Fri 170922  豪雨のベルゲンに到着/罪悪感/雨の港町を歩く(晩夏フィヨルド紀行16) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 170922  豪雨のベルゲンに到着/罪悪感/雨の港町を歩く(晩夏フィヨルド紀行16)

 別に国境でも何でもないが、たいへん長いトンネルを抜けると、そこは夜の雨の町であった。バスの窓をたたく雨粒が、すんげーデカくなった。ドライバーはわざわざマイクのボリュームをあげて、「Welcome to Bergen♡」と冗談めいた口調で話しはじめた。

 ついこの間、ホーチミンシティのホテルのエレベーターで出会った欧米女子は、ベトナムの強烈なスコールのことを「It’s very wet out there」と表現したけれども、ベルゲンの町も夕暮れの雨にビショビショに濡れていた。

 前にも少し書いたが、ベルゲンはカリブ海から北東に流れつづけたメキシコ湾流が長い旅を終え、最終的に流れ着くノルウェー西岸の町。温かく湿った気流がスカンジナビア半島の険しい山地にぶつかって上昇し、上昇気流は常に分厚い乱層雲を生み出し続ける。

 だからベルゲンは、日本なら尾鷲、アメリカならシアトル、そういう雨の町に肩を並べる降水量をアイデンティティにしている。トンネルを抜けるといきなり豪雨がバスの窓と屋根をたたき、その瞬間に「Welcome to Bergen♡」と挨拶すれば、それで十分に冗談になるのである。
ベルゲン1
(ベルゲン風景 1)

 ヴォスを出発して、1時間半が経過している。時計は21時半に近い。途中、何度も鉄道の線路と平行して走ったが、印象的だったのは「すべての信号が赤」という状況。やっぱりこの夜の鉄道は、何かニッチもサッチもいかない事態に直面していたのだ(スミマセン、昨日の続きです)。

 ワタクシが乗る予定だったのに「運転見合わせ」になった列車が、ヴォス19時半発。その2時間後、21時半発車予定の列車が本日の最終列車である。しかし信号が全て赤のままになっている状況を見ると、最終列車もきっと運休の決定が下されたに違いない。

 だから、「助かった」というか「危機一髪」というか、このバスに乗れてホントに幸運だった。ヴォス駅前に取り残された140名のヒトビトは、今ごろどうしているだろう。
ローゼンクランツ
(ベルゲン、ローゼンクランツの塔)

 確かに会社側の発表では「ヴォスにいるタクシーを総動員して、バスに乗れなかった皆さんをベルゲンまで運びます」「タクシー代は会社持ち」「だから安心してください」ということではあった。

 しかしワタクシは、その発言をニワカには信じられないのである。ヴォスは、駅前に教会1つ、ケバブ屋が1つ、駅前に並んでいるタクシーは1台もいない、そういう規模の穏やかな町である。

「総動員」と言ったって、ヴォスのタクシーは10台程度、下手をすれば5〜6台。それで積み残された140名をベルゲンまで運ぶというのは、話として土台ムリなんじゃないか。

 1台にギュー詰めの5人を乗せたって、10台で50人、その10台がピストン輸送で3回往復しなければ、150人近い人を運びきるのはムリという計算になる。

 ヴォス ⇔ ベルゲン間は、片道90分、往復は3時間だ。それを3往復なんかしてみたまえ、夜が明ける頃までかかってやっと完了、しかも会社側が支払うタクシー代は、10台 × 往復4万円 × 3回往復 = 120万円。ホントにそこまでメンドーを見てくれるのか、信じがたいのである。

 その計算も、あくまで「タクシーが10台いれば」の話。無数の滝に囲まれた小さな山の町に、「往復3時間の仕事を、一晩で3回引き受けましょう」とおっしゃるほど気力&体力に優れた壮年のタクシー勇士が、そんなにたくさんいらっしゃるだろうか。

 だからきっとワタクシがバスで去った後のヴォスでは、まだまだ騒動というか悶着というか、要するに「どうしようもないので、駅で寝泊まりしていただくしか仕方がない」という結論に至るモロモロのプロセスが続いているに決まっているのだ。
ベルゲン2
(ベルゲンの名門「ホテル・アドミラル」の勇姿)

 そういうことを考えると、いま「Welcome to Bergen♡」という暢気な笑いに興じている自分に、罪悪感を感じないではいられない。キウィらしくスバシコク、サトイモらしくツルツルと、マコトに敏捷にバスの座席を確保してしまったが、ホントにあれでよかったのだろうか。

