Tue 170829 メキシコ大震災/出発の日/テオティワカンへ(キューバ&メキシコ探険記53) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170829 メキシコ大震災/出発の日/テオティワカンへ(キューバ&メキシコ探険記53)

 震源が100kmも離れているから「メキシコシティ近郊」と表現するわけにはいかないが、M7.1、死者は今までに確認されただけで246人。重傷者は間違いなくたいへんな数になる。メキシコシティでも大きなビルが倒壊する様子が動画で伝えられ、現地は大混乱の様子である。

 今井がメキシコを離れたのは、4月24日深夜。あれからわずか5ヶ月しか経過していない。メキシコシティの中心部も、強烈な揺れに見舞われた。訪れたばかりの街の悲惨な大震災だから、ますます悲しさがつのる。

 メキシコ・オアハカでの大震災について、このブログで触れたのも、たった11日前のことである。同じメキシコでこんなに続けざまに大震災がやってくるとは、世界中の誰一人として予期しなかったことである。

 こんな悲惨な震災が連続しているのに、世界は人為的な憎悪の応酬に悩まされ、罵りあいがどこまでもエスカレートするばかり。震災への素早い対応を国連に期待するのは、お門違いなんだろうか。

 日本のマスメディアの反応については、ほとんど苦笑するばかりである。もちろん、さすがにNHKは別格。20日の正午/19時/21時、今井が目撃したニュース番組は、全てメキシコ中部地震をトップニュースとして報道していた。

 しかし民放のほうは、「いったいどうなってるんだ?」と首を傾げてしまう。午前11時半のフジテレビでは、メキシコ地震のニュースは4番目。その前の3番手は、何と「豊田真由子議員、活動を再開」だったのである。

「タクシーで国会前に姿を現しました」
「国会の入口で戸惑う姿も見られました」
「他の議員とコトバを交わす姿も見られました」
そんな報道が、この大災害より前にのしあがってくる。

 それこそ「地球の裏側」という扱いである。230人もの死者が出ても、「そんな地球の裏側のことなんか…」の扱いであって、視聴率を稼ぐにはやっぱりワイドショーネタ。「この、○ゲーっ」「ちがうだろーっ」が優先されてしまう。
18654 歯医者
(4月のメキシコシティ、北バスターミナル付近の風景。2階は歯医者さんだが、建物も町並みも地震に強そうには見えない。被害の拡大が心配だ)

 もちろんこの今井自身も「そんなこと書く資格があんのかよ?」と言われれば一言もない。大地震の十数時間後に更新したブログは、その5ヶ月前のメキシコシティで痛飲&爆食した話であった。

 もう少し慎重に書いた方がいいに決まっているのだが、何しろ最近の今井は記事の執筆を日付が変わる頃に終えてしまい、未来記事として投稿する習慣だ。時刻を例えば「19時半」と指定すれば、その時刻にアメーバが忠実にアップしてくれる。

 だから、昨日の記事を書いたのは19日23時半から20日0時半にかけて。まだメキシコの地震が発生する以前のことだった。

 1985年、もう40年以上も前の同じ9月19日にメキシコ大震災があって、死者はおよそ10000人に及んだが、まさか同じ9月19日にこんなことになるなんて、どれほど霊感が強い人だって、予知も予測もつくはずはないのである。

 慌てて「地震については、明日の記事で言及します」の一言を書き添えたが、ノーテンキな痛飲&爆食の文章に呆れた読者も多かったかもしれない。やっぱり一言、お詫びしたほうがいいだろう。
18655 軍隊
(4月24日朝。ポーランドの首脳を歓迎する式典と思われる)

 旅行記を書いている最中に、その街が大災害に見舞われるとは、誠に悲しい偶然である。今日はごく控えめに、いつものおふざけは出来るだけ差し控えながら、滞在最終日の行動を記録するにとどめたい。

 4月24日は、キューバ&メキシコの旅の最終日に当たっていた。4月11日、今にも雪に変わりそうな氷雨の新宿を出発してから、もう2週間が経過した。

 すっかり中米の雰囲気に慣れ、まずはギュッと真っ赤に日焼けして、やがて日焼けは赤から黒に変わった。頭と肩と背中の皮膚は、2週間のうちに2枚も3枚もモロモロ剥がれ落ちた。

