Sun 170910 ネコ紙幣ならワンコはコイン/人形の家/フィヨルドへ(晩夏フィヨルド紀行6) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 170910 ネコ紙幣ならワンコはコイン/人形の家/フィヨルドへ(晩夏フィヨルド紀行6)

 ノルウェーの「おサカナ紙幣」をならって、もしも日本にネコ紙幣を導入するとしたら(スミマセン、昨日の続きです)、きっとイヌ派が黙っていないだろう。

 21世紀の諸君は信じないかもしれないが、20世紀までの日本ではイヌ派が圧倒的に優勢。昭和40年代にはスピッツがブームになって、世田谷とか芦屋とか、日本を代表するハイソな奥さま連は、必ず白いスピッツをダッコしていなければならなかった。

 江戸時代までグイグイ溯れば、ハイソな奥方は「狆」と言ふものをダッコしていた。狆(ちん)はお顔がクシャッとしていたから、「ちん」と「クシャ」をまとめて「狆クシャ」と呼んだ。落語によく登場する超小型 ☞ お座敷イヌである。

 20世紀終末期から21世紀初期にかけて、日本を「サラ金」改め「消費者金融」が跋扈していた頃には、チワワがイヌ界の支配者になった。「チワワにあらずんばイヌにあらず」。イヌ界の実力者・平犬忠の有名なコトバであって、後に琵琶法師が語るチワワ物語の一節にもなった♨

 チワワの隆盛を決定的にしたのは、消費者金融「アイフル」である。チワワ君「くぅーちゃん」の相棒は、チワワおじさんこと清水章吾。ライバル「アコム」の「小野真弓」というオネーサンとともに、「どうする?」「どうする?」と、マコトにコウルサイ金融CMが日本を席巻した。
会場1
(オスロ市庁舎内、ノーベル平和賞授賞式会場 1)

「アイク」「ディック」「武富士」「ヤタガイ」。当時の駅前は、貸しビルの全フロアが消費者金融。「本田ちよ」なんてのもあった。「ふくぶくローンの本田ちよ」。戦後のドサクサから連綿と続く、マコトに息の長い消費者金融であった。

 オウチにティッシュを忘れてきても、駅前で手を伸ばしていれば、消費者金融のポケットティッシュがいくらでも手に入った。それを几帳面に貯めていけば、スーパーで大っきなティッシュを買う必要もなかった。

 何を隠そう今井君は、今もポケットティッシュを貯めて使う派。ポケットティッシュをコツコツ蓄積してきたから、自分の部屋のデスク用に大っきなティッシュを買ったことは、この30年一度もない。何事も倹約第一、贅沢はいけませんぞ。

 そのチワワブームが、消費者金融の衰退とともに跡形もなく消えてしまうと、諸君、ネコ君たちがグイグイと勢力を伸ばしたのである。今や「ネコにあらずんば」の勢いであるが、諸行無常&盛者必衰、平ネコ盛が病に倒れるや、一気に犬勢の巻き返しが始まりかねない。

 日本の20世紀には、他にも「柴犬ブーム」「秋田犬ブーム」、はじけきらなかったけれども「甲斐犬ブーム」などがあった。今は伊豆の山中に逼塞している源犬朝が、全国に散らばる犬氏の兵に「いまこそ逆襲の白旗を掲げよ」と檄を飛ばすかも知れない。

 それに呼応して、木曽では旭将軍・木曽犬仲が立ち上がる。東北平泉の地に逼塞していた源犬経が鎌倉に馳せ参じる。今こそおごれるネコの赤旗を蹴散らしてくれんず。富士川の決戦で、臆病なネコちゃんたちは鳥の羽音にビックリして、みんな寝たフリを決め込んじゃうだろう。
市役所
(オスロ港から、オスロ市庁舎の勇姿を望む)

 それにしても、ワタクシは何を書いているんじゃ? 確かこれは「晩夏フィヨルド紀行」じゃなかったか。話がそれるのも大概にしないと、きっとそのうち誰かからギュッと叱られるんじゃあるまいか。

 まあ諸君、許してくだされ。ワタクシが書こうとしていたのは、「もしも『ネコ紙幣』が実現して、イヌ派の人々が反旗を翻したらどうしよう」という、この世で最も下らない話だったのである。

