Sat 170916 志望は車掌さん・駅弁売り・呼び出し/ベルゲン急行(晩夏フィヨルド紀行10)
幼稚園児の今井君が、一番なりたいと思っていたのが「国鉄の車掌さん」である。21世紀独特の「意識高い系のコドモ」たちが聞いたら、きっと「そんな脱力系でいいのか?」「キミは自分の人生でいったい何を実現したいんだ?」と、コワい眼でギューギュー詰め寄ってくるに違いない。
でも当時のワタクシとしては、国鉄の車掌さんこそが日本で最も誇り高い職業だと思っていた。お医者さんも素晴らしい。理学博士も工学博士も素晴らしい。国連みたいな華々しい場で働くのもまた素晴らしい。しかし、優秀な園児イマイとしては、何が何でも車掌さんになりたかった。
だから、退屈な幼稚園から帰ると、今井君はひたすら車掌さんになる訓練を積んだ。何よりもまず、「車内放送の達人」にならなきゃいけない。
昭和は夜行列車の花盛りであったから、秋田を午後8時台から9時台に出発して、終着♡上野駅に翌朝7時ぐらいに到着する列車の、停車駅と到着時刻をみんな暗記してしまった。
そこで諸君、幼い今井君は、1人でひたすら車内放送の練習に励むのである。「ええ、皆さん、発車まで長らくお待たせいたしました。この列車は、奥羽本線上り、上野行き急行「おが」でございます。停車駅と停車時刻をお知らせいたします」。いやはや、これほどワクワクする旅立ちの瞬間があるだろうか。
![氷河](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/16/1c/j/o0400030014045210164.jpg?caw=800)
(ノルウェー、フィヨルドへの旅の途中で氷河を目撃する)
その他に園児イマイが志望していたのは、① お相撲の呼び出し ② 駅のホームの駅弁売りだというのだから、自分の声には相当な自信があったに違いない。意識高い系からはマコトに遠くへだたった、なかなか特殊な夢の数々である。
もちろん園児イマイは用心深いから、呼び出し・駅弁売り・車掌さんという3つの夢を、大っぴらにすることは一度もなかった。親にも黙っていたし、小学校の先生にも友達にも完全にヒミツにしていた。
「将来の夢は?」と尋ねられれば、平気で「医師」とウソをついた。8歳か9歳の学童が、「人のために役立ちたいから」「困っている人を救いたいから」と、野口英世かシュバイツァーも顔負けの熱い認識を口にして、顔も赤らめずにいられたのである。
特にワタクシは、① 成績は優秀 ② 性格もオトナ ③ ぜんそくにアレルギーで連日の病院通い、以上3つが重なれば、「今井君がお医者さんになるのは当然だ」と、センセも友達も何の疑いもなく信じてくれた。
![ベルゲン急行](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/e0/be/j/o0400030014045210166.jpg?caw=800)
(ヴォス行き急行、朝6時25分にオスロ中央駅を出発)
あれから幾星霜、現在の今井君もまだ、なれるものならお相撲の呼び出しになりたいし、腹にギュッと力を入れて「ひがーぁしぃー、はるまーふじー、はるーまーふじー」と扇子を広げれば、千秋楽の一番をイヤが上にも盛り上げられる自信がある。
「ホームでの駅弁売り」も、昭和日本の花形である。列車が到着するたびに、首から紐でぶら下げた大っきな箱に十数個の弁当をかかえ、
「べんとー、べんと&べんとー」
「ええ、べんとー、べんとー、べんと&べんとー」
そう言って、腹の底から粘り強い声を張り上げた。
長い旅に疲れ果てたヒトビトは、今とは比較にならないぐらい、駅弁に魅力を感じたものである。というか、食べるチャンスさえあればいくらでも駅弁を買った。
東京から博多までの夜行列車に乗った人は、① 横浜でシューマイ弁当、② 浜松でウナギ弁当、③ 名古屋できしめん(これはあえてホームに降りて超高速ですすった)、④ 京都でお上品な幕の内、⑤ 広島で牡蠣弁当、みんなナンボでも弁当を楽しんだ。
![ホーネフォス](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/54/19/j/o0400030014045210170.jpg?caw=800)
(オスロを出て1時間強、「ホーネフォス」付近の風景)
そういう駅弁売りの呼び声も、今では全く聞かれない。年老いたオジサマやオバサマが、無言で愛想良くニコニコ笑っているだけのKIOSKがほとんどだ。
