Mon 170821 サッカー観戦歴/胡散臭い/胡座のこと(キューバ&メキシコ探険記48) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 170821 サッカー観戦歴/胡散臭い/胡座のこと(キューバ&メキシコ探険記48)

 懐かしい聖火台のあるオリンピックのメインスタジアムではあるが(スミマセン、一昨日の続きです)、1968年の日本サッカーがメキシコを0封、釜本邦茂の2ゴールで銅メダル獲得を決めたのは、残念ながらここではなくて「アステカスタジアム」。正式名称「Estadio Azteca」である。

 アステカスタジアムは、メキシコ開催のワールドカップ(70年・86年)でもメイン会場。マラドーナの「神の手」とか「5人抜きドリブル」でもウルトラ有名だ。

 しかしいま目の前にある「Estadio Olímpico Universitario」もまた、様々の名勝負で有名。ワタクシが訪れた4月23日も、スタジアムは午後2時からのサッカーに大観衆が詰めかけていた。かく言う今井君も、たくさんのダフ屋さんに声をかけられた。

 声をかけてくれたのがもしダフ屋じゃなくて、正規のチケット業者さんだったら、このワタクシもサッカー大好き人間の1人だ。メキシコの人々とともに、熱いサッカー観戦の午後を過したかもしれない。
地下鉄1
(メキシコシティ地下鉄。予想より遥かに清潔&快適である)

 諸君、ワタクシのサッカー観戦歴は凄まじい。ネルソン吉村やジョージ小林のプレーをナマで見た人には、なかなかお目にかかれないはずだ。1984年1月、今はなき国立競技場で、帝京 vs 島原商(長崎)の高校サッカー決勝戦も観戦していた。

 当時の帝京高には、名選手・鋤柄(すきがら)昌宏もいた。Jリーグが発足する以前のことで、鋤柄は筑波大から読売クラブに進んだ。Jリーグが出来てからは、ヴェルディ ☞ 浦和レッズで活躍した。

 島原商の監督は、もちろん小嶺忠敏サン。長崎県の国見高校をスーパー強豪に育てた例の小嶺サンであるが、1984年の決勝は0-0の引き分け、両校優勝という結果になった。

 どんどん話題がそれていくが、高校サッカーと言ふもの、戦前の歴代優勝校を見ていくと、いやはや、昔は関西勢の独壇場だったのである。第1回大会から20回大会まで、優勝はほぼ兵庫県の独占。御影師範と神戸一中の2強時代が続いて、他県が入り込む余地はほとんどなかった。

 戦後はしばらく「文武両道」な時代が続いた。優勝校には浦和高・宇都宮高・広島修道高が名を連ね、準優勝にも広島大付・日立第一・小田原が続く。サッカーもラグビーも、1970年代まではずっとそんな状況だったのである。
切符売場
(地下鉄のキップ売り場。まとめ買いも可能。売り場のオネーサンが不機嫌でも、別にビビる必要はない)

 そういうふうで、メキシコのオジサンが「チケットかい?」と声をかけてきた時には、欲望がピクリと動いたのである。ただし「非正規のチケット購入はNG」という模範的道徳心がキチンとブレーキをかけてくれて、気がつけば今井君は地下鉄の中にいた。

 メキシコシティも滞在3日目になれば、「危険です」「危険です」「アブナイよ」という臆病な気持ちもすっかり影をひそめて、知らない裏町を平気で闊歩し、薄暗い地下鉄にもフツーに乗り込んで、「地元の人から見たらオレが最も危険な人物かも」とニタニタしていた。

 だって諸君、肉体的に見れば、このワタクシが一番デカいのである。身長172cmは、21世紀の日本人男性の平均より少し低い程度。しかしメキシコシティの地下鉄車内では、今井君よりデカい人物はほとんど見かけない。視界はマコトによくひらけ、すっかり「お山の大将」気分である。

