色3階建ての美しい建物があった。
叫び
(オスロ国立美術館でムンク「叫び」を眺める)

「国立美術館」といういかめしい名称から考えて、その規模は意外なほどつつましい。しかし美術館に最も相応しいのは、このつつましさではないだろうか。

 いつも書いている通り、広大すぎる美術館は大キライである。ルーブルもプラドもオルセーも、1週間かかっても見尽くせない膨大な数の展示は、ワタクシには悪趣味に思えるのだ。

 メトロポリタンしかり、大英博物館しかり。「経済力を背景に集めまくりました」というコレクションには、ある種の嫌悪を感じざるをえない。

 ただし諸君、「嫌悪感」などという強いコトバをつかうと、ユリノミクスの「排除の論理」みたいに、世の中のそれこそ嫌悪の対象になりかねない。クワバラ&クワバラであって、コトバのつかい方には細心の注意が必要だ。

 だからむしろ今井君としては、「小規模なギャラリー&中規模の美術館が好きだ」と言った方がいいようである。「○○はキライだ」と言わずに「△△が好きだ」と言った方が遥かによろしい。反感も招かないし、ヒトビトはその言葉遣いに好感をいだいてくれる。

 そういう姿勢を、「狡猾」「こずるい」とマイナス評価する人も存在するだろう。「狡猾」と言わないまでも、「コトバ巧みに」と表現して眉の間に縦皺を刻んでニヤリと冷笑する人もいるだろう。

 しかしとにかくワタクシは、大きすぎない美術館が好き。美術館で足腰の疲労に耐えられる時間は、3時間がギリギリじゃないだろうか。足腰に強烈な疲労を感じながらでは、ラファエロもマザッチョも、マネもセザンヌも、ミロもクレーも、その美しさを十分に感じられなくなってしまう。
国立美術館
(オスロ、国立美術館。この慎ましさが快い)

 というわけで諸君、オスロの国立美術館については、その控えめな建物を眺めた途端に、強い好感と安心感をもったのである。膨大なコレクションを誇るんじゃなくて、見る側の幸福を重視してくれる。美術館というものは、こうでなくちゃいけないんじゃないか。

 ただし来館者の多くは、ムンクだけが目的なのである。入場してすぐ左の入口からは特別展が続いているが、こちらに興味のある人はあまり見当たらない。「あれれ、何だこりゃ?」という迷惑そうな表情や仕草で、ヒトビトはあっという間に特別展を通過する。

 他の展示にも、やっぱりヒトビトは関心をいだかない。肩をすくめながら、たいへんスピーディーに通り過ぎていく。もしも日本の美術館に運ばれてきて「オスロ国立美術館展」みたいな名前がつけば、その絵の前にも黒山の人だかりが出来そうな絵画にも、人々は全く見向きもしない。
ムンクの部屋
(オスロ、国立美術館。ムンクの部屋)

 ま、偉そうなことを言っていても、実はこの今井君も同じである。「ムンクはどこ?」「ムンクはいずこ?」「ムンクはいずや?」であって、しかもその「ムンク」は、もはや「叫び」とほぼ同義語だ。

 中には「ムンク」と「叫び」を完璧に同一視して、叫んでいるあの男子の名前が「ムンク」だと思っている人さえいらっしゃる。ケシカランことに「橋のタモトの電球アタマ」などと呼ぶ御仁もいらっしゃるぐらいだ。

 ところが逆に諸君、「考え過ぎ」というか、「ムンクの日記を文字通りに受け取り過ぎ」というか、どうも最近、ムンクの「叫び」について、おかしな定説が定着しつつあるようである。

「実は『叫び』というのは、あの電球オトコ自身が叫んでいるのではない」。これが今や定着しつつある新説であるらしい。ネットの世界なんかでも、みんな思いっきり信じて疑う様子もない。
ムンク舞踏会
(ムンク、生命のダンス)

 そこへNHKがEテレの「2355」で面白おかしく断定しちゃったせいで、「叫んでいるのはあの電球オトコではない」と言わないと、「バカだな」「何にも知らないんだな」と総攻撃を受け、民進党の前原どんよろしく四面楚歌の状況に陥る。

 定着しつつある新説では
「電球オトコは、叫んでいるのではない」
「むしろ、耳を塞いでいるのだ」
というのである。

「フィヨルドの向こうから、誰かの激しい叫びが起こり、彼はその叫びに圧倒され、叫びを聞くことを恐れて、懸命に耳を塞いでいるのだ」
「自然を貫き通す果てしない『叫び』に怖れおののき、懸命に耳を塞いでいる姿を描いたものなのだ」
おお、なかなか説得力のある新説だ。
ムンク酔っぱらい
(ムンク「THE DAY AFTER」。「マドンナ」にも登場するお気に入りのモデルさんである)