「ええー、べんとー、べんとー」の声はもう聞かれないし、窓をギュッと上に上げて「おい、弁当4つだ。お茶もくれ」と、気合いの入った男らしい声で家族のお弁当を確保する力強いお父さんにも、今やなかなか遭遇しない。昔は平気で「おい!!」と声をかけたものである。
それどころか諸君、この間ネットで駅弁に関する記事を読んでいたら、「べんと、べんとー」「ええ、べんとー」という呼び声を聞いたことさえない世代の人が、頑張って書いたらしい記事に遭遇した。
筆者であるShe/Heによれば、「昔の日本では、駅のホームで駅弁の販売員が待ち受けていた。駅に列車が到着するたびに『駅弁、駅弁でーす!!』と元気な声で駅弁を売って歩いたのである」というのである。
これは恐れ入った。「駅弁、駅弁でーす!!」ねえ。明治も大正も遠くなったが、昭和も20世紀もどんどん遠くなっていく。「べんと、べんとう」の粘りづよい声も、もうすぐ「駅弁でーす!!」だったことにされてしまいそうだ。
![標高上がる](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/48/23/j/o0400030014045210175.jpg?caw=800)
(ホーネフォスを発車後の針葉樹林帯。一気に標高が上がる)
8月19日、ノルウェー滞在3日目の今井君は、朝5時50分にホテルを出た。園児の頃に「車掌さんになりたかった」というワタクシにとって、まさに夢のような1日の始まりである。
この15年、マトモな人々がみんな腰を抜かすほどの密度で旅ばかり繰り返してきたが、イタリアでもフランスでも、スペインでもドイツでも、2017年8月19日ほど感動&感激に飽和した1日は経験したことがない。
オスロから氷河の山を越え、数えきれない滝が数百メートルの断崖を流れ落ち、豪快なフィヨルドの絶景の只中を船で進み、「あわや野宿?」の危機の中で粗末な夕食を貪り、最後は冷たい夜の雷雨に濡れそぼった港町ベルゲンに到着する。
暗い北欧の港町の夜の雷雨でさえ、今はこの上なく楽しい記憶である。フィレンツェでもヴェネツィアでも、バルセロナでもグラナダでも、あれほど熱い思いに満たされた1日は経験したことがない。やっぱりワタクシは、根っからの北国サトイモであるらしい。
![標高990](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/5b/c2/j/o0400030014045210178.jpg?caw=800)
(標高990m、Ustaosetの駅が近づく)
その旅程を、一覧表で確認しておこう。
① オスロ中央駅 06:25 → ミュルダール 11:34
② ミュルダール 12:13 → フラム 13:10(フラム鉄道)
③ フラム 15:15 → グドヴァンゲン17:30(船)
④ グドヴァンゲン 17:45 → ヴォス 19:00(バス)
⑤ ヴォス 19:35 → ベルゲン21 :02(電車)
おお、車掌さんになって日本中の鉄道を制覇したいと思っていた頃の、園児イマイの血が騒ぐじゃないか。思わず、昭和の車掌さん独特の節回しで、車内放送のマイクを握りそうになるじゃないか。
![フィンセ付近](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/53/27/j/o0400030014045211074.jpg?caw=800)
(フィンセ付近の絶景。近くの山にも残雪が多くなる)
園児のワタクシは、あえて秋田ナマリの混じった「秋田鉄道管理局」所属の車掌さんのマネにいそしんだのである。「最近、貴重品の盗難が目立っております」「くれぐれも貴重品は身につけてお過しください」なんてのも練習した。
「ええ、皆さん、お待たせいたしました。ただいま秋田を定刻に発車いたしました。それでは、停車駅と到着時刻を申し上げます。次は、おおまがり、大曲でございます。大曲到着○時○分、停車時間はわずかとなっております」
あとは、横手、湯沢、横堀、真室川、新庄、大石田、東根、楯岡、天童、山形。山形で日付が変わって、車内の照明が暗くなり、上ノ山、赤湯、米沢、福島、二本松、郡山、須賀川、白河、黒磯、西那須野。このへんで空が明るくなり、あとは一気に宇都宮、小山、大宮、赤羽、上野。その到着時刻をみんな暗記して、日々o.j.Tにそっくりの努力にいそしんだ。
