Wed 170920 滝、滝、滝づくし/ダット君/ヴォス事件の始まり(晩夏フィヨルド紀行14) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 170920 滝、滝、滝づくし/ダット君/ヴォス事件の始まり(晩夏フィヨルド紀行14)

 滝とはマコトに印象的なものであるから、フィヨルドを行くお船から数えきれないほどの滝を眺めるうちに、今井君の脳裏には「滝」の文字のつくいろいろな人々の思い出が、次々と蘇ってくるのであった。

 滝沢君、滝本君、滝田君。「荒城の月」を作曲したのは滝廉太郎センセイであったし、V9時代のジャイアンツには、右の代打の切り札として滝選手がベンチにドッカと腰をおろしていた。二塁手、背番号12。名選手♨土井の陰に隠れてはいたが、スーパーサブとしての存在感は大きかった。

 むかしむかしのバイト先の塾には、受付嬢として「滝川サン」が座っていたし、「どうすんだい?」(仮名)の若手♡超人気講師役をやらせていただいていた頃は、東京地区の本部長が「大滝サン」であった。

 大学学部の教養ゼミには「小滝クン」がいた。政治学科なのに、教養ゼミのテーマは「中世ヨーロッパ」「中世ドイツ文学」。意識高い系の学生にとっては「なんじゃそりゃ?」もいいところだが、「中世の復権」だの「スコラ哲学」だの、小滝君の下宿で野良猫にゴハンをあげながら、早朝まで激論をかわした。
グドヴァンゲン
(17時半、船はグドヴァンゲン到着。ここでバスに乗り換える)

 ワタクシが「どうすんだい?」で「人気♡急上昇」などという愚にもつかないことをやっていた時代、東進には滝山敏郎センセイという超大物がいらっしゃって、「東進ドリームチーム」の中核は滝山センセイだった。キャッチフレーズは「予備校界の大物」。もう20年も昔のことである。

 ところが諸君、あれから20年、東進のポスターやらHPやらを見ると、「予備校界の大物」という恐るべきキャッチフレーズは、何とこのワタクシのものになっている。おお、ワタクシもずいぶん出世しましたな。フィヨルドの滝に感動しながら、別の意味でも感動はグイグイ高まっていく。

 昭和の昔、滝はファーストネームにも登場した。「水の江滝子」である。1915年生まれ、小樽市出身、本名 ☞ 三浦ウメ子。何となく古色蒼然としてきたが、「男装の麗人」「桃色争議」「オリエ津阪(本名・津阪織江)」など、調べれば調べるほど濃厚な昭和の深みにハマっていく。

 ニックネームは「ターキー」。「滝子だからターキー」とくれば、21世紀の諸君は「古くせー♨」と顔を歪めるかもしれないが、いやはや、だったらどんなニックネームにするんだ? たきっち? たきみ? たきよ? たきえ? たきのすけ? だったら元の「たきこ」でいいじゃないか。
滝1
(グドヴァンゲンでも、まだ滝づくし)

 滝子がいれば、滝太郎もいるだろう。滝太郎がいたら、滝夫も滝彦も滝助も、滝次に滝三に滝五郎もいるだろう。こりゃもうどこまで行ってもキリがなくて、滝兵衛に滝右衛門まで考え始めれば、もちろん「タキえもん」を思い、のび太ならぬ「のび次」「のび三」にまでたどり着く。

 そんなものにたどり着いても人生には何一つ進歩はなく、世界にも何一つ恩恵はない。ここでまた意識高い系男子がスックと立ち上がり、「いったいアナタは何を目標に設定して生きているんですか?」と、若きホホを紅潮させて問いかけるところだろうが、フィヨルドの凍るような雨の中、今井が求めていたのは、ひたすらグドヴァンゲン到着であった。

 8月19日、合計してどれほどの滝を目にしただろうか。数十、いや、百を超えていたかもしれない。滝を数える単位は、平常は「1本」「2本」「3本」であるが、それじゃあんまり味気ないから、「瀑」を単位とすることもある。

「1瀑」「2瀑」「3瀑」というわけである。すると8月19日のボクチンは「数十瀑、いや100瀑を超える滝を目撃した」ということになるが、あんまり瀑瀑&瀑瀑やっていると、心臓もバクバク、頸動脈もバクバク、甚だ健康に悪そうだ。
滝2
(名門:ハイランドホテルを過ぎても、まだ滝づくしが続く)

 こうして、余りの寒さにすっかり集中力を失った今井君は、17時30分、ついにグドヴァンゲンに到着。雨を逃れて甲板を去った多くの人々は、フィヨルドの絶景を諦めて、暗い船室にヒトカタマリに固まっていた様子である。