 イヌ派との激論の結果を想像するに、「イヌはコインでいかがでしょう?」という、これ以上考えられないほど、平凡な結論に達しそうだ。

 ワンコのコインだから、その名もビシッと「ワンコイン」。チワワのコイン、10円。柴ワンコのコイン、50円。秋田ワンコのコイン、100円。そんなんでいかがでしょうか。

 500円をどうするか、今井君の中でも決まらないのであるが、そのへんはイヌ派の中で大いに討論してくんろ。気に入らなければ、また新しく別の党派を作ればいい。

 今や私利私欲でナンボでも原理原則を変更できる世の中。長年の主張を瞬時に変更し、所属する党派をポンポン気軽にホッピングしても、普段はあんなにうるさい朝日どんや毎日どんは、ちっとも批判なさらない。
ぶちますよ
(あんまりフザけていると、誰かにぶたれそうでコワい)

 さてオスロであるが、8月16日の今井君は長旅の疲れもカンケーなく、到着したばかりのオスロ散策を続けた。オスロ大学から王宮、王宮から国立劇場と歩いて、イプセンどんのマコトにおっかない顔を眺めつつ、「ホントにこんな顔で『人形の家』を書いたんかいな」と、半信半疑な気分に浸っていた。

「人形の家」が発表されたのは1879年。イプセンには他に「ペールギュント」なんかもあるけれども、近代においてシェイクスピアに次ぐ上演回数を誇る大劇作家にのしあがったのは、ひとえに「人形の家」のおかげである。

 内田百閒が悲しいネコの物語「ノラや」を書いた時にも、その冒頭には「ノラは野良猫のノラであって、イプセン『人形の家』のノラとは何の関係もない」と、わざわざ断ったほどである。弁護士の夫を捨てて家出する主人公ノラのインパクトは、大正昭和の日本でもきわめて大きかった。

 日本では1911年、坪内逍遥の私邸で初演。主演、松井須磨子。おお、「私邸で上演」であるよ。坪内逍遥と言ふオカタの影響力の強さを如実に感じるじゃないか。2代目市川左団次も絡んで、新劇界と伝統芸能界の熱い交流にもつながった。
会場2
(オスロ市庁舎内、ノーベル平和賞授賞式会場 2)

 一般に「女性の自立」「女性解放運動」「フェミニズム」との関連で語られる作品であるが、その1つ1つの台詞の中に、むしろボヴァリー夫人との近親性を感じる。ゾッとするほど暗く濃厚で狡猾な台詞が随所に潜んでいる。むかし1度読んだオカタも、是非もう一度チャレンジしてみたまえ。

 日本でのインパクトがあんまり大きかったので、そのタイトルの歌謡曲もヒットした。おお、「歌謡曲」、そのコトバ自身がすでに死語と化して久しいが、1969年、弘田三枝子という人の「人形の家」は、今もなおググってみると、イプセンと並んで登場するほどの大ヒットだった。

 作詩・なかにし礼。作曲・川口真。読者の皆さまもぜひYouTubeでどうぞ。「ワタシは、アナタに、命をあずけたぁー」の絶唱は、一度聞いたらもう耳からも頭からも離れることがない。
この船
(この直後、ワタクシはこの船でオスロフィヨルドの探険に出る)

 そこで諸君、イプセンの銅像に敬礼し、オスロ市庁舎内でノーベル平和賞授賞式会場を眺めながらも、今井君の頭の中で渦巻くメロディーは、ひたすら「わたしはー、あなたにー、いのちをー、あずけたー」なのである。

 というか、実際に聞いてみれば分かることだが、弘田三枝子という人、いちいち「H」の音が歌詞に混ざる。「わたしはー」は「わHたHしHはHー」に、「いのちをーあずけたー」は「いHのちHをHー、あHずHけたH—」に聞こえる。

 だから、1500人収容の広大なノーベル平和賞授賞式会場から、一路オスロの港に向かい、さていよいよオスロ湾一周クルーズの船に乗り込んだ時も、今井君の脳裏を渦巻くメロディーは「わHたHしHはHー」であり、お船に向かって「いHのちHをーあHずHけたH—」と絶叫する気分であった。

 諸君、オスロ湾も実はレッキとしたフィヨルドであって、その名も恐るべし「オスロフィヨルド」。これから初のフィヨルド探険に出るのであるが、詳細はまた明日の記事で読んでくれたまえ。

1E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
2E(Cd) George Duke:COOL
3E(Cd) Menuhin:BRAHMS/SEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2
4E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
5E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH FANTASY
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