![標高1220](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/99/e9/j/o0400030014045211080.jpg?caw=800)
(フィンセ駅は標高1222m、氷河が迫ってくる)
オスロ中央駅を6時25分に出た列車は、ヴォス行きのベルゲン急行である。ヴォスのスペルはVOSSであって、諸君も高級スーパーで「VOSS」という名のミネラルウォーターを目撃したことがあるはずだ。
オスロを出ると、列車は大きく南西方向に迂回する。舌をニュッと突き出して「U」の文字を書き終えたあたりが「ホーネフォス」の駅。「英語なら、もしかして『HONEY FOREST』か?」と思ったりするが、別に何の根拠もない。
ここから列車は一気に北西に向かい、同時に標高もぐんぐん上がって、針葉樹林帯と、澄みきった河と湖との眺めが続く。オスロを出て3時間、針葉樹林がハイマツに変わり、遠い山の嶺に残雪が見え、間もなく残雪は間近の山にも目立つようになった。
![残雪と氷河](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/e0/94/j/o0400030014045211083.jpg?caw=800)
標高900メートルを越えると、もはや荒涼とした山岳地帯であって、Ustaoset ☞ 標高990m、Finse ☞ 標高1220mの駅からは、白銀に光る氷河の姿が見える。ハダンゲル氷河、このあたりはサイクリングの名所であって、8割の乗客がFinseで降りていった。
Finseと書いて、「フィン、セ」と発音する。「フィン」は低く小さく控えめに抑制して発音し、一瞬の間をおいてから「セ!!」を強調する。その前のUstaosetも同様。「ユスタウ」はあくまで抑制した声で、ラストの「セ!!」をギュッと強く押し出すのである。
「フィン、セ!!」からは下り坂になり、約20分の乗車でミュルダールに到着する。ここまでが8月19日の第1行程であるが、続きについては、また明日の記事で詳述することにしたい。
1E(Cd) DRIVETIME
2E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
3E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
6D(DMv) FATAL ATTRACTION
total m85 y1731 d21680
でも当時のワタクシとしては、国鉄の車掌さんこそが日本で最も誇り高い職業だと思っていた。お医者さんも素晴らしい。理学博士も工学博士も素晴らしい。国連みたいな華々しい場で働くのもまた素晴らしい。しかし、優秀な園児イマイとしては、何が何でも車掌さんになりたかった。
だから、退屈な幼稚園から帰ると、今井君はひたすら車掌さんになる訓練を積んだ。何よりもまず、「車内放送の達人」にならなきゃいけない。
昭和は夜行列車の花盛りであったから、秋田を午後8時台から9時台に出発して、終着♡上野駅に翌朝7時ぐらいに到着する列車の、停車駅と到着時刻をみんな暗記してしまった。
そこで諸君、幼い今井君は、1人でひたすら車内放送の練習に励むのである。「ええ、皆さん、発車まで長らくお待たせいたしました。この列車は、奥羽本線上り、上野行き急行「おが」でございます。停車駅と停車時刻をお知らせいたします」。いやはや、これほどワクワクする旅立ちの瞬間があるだろうか。
![氷河](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/16/1c/j/o0400030014045210164.jpg?caw=800)
(ノルウェー、フィヨルドへの旅の途中で氷河を目撃する)
その他に園児イマイが志望していたのは、① お相撲の呼び出し ② 駅のホームの駅弁売りだというのだから、自分の声には相当な自信があったに違いない。意識高い系からはマコトに遠くへだたった、なかなか特殊な夢の数々である。
もちろん園児イマイは用心深いから、呼び出し・駅弁売り・車掌さんという3つの夢を、大っぴらにすることは一度もなかった。親にも黙っていたし、小学校の先生にも友達にも完全にヒミツにしていた。
「将来の夢は?」と尋ねられれば、平気で「医師」とウソをついた。8歳か9歳の学童が、「人のために役立ちたいから」「困っている人を救いたいから」と、野口英世かシュバイツァーも顔負けの熱い認識を口にして、顔も赤らめずにいられたのである。