 その根拠になっているのが、次のようなムンク自身の日記なのである。
「私は2人の友人と歩いていた。太陽は、沈みかけていた」
「突然、空は血の色に変わった。私は立ち止まり、強烈な疲労を感じて、柵に寄り掛かった」
「炎の舌と血とが、青黒いフィヨルドの海と町に、覆いかぶさるようだった」

「2人の友人たちは、そのまま歩き続けた」
「しかしワタクシはそこに立ち尽くしたまま、不安に震え、不安と戦っていた。そしてワタクシは、自然を貫く果てしない叫びを聴いた」

 なるほど、これがムンクの日記である。しかし諸君、「だからその叫びに対して耳を塞がずにはいられなかった」「耳を塞いでいる姿を描いた」とは、日記に記されているわけではないのだ。ただ素直に「叫びを聴いた」と書かれているだけである。

 いや、むしろムンクは「叫びを聴いた」と書いているじゃないか。「叫びを聴くのを恐れた」「叫びを聴きたくなかった」「だから耳を塞いだ」「叫びに恐怖を覚えた」とはヒトコトも書いていない。しっかり「叫びを聴いた」と明記している。彼は「聴いた」のである。
ムンクマドンナ
(ムンク、マドンナ)

 そもそも、「自然を貫く果てしない叫び」を、震えながらも足を踏んばり、歯を食いしばって聴こうとしない芸術家が存在するだろうか。もし叫びから逃げようとしたとして、その惨めな逃亡を画面に記録し定着して、後世に残そうとする画家が存在するだろうか。

 あえて言えば、逃亡や逃避についての「告白」の記録としてなら、「耳を塞いでしまいました」とチャッカリ苦笑で告白して、この絵のバリエーションをたくさん残す可能性は残っている。

「ボク、思わず耳を塞いじゃいました」「コワかったァ」と、ニヤリと笑ってゴマかしちゃうわけである。「ボクはその程度のダラしない人間です」と告白して、そういう告白をタネに小説を書き続ける作家も、昭和の日本には少なくなかった。

 しかしワタクシには、ムンクどんがそんな弱虫とは思えないのだ。「吸血鬼」を見てみたまえ。「瀕死の少女」「思春期」を見てみたまえ。「地獄の自画像」を見てみたまえ。ムンクがその種の告白を描きまくる人とはとても考えられないのである。

 あんな血まみれのトナカイのステーキを、平気でムシャムシャ貪っていたムンクどんなのだ。「自然を貫く果てしない叫び」を真っ赤なお空に感じた時、それを耳を塞いで「聞こえなかったことにする」などという卑怯な意識を、わざわざ画面に描こうとは思わなかったんじゃないか。
ムンク橋の上
(ムンク、橋の上の少女たち)

 そもそも諸君、ごく素直に言おう。この電球オトコ、誰が見てもパックリ大きな口を開けている。本人が絶叫するなら、お口をパックリ開けるのは、ごく自然な行為でござんす。しかしもしも「耳を塞いで叫びを聴かないように必死」という状況で、あんなふうにお口をパックリ開けるものですかね?

 諸君も一度、試してみたまえ。音楽でも、政治家の演説でも、講師の雑談でも、マスメディアの偏向報道でも、「聴かないぞ」「聴かないぞ」「絶対に聴かないぞ」と決意してお耳を塞いでいる最中に、お口をパックリ限界まで開けているのって、あまりに不自然じゃあーりませんか?

 それじゃ、お口が裂けちゃいませんか? ヨダレが垂れませんか? 汚くあーりませんか? だから諸君、ボクチンは「この人物は、お口は開けているけれども、耳は両手で塞いでるんだ」という説明が、あまりに不自然だと思うのだ。

 むしろワタクシは、「叫んでいるのもカレ」「自らの叫びを聴くまいとしているのもカレ」、そういう同一人物説を唱えたいと、ムンクの画集を神田神保町の古書店で購入したあの受験生の時代から考えつづけてきた。古書店の名は「一誠堂書店」。神保町を代表する老舗である。

 もちろんその同一人物説に、むかしむかしの若い今井君は「自然との合一」みたいな説を無理くりにくっつけていたのであるが、友人たちとの酒飲み話の中に、いつの間にか限りなく埋没して、そのままダラしなく現在に至っている。

1E(Cd) Christopher Cross:EVERY TURN OF THE WORLD
2E(Cd) Christopher Cross:EVERY TURN OF THE WORLD
3E(Cd) Bobby Caldwell:AUGUST MOON
13G(β) 塩野七生:ローマ亡き後の地中海世界(下):新潮社
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