「常識的に生きる」ってのは、つまらんものですな。ほの暗くボッと生温い場所で身を寄せあい、感動や感激や歓喜をあきらめて、互いの体温を頼りにヌクヌク生きていく。しかしワタクシは、雨に濡れて凍えそうになりながらでも、強烈な感激に浸るほうが好きなのだから仕方がない。

 グドヴァンゲンに上陸して、最初に見上げたのは滝である。頭上からも滝。正面の断崖にも滝、背後からも滝。タキタキ、タキタキ、まさに滝攻め&滝責めの滝づくしである。すると今井君は「タキのオタッキー」などというものを設定して、またまたくだらん感激に浸る。

 しかし諸君、ここでバスに乗り換えだ。バスは目の前に1台停車中。お船でフラムから運んできた人数から考えて、バス1台では明らかにムリ、最低3台は必要な状況だ。

 こりゃ今井君としては、もう滝に感動とか感激とかしている場合ではなくて、脱兎のごとく船から駆け出し、脱兎のごとくバスを目指して全速力で突っ走る。

 ダット今井のダッシュは、自分としては大いに自信があるので、小6で「麗子」と作文で競い合っていた時代から(スミマセン、一昨日の続きです)、そのダットサンぶりに衰えは見られない。

 どっとバスを目がけてダッシュしたダット集団のなかで、今井君はぶっちぎりのトップ。立ちふさがる運転手さんにチケットを示すやいなや、雨に濡れた肉体を温かいシートに沈めたのである。

 1台目に乗れなかった人々のために、2台目&3台目のバスがやってきた。「何だ、別に急ぐ必要もなかったじゃないか」であって、お揃いでトナカイのボーシをかぶったアメリカ人グループも、3台目のバスには余裕で乗れたようである。
滝3
(ヴォス付近で、またまた大滝滝之助が勇姿を現す)

 ただし諸君、船からバスに乗り換えた人数は「バス3台が超満員」。この事実をよーく記憶しておいてくれたまえ。明日の記事で詳述する「ヴォス事件」を理解するには、グドヴァンゲンの段階で「バス3台分の乗客がいた」ことを、しっかり覚えておかなければならない。

 さてバスは、ヴォスに向かって出発する。真っ直ぐヴォスを目指すのではなくて、ここでもまだ「滝めぐり」を続けるのである。乗客は「もう滝はいいから、早く目的地に着きたい」の一心なのだが、有名な滝左衛門や滝之助を見せないうちは、ノルウェー人はそう簡単に許してくれないのだ。

 澄みきった清冽な小川沿いに険しい山道を進むと、やがて「ハイランドホテル」が見えてくる。フィヨルドの深山幽谷を眼下に見下ろす名門ホテルである。おお、ここなら長期滞在も悪くない。6月とか7月なら、さぞかし清々しい日々を過せそうだ。

 その後バスは、ホテルの裏の豪壮な大滝滝左衛門に立ち寄り、乗客がたっぷりシャッターを切るのを確認してから、一路ヴォスの町に向かった。ヴォスにはあまり宿泊施設がないから、バス3台の人々はヴォスで列車に乗り換えて、ほぼ全員が雨の町ベルゲンを目指すのである。

 途中、疲れ果てた人々がギュッと深い睡魔に襲われ、90%から95%が口から白いヨダレの滝を垂らしながら寝入った頃、バスはヴォスに到着した。化粧品かと見間違える超豪華ペットボトル入りのミネラルウォーターでも有名な町である。
ケバブ
(ヴォス駅前のケバブ屋。この店については、明日の記事を参照)

 趣きのある教会の近くに鉄道の駅があって、雨の中バスを降りた人々は、水たまりを避けながら駅舎に急ぐ。バスは定刻19時ちょうどの到着。ベルゲンゆきの列車は19時35分発だから、乗り継ぎには30分の余裕がある。

 ところが諸君、ここで事件は起こる。
「ベルゲンゆき列車は、本日に限り運休といたします」
「次の列車まで、待合室でお待ちください」
「次の列車は、21時半の予定です」
と、マコトに淡白な貼紙を、乗客の数人が発見したのである。

 日本でもこの類いのことはしょっちゅう発生するが、ここからベルゲンまでは1時間半かかる。21時半の列車に乗ったとして、ベルゲンにたどり着くのは23時になる。

 しかも「運休」の原因が示されていないとすれば、「次の列車」と言ふものがホントに運転されるのか、保証なんか一切存在しない。人々は天を仰ぎ、狭いヴォスの駅舎の中は、希望でも立憲でも民進でも無所属でもなく、ただ深い絶望の呻きばかりが支配したのであった。

1E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
2E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
3E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
6D(DMv) PAGE EIGHT
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