特にワタクシは、① 成績は優秀 ② 性格もオトナ ③ ぜんそくにアレルギーで連日の病院通い、以上3つが重なれば、「今井君がお医者さんになるのは当然だ」と、センセも友達も何の疑いもなく信じてくれた。
![ベルゲン急行](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/e0/be/j/o0400030014045210166.jpg?caw=800)
(ヴォス行き急行、朝6時25分にオスロ中央駅を出発)
あれから幾星霜、現在の今井君もまだ、なれるものならお相撲の呼び出しになりたいし、腹にギュッと力を入れて「ひがーぁしぃー、はるまーふじー、はるーまーふじー」と扇子を広げれば、千秋楽の一番をイヤが上にも盛り上げられる自信がある。
「ホームでの駅弁売り」も、昭和日本の花形である。列車が到着するたびに、首から紐でぶら下げた大っきな箱に十数個の弁当をかかえ、
「べんとー、べんと&べんとー」
「ええ、べんとー、べんとー、べんと&べんとー」
そう言って、腹の底から粘り強い声を張り上げた。
長い旅に疲れ果てたヒトビトは、今とは比較にならないぐらい、駅弁に魅力を感じたものである。というか、食べるチャンスさえあればいくらでも駅弁を買った。
東京から博多までの夜行列車に乗った人は、① 横浜でシューマイ弁当、② 浜松でウナギ弁当、③ 名古屋できしめん(これはあえてホームに降りて超高速ですすった)、④ 京都でお上品な幕の内、⑤ 広島で牡蠣弁当、みんなナンボでも弁当を楽しんだ。
![ホーネフォス](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/54/19/j/o0400030014045210170.jpg?caw=800)
(オスロを出て1時間強、「ホーネフォス」付近の風景)
そういう駅弁売りの呼び声も、今では全く聞かれない。年老いたオジサマやオバサマが、無言で愛想良くニコニコ笑っているだけのKIOSKがほとんどだ。
「ええー、べんとー、べんとー」の声はもう聞かれないし、窓をギュッと上に上げて「おい、弁当4つだ。お茶もくれ」と、気合いの入った男らしい声で家族のお弁当を確保する力強いお父さんにも、今やなかなか遭遇しない。昔は平気で「おい!!」と声をかけたものである。
それどころか諸君、この間ネットで駅弁に関する記事を読んでいたら、「べんと、べんとー」「ええ、べんとー」という呼び声を聞いたことさえない世代の人が、頑張って書いたらしい記事に遭遇した。
筆者であるShe/Heによれば、「昔の日本では、駅のホームで駅弁の販売員が待ち受けていた。駅に列車が到着するたびに『駅弁、駅弁でーす!!』と元気な声で駅弁を売って歩いたのである」というのである。
これは恐れ入った。「駅弁、駅弁でーす!!」ねえ。明治も大正も遠くなったが、昭和も20世紀もどんどん遠くなっていく。「べんと、べんとう」の粘りづよい声も、もうすぐ「駅弁でーす!!」だったことにされてしまいそうだ。
![標高上がる](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/48/23/j/o0400030014045210175.jpg?caw=800)
(ホーネフォスを発車後の針葉樹林帯。一気に標高が上がる)
8月19日、ノルウェー滞在3日目の今井君は、朝5時50分にホテルを出た。園児の頃に「車掌さんになりたかった」というワタクシにとって、まさに夢のような1日の始まりである。
この15年、マトモな人々がみんな腰を抜かすほどの密度で旅ばかり繰り返してきたが、イタリアでもフランスでも、スペインでもドイツでも、2017年8月19日ほど感動&感激に飽和した1日は経験したことがない。
オスロから氷河の山を越え、数えきれない滝が数百メートルの断崖を流れ落ち、豪快なフィヨルドの絶景の只中を船で進み、「あわや野宿?」の危機の中で粗末な夕食を貪り、最後は冷たい夜の雷雨に濡れそぼった港町ベルゲンに到着する。
暗い北欧の港町の夜の雷雨でさえ、今はこの上なく楽しい記憶である。フィレンツェでもヴェネツィアでも、バルセロナでもグラナダでも、あれほど熱い思いに満たされた1日は経験したことがない。やっぱりワタクシは、根っからの北国サトイモであるらしい。
![標高990](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/5b/c2/j/o0400030014045210178.jpg?caw=800)