 ワタクシは、気力も体力も知力も精神力も充実した、世にも立派な壮年男子である。誰かにこの座席を譲ってあげるべきではなかったか。自分は駅や駅周辺のベンチで朝まで眠ってでも、誰かもっと困っている人を優先してあげるべきでなかったか。

 しかし今や時遅し。鉄道の信号が全部真っ赤になって停止するほどの事態になるとは、ヴォスの段階では考えなかった。「残った方はタクシーで移動していただきます」という発言が、実現可能性の薄い気休めかもしれないとも、あの段階では気づかなかった。

 ベルゲンのバスターミナルに到着、21時。空には稲妻が走り、雷鳴が北の町に轟いた。バスターミナルから駅まで徒歩で5分、駅から港まで徒歩で20分。ベルゲンにもタクシーはほとんど見当たらない。豪雨の中、30分近い道のりをホテルを探して歩いて行かなければならない。

 まさに難行苦行である。ちょっと治安の悪そうなベルゲン駅の裏に1台だけ、ぼんやり行灯に明かりを点したタクシーが佇んでいたが、躊躇しているうちにどこかに行ってしまった。

 もう諦めるしかない。折りたたみ傘を取り出して、足首どころか膝の上までズブ濡れになるような豪雨の中、街灯も余り多くない北の町を、罪悪感に苛まれながら彷徨するのみである。
ベルゲン3
(ベルゲン風景 2)

 駅前の店は、もうほとんど閉まっている。港が近づくに連れて、若干の飲食店がまだ明かりを灯して営業中であるが、こんなズブ濡れじゃ、メシを貪ることにさえ余り積極的になれない。

 しかし人間とはマコトに不思議なもので、罪悪感に苛まれながらヌレネズミになって暗い町をさまよい歩いたあの30分のことは、おそらく一生忘れない。

 快晴のカプリ、爽快な風が吹くソレントとアマルフィとラヴェッロ、確かにそういうのも素晴らしいが、雨に濡れる北の港町の夜、なかなか見つからないホテルを探してタメイキをつくなんてのも、人間の記憶には返って濃厚濃密に残るものなのである。

 予約してあったホテルは、「ラディソンブルー」。周辺はユネスコ世界文化遺産にも登録されている貴重な町並みであるが、ホテル自体は「まあまあ」「そこそこ」というごくフツーのホテルであった。

 あの日は、3台あるエレベーターのうちの1台が故障中。その故障した1台が、今井君の泊まっている4階にピタッと止まって動かない。

 最初は故障中と知らなかったから、何の気なしにその1台に乗り込み、ドアが閉まり、ロビー階行きのボタンを押した。ところが諸君、ドアは閉まったが、ピクリとも動かない。一度ドアを開けてみて、また閉めて、しかし意地でも動かない。

 万が一閉じ込められたら、たいへんじゃないか。スッタモンダの末にズブ濡れになって到着、その10分後にエレベーターに閉じ込められて、非常ベルのお世話になるハメになったら、ベルゲンが大キライになっちゃう。
ベルゲン4
(ベルゲン風景 3)

 用心深いワタクシは、非常階段を利用してロビー階に降りた。むかしむかし四半世紀も前に「中西圭三」というヒトがいて、「非情階段」という曲をギュッと大ヒットさせたのであるが、「12階のエレベーター 一瞬(タッチ)で閉まる扉」で始まるその曲は、今井君のカラオケお得意曲でもある。

 しかし諸君、ラディソンブルーでワタクシが宿泊したのは12階じゃなくて4階。あまりに地表に近い4階じゃ、「一瞬」を「タッチ」などとカッコ良く発音することは不可能だ。べったら&べったらダラしなく足音を響かせながら、ひたすらロビー階まで恐る恐る降りたのである。

 ロビー階には、「NORTH 26」という名のメインバーがあって、疲れ果てた今井君はカウンターでビールを痛飲。気さくなバーテンダーがダイキリを0クローネでサービスしてくれたりして、気分はいくらか高揚していった。

 こういうふうで、朝6時25分にオスロ中央駅から始まった大冒険は、ベルゲンの23時ごろに無事に終了。翌8月20日は、ベルゲン発8時のお船に乗らなきゃいけないから、バーも適当に切り上げて部屋に戻ることにした。

 それにしてもベルゲン、改めて朝に散策して回ると、信じがたいほど美しい港町なのである。北国生まれの今井君としては、ヴェネツィアより好き。のべ35日も滞在した大好きなマルセイユと比べても、おそらく負けないぐらいだ。近いうちにどうしてもベルゲン、最低10日の滞在を敢行したいと思うのである。

1E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
2E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
3E(Cd) George Duke:COOL
6D(DMv) BY THE SEA
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