Fri 170908 オスロの静寂/模範生オスロ/豪放な教授がいい(晩夏フィヨルド紀行4) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 170908 オスロの静寂/模範生オスロ/豪放な教授がいい(晩夏フィヨルド紀行4)

 オスロは人口およそ60万、一国の首都としてはマコトに小規模な街である。ヘルシンキやコペンハーゲンもそうだが、北欧の首都はこんなふうにたいへんコンパクトに出来ている。郊外都市を合わせた商圏全体の人口も、150万人に満たない。

 だから、空港から高速鉄道で30分強、オスロ中央駅に到着しても、構内は驚くほどの静寂に包まれている。そう言えば、空港にも『喧噪』に該当するものは全くなかった。列車の中でも、コドモたちでさえオトナっぽく静まり返っていた。日本との違いをしみじみ実感するのであった。

 街の作りも、はなはだコンパクトである。中央駅から王宮まで、約1.5kmの真っ直ぐな道が貫いている。今回の短い旅で7連泊するホテルがその道のちょうど中間地点で、中央駅から徒歩10分強、ホテルから王宮までも、やっぱり徒歩10分強の道のりである。

 ホテルから向かって左斜め向かいに国会議事堂。右隣がオスロ大学。オスロ大学の裏が国立美術館、その中で例のムンク君が永遠の叫び声をあげている。真っ直ぐな道に平行して、環境に優しい路面電車がゆっくりと走る。

 オスロ大学から小さな公園をはさんで向かい側が、国立劇場。劇場の前にはイプセンの巨大な銅像が立って、マコトにおっかない表情で街を睥睨している。劇場の向こうにはオスロ港が広がっていて、要するにオスロの街は、以上のように簡単に要約されてしまうのである。
パレード1
(オスロに到着して5分、衛兵交代のパレードに遭遇する 1)

 何しろオリンピックでさえ「コンパクトな開催計画」がウリになる時代だ。このコンパクトな街づくりが、世界の模範になるのは間違いない。無駄な喧噪や混乱は一切ナシの、賢くスリムなオトナの街である。

 だから今井君は、北欧の旅は遠慮してきた。賢くスリムで無駄のない世界は、本来ダラしないワタクシとしては正直言って苦手なのである。そんなにギュッと厳しく模範的に生きなくてもいいじゃないか。

 日本のテレビや新聞の報道にとって、北欧はまさに理想の模範生であるらしくて、何かと言うと「あの国ではどうしてるんでしょう?」と夢見るような表情のキャスターが、北欧の政治経済の「仕組み」や「システム」を、微に入り細を穿って解説することになっている。

 福祉は徹底的&模範的に充実し、20世紀にはまだ残っていた貧富の差もすっかり解消され、人々は老若男女こぞって手をつなぎ、罵りあいも憎しみも一切なしに日々笑顔で過している(ことになっている)。

 2017年の早稲田法学部第1問にも、「フィンランドの刑務所はこんなにシアワセ」という長文が出た。アメリカの刑務所は徹底して不幸な構造で、未来の犯罪の温床にすらなっている。一方フィンランドでは、刑務所内で理想的な職業教育が行われ、再犯率は極めて低い。そういう文章を解説したばかりである。
パレード2
(オスロに到着して5分、衛兵交代のパレードに遭遇する 2)

 しかし諸君、今井君はどこまでもダラしないクマ助であって、そんなに理想的&理想的と模範生ぶりを喧伝されると、イマイチ魅力を感じない。

 そう言えば1970年代から80年代、同じような進歩派のマスコミの人々は、社会主義国の「仕組み」や「システム」について、今とそっくりの夢見るような表情で語っていなかっただろうか。

 ソ連の「コルホーズ」「ソフホーズ」。中国の「人民公社」。ボクらの世代は、それこそ人類の夢の実現であるような語り口で、社会科の先生やマルクス主義経済学の教授がうっとりと語り尽くす授業を受けてきた世代である。

 今井君は、もっとダラしない先生のほうが好きである。賢くて、控えめで、お酒なんか絶対に飲まず、宴会でも乾杯のグラスを掲げるだけでそそくさと家路に着く。暴飲暴食なんかもってのほか、謹厳実直でコンパクトな人生を邁進する。うーむ、そのタイプの教授のゼミには絶対に入らない。
花屋
(オスロ中央駅の花屋さん)