 メキシコシティに到着する頃には、「剥げるものはみんな剥げた」という勢い。もう「故意に剥がなきゃ剥がれない」「これ以上調子に乗って剥ごうとすると、剥ぎ過ぎで血が滲む」というところまで来てしまった。

 こういう状況で、今日ヒコーキに乗って帰京するスケジュールなのに、気分はノリノリ、今が真っ盛り、「帰りたくない」「せっかく地下鉄にも慣れたのに」「帰るのは絶対イヤ」と、泣きたい気分で最終日の朝を迎えた。
18656 ミカサ
(ホテルのラウンジ風景。無料の朝食が旨かった)

 9時、ホテルの窓からは、軍隊の大行進が見える。この日は「メキシコ♡ポーランド友好の日」であって、ポーランドの首脳がメキシコシティを訪問中。いま眼下に見えているのは、その歓迎式典らしいのである。

 だからホテルの周辺は「どう見てもセキュリティ関係」と思われるコワモテの人々でいっぱい。重量感のある固そうな靴は、「靴そのものが武器」というレベルである。

 彼らのお顔も「顔そのものが武器」と思われるイカツイ顔であって、そういう顔 + 黒いサングラスで勢揃いされれば、悪漢はみんな飛んで逃げていきそうだ。

 宿泊客に対するセキュリティのチェックも厳重だ。モロッコのマラケシュでも、金属探知機をくぐらないとホテルの出入りが出来なかったが、この日のメキシコシティは警備がさらに厳重であって、「こりゃよほどのVIPがやってくるんだな」と、VUPイマイにも理解できるのだった。

 VUPとは、「Very Unimportant Person」の省略形。別に今井の発明ではなくて、映画のセリフなんかにもしょっちゅう登場する。「私自身が私に出会っても、それが私だとは気づかないでしょう」みたいなセリフとともに、自虐ネタとして使われるようである。
18657 ツカサ
(ラウンジには「ワタシのオウチは、アナタのオウチ」とあった)

 例えVUPでも、ホテルチェーン内部でのステータスさえ高ければ、VIPのラウンジを利用できるのが、21世紀のありがたいところ。滞在最終日ではあるが、まだチェックアウトしたわけではないのだから、ラウンジの無料ブレックファストをたっぷり腹に詰め込んでいくことにする。

 ハム類・ソーセージ類・チーズ類、ついでにタマゴなどのホットフードも充実。素晴らしいラウンジ朝食だった。特によかったのは、パパイヤにマンゴーにメロン、フルーツだけですっかり満腹してしまった。時計は午前9時。しかしこの段階で、今日の行動についてまだ心が決まらない。

① このまま部屋を16時まで占有できる。「レイトチェックアウト16時まで無料」という特典がワタクシにはある。ヒコーキは超深夜&超早朝 ☞ 午前2時発、東京まで14時間の長旅。部屋でゆっくり身体を休めるのが、賢い選択なんじゃないか。

② しかしせっかくのメキシコだ。最後の最後までバリバリ行動した方がいいに決まっている。テオティワカンの遺跡まで、往復3時間のバス旅になるけれども、チェックアウト後にホテルに荷物を預け、思い切って日帰りの旅を敢行しちゃおう。
18658 お部屋
(たった3泊だったが、素晴らしいお部屋であった)

 結論を出したのは、11時ごろである。選んだ選択肢は、②。ホテルはポーランドの超要人が滞在していらっしゃるのか、いろいろ煩わしく、かつ騒がしくなりそうだ。どうせ落ち着かないなら、昼過ぎのバスに乗ってテオティワカン往復をやろうじゃないか。

 遺跡を3時間ウロウロするとしても、午後7時か8時にはホテルに戻ってこられる計算だ。その後どこかで晩飯を貪り、空港には午後10時ぐらいに到着すればいいだろう。

 禅は急げ。すぐにチェックアウトを済ませ、スーツケースと例の黒カバンをフロントに預けて、手ぶらで颯爽と地下鉄に乗り込んだのである。

1E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
2E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
3E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE①
6D(DOp) Plácido Domingo, Gershon & Los Angeles Opera Orchestra:PUCCINI:GIANNI SCHICCHI
total m154 y1640 d21589