(標高990m、Ustaosetの駅が近づく)
その旅程を、一覧表で確認しておこう。
① オスロ中央駅 06:25 → ミュルダール 11:34
② ミュルダール 12:13 → フラム 13:10(フラム鉄道)
③ フラム 15:15 → グドヴァンゲン17:30(船)
④ グドヴァンゲン 17:45 → ヴォス 19:00(バス)
⑤ ヴォス 19:35 → ベルゲン21 :02(電車)
おお、車掌さんになって日本中の鉄道を制覇したいと思っていた頃の、園児イマイの血が騒ぐじゃないか。思わず、昭和の車掌さん独特の節回しで、車内放送のマイクを握りそうになるじゃないか。
![フィンセ付近](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/53/27/j/o0400030014045211074.jpg?caw=800)
(フィンセ付近の絶景。近くの山にも残雪が多くなる)
園児のワタクシは、あえて秋田ナマリの混じった「秋田鉄道管理局」所属の車掌さんのマネにいそしんだのである。「最近、貴重品の盗難が目立っております」「くれぐれも貴重品は身につけてお過しください」なんてのも練習した。
「ええ、皆さん、お待たせいたしました。ただいま秋田を定刻に発車いたしました。それでは、停車駅と到着時刻を申し上げます。次は、おおまがり、大曲でございます。大曲到着○時○分、停車時間はわずかとなっております」
あとは、横手、湯沢、横堀、真室川、新庄、大石田、東根、楯岡、天童、山形。山形で日付が変わって、車内の照明が暗くなり、上ノ山、赤湯、米沢、福島、二本松、郡山、須賀川、白河、黒磯、西那須野。このへんで空が明るくなり、あとは一気に宇都宮、小山、大宮、赤羽、上野。その到着時刻をみんな暗記して、日々o.j.Tにそっくりの努力にいそしんだ。
![標高1220](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/99/e9/j/o0400030014045211080.jpg?caw=800)
(フィンセ駅は標高1222m、氷河が迫ってくる)
オスロ中央駅を6時25分に出た列車は、ヴォス行きのベルゲン急行である。ヴォスのスペルはVOSSであって、諸君も高級スーパーで「VOSS」という名のミネラルウォーターを目撃したことがあるはずだ。
オスロを出ると、列車は大きく南西方向に迂回する。舌をニュッと突き出して「U」の文字を書き終えたあたりが「ホーネフォス」の駅。「英語なら、もしかして『HONEY FOREST』か?」と思ったりするが、別に何の根拠もない。
ここから列車は一気に北西に向かい、同時に標高もぐんぐん上がって、針葉樹林帯と、澄みきった河と湖との眺めが続く。オスロを出て3時間、針葉樹林がハイマツに変わり、遠い山の嶺に残雪が見え、間もなく残雪は間近の山にも目立つようになった。
![残雪と氷河](https://stat.ameba.jp/user_images/20171009/19/imai-hiroshi/e0/94/j/o0400030014045211083.jpg?caw=800)
(フィンセ駅付近の光景。残雪の向こうに、ついに氷河が姿を見せる)
標高900メートルを越えると、もはや荒涼とした山岳地帯であって、Ustaoset ☞ 標高990m、Finse ☞ 標高1220mの駅からは、白銀に光る氷河の姿が見える。ハダンゲル氷河、このあたりはサイクリングの名所であって、8割の乗客がFinseで降りていった。
Finseと書いて、「フィン、セ」と発音する。「フィン」は低く小さく控えめに抑制して発音し、一瞬の間をおいてから「セ!!」を強調する。その前のUstaosetも同様。「ユスタウ」はあくまで抑制した声で、ラストの「セ!!」をギュッと強く押し出すのである。
「フィン、セ!!」からは下り坂になり、約20分の乗車でミュルダールに到着する。ここまでが8月19日の第1行程であるが、続きについては、また明日の記事で詳述することにしたい。
1E(Cd) DRIVETIME
2E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
3E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
6D(DMv) FATAL ATTRACTION
total m85 y1731 d21680