 理想の大学教授は、もっとずっと豪放磊落なタイプである。もちろん、講義やゼミや試験はいくら厳しくてもかまわない、というか、授業が生温い先生は大キライであって、居眠りする者、私語する者、理由なく遅刻する者、その類いは厳しく叱責して、教室から追い出してもらってかまわない。

 試験も同様であって、ここは意地でも謹厳実直、それがもし語学の教授なら、文法と語彙でグイグイ押しまくるような硬派の試験をビシビシ続けてもらいたい。「出来なくてもいいんだよ」みたいな生温いことは絶対に言ってほしくない。

 しかし諸君、いったん教室を離れたら、20歳を過ぎたばかりの学生たちを引き連れて、一緒になってイタズラしまくるようなタイプの教授がいいじゃないか。授業中のタテマエを否定し、ホンネをぶちまけつづけては、かえって学生たちに「こら!!」「こら!!」と嗜められたりする。

 暴飲暴食も、あえて否定しない。お酒は遠慮なしに飲んで高歌放吟、さっきまでの謹厳実直がウソのように融解&溶解する。マジメな学生たちはすっかり呆気にとられてしまう。

「ほら、君たちもどんどん飲みたまえ」
「遠慮するな。オレがいくらでもおごってやる」
「もう一軒、付き合いたまえ」
「何なら、ウチに泊まっていきたまえ」
そういうことを言っておきながら、翌朝にはそんな夜がなかったかのように、謹厳実直な授業を始めている。
パレード3
(オスロに到着して5分、衛兵交代のパレードに遭遇する 3)

 その類いのセンセが理想だとすれば、旅の目的地として今まで北欧を選ばなかったのもムベなるかな。マルセイユを代表格とし、リスボン、バルセロナ、アムステルダム、ブエノスアイレス、アテネ、マドリード、ナポリ。そういう街の方がワタクシにピッタリであるに決まっている。

 しかし、それでも今回の夏の旅に、オスロを選択した。
① どうしてもフィヨルドの絶景が見たい
② メディアが報じる理想の北欧とは違う、「そうでもありませんよ」というオチャメな北欧を発見したい
以上2点が、オスロを選んだ理由である。

 オスロ中央駅から、大きなスーツケースを引きずってホテルまで徒歩10分。夏の終わりの静かな街を歩いていく。駅前からすぐになだらかな坂道になり、右側にオスロ大聖堂の勇姿が眺められる。

 イタリアやスペインの街に到着した時と印象が違うのは、おそらく路上に張り出した飲食店が全く存在しないせいである。カフェもレストランも大人しく建物の中に引っ込んで、ずうずうしく路面にテーブルを並べたりしないのである。
ホテル
(グランドホテル・オスロ。ここに7連泊する)

 到着日の気温は20℃をちょっと超える程度。8月17日、午後1時でこんなに涼しいんだから、夕暮れから深夜&早朝にかけては、おそらく10℃そこそこまで冷え込むのである。人々はすでにコート姿。ダウンジャケットを羽織っている人も少なくない。

 坂道のテッペンで、左側から行進してくる衛兵のパレードに出会った。交差点で左に90°方向転換し、ここから王宮に向かって一気に坂道を降りていくのである。

 パレードの後ろからくっついていけば、2〜3分で「グランドホテル・オスロ」に到着する。ここはノーベル平和賞受賞者が必ず宿泊する老舗ホテル。バルコニーから沿道の人々に手を振る習わしになっているんだそうな。

 今井君はこのホテルに、今日から7連泊するのである。早速バルコニーに出てみると、おお、確かにここからヒトビトに手を振れば、ノーベル平和賞の栄誉をギュッと実感できそうな気がする。日本の誇る佐藤栄作どんも、今から約半世紀前、やっぱりここから手を振ったのだろうか。

1E(Cd) Jochum & Bavarian Radio:MOZART/THE CORONATION MASS
2E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN①
3E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN②
4E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
5E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
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