 乗り込んだのは、3号線Copilco駅。始発の「Universidad」からでもよかったが、大学医学部の建物があんまり立派なのに感激しているうちに、いつのまにかCopilcoまで来てしまっていた。

 メキシコ国立自治大学でも、理学部や工学部に比較して、医学部は圧倒的に優遇されているようである。他学部は「おやおや」「ずいぶん控えめですな」という古色蒼然とした建物でガマンしているのに、医学部の威風堂々ぶりは群を抜く。

 医学部から細い道を1つ隔てたところに「歯学部」があったが、うにゃにゃ、「これって同じ大学のキャンパスですか?」と首をかしげたくなるような、ホンマにホンマに控えめな建物。これじゃ諸君、「1年ずっと徹夜に耐えて猛勉強、意地でも医学部に行かなきゃ」という気持ちになりますな。
1回券
(地下鉄チケット1回券)

 さて、「コワいよ」「コワいよ」と毛嫌いしていた地下鉄であるが、実際に乗車してみると「平気の平左」というか何と言うか、まさにワタクシが最も得意とする世界なのであった。

 Copilcoから13駅だか14駅だか、かなり長時間の乗車であったけれども、車内ではやっぱり今井君が最も胡散臭がられている様子。あんまり余裕のヨッチャンなので、「胡散臭い」というコトバの「胡散」って何なのか、語源に関心を持ち始めるぐらいであった。

 もちろん「胡散」の「胡」は昔の中国にとっての西方民族、「散」は「龍角散」の「散」であって「粉グスリ」の意味。すると誰でも「古代ペルシャ方面から渡来した粉グスリのニオイ」なんじゃないかと勘ぐりたくなるところである。

 だって諸君、「胡」のつく熟語を並べてみれば、胡弓(こきゅう)胡瓜(きゅうり)胡桃(くるみ)胡椒(こしょう)胡麻(ごま)胡蝶(こちょう)、みんなみーんなシルクロードの遥か西のほうから、ラクダの背中に乗って運ばれてきた感じがするじゃないか。

 ならば「胡散」もきっとラクダの2つのコブに挟まれて、ゴビ砂漠やらタクラマカン砂漠の端っこをユラユラ&ユーラユラ、金の鞍には王子様、銀の鞍には王女様、月の砂漠をはるばると、胡散臭い商人たちに運ばれて、東の果てまでやってきたに違いない。
地下鉄2
(現実の地下鉄。やっぱり薄暗い)

 ところが諸君、ここで気がつかなきゃいけないのは、他の熟語の「胡」はみんな「K」ないし「G」と発音されているのに、「胡散」だけは発音が「U」であるという点。語源が全く違う可能性が高いのである。

「あれれ、じゃ『胡座』は? 発音は『アグラ』じゃありませんか」であるが、もうその辺になると今井君自身メンドーである。大学院での研究テーマとしてくれたまえ。

 ただし最近の家具の中に、胡座のかける安楽椅子 ☞「あぐら椅子」と言ふものがあり、それをヒントにして考えると、昔の日本におけるアグラとは座椅子のこと、「胡座の姿勢で座れる座椅子」ではなかったかと思いつく。

 元来「胡座」は「こざ」と発音され、足の裏を他者に見せるのを失礼と考えるアラビアの人の座り方。これを長時間可能にする椅子が「あぐら」。例えば「安鞍」「安蔵」みたいな漢字を考えれば、そんな可能性も浮かび上がってくる気がする。
地下鉄3
(夕暮れの地下鉄は大混雑)

 もちろん、そんなことはこの際どうだっていいのであって、そういえば6〜7年前の日本に「安愚楽牧場」と言ふ会社が存在し、その「和牛商法」の被害者が多数いらっしゃったことも思い出す。テレビの画面で、怪しい黒いウシたちがニヤニヤしてたじゃないか。

 その「あぐら牧場」の会社名も、明治の作家・仮名垣魯文の小説「安愚楽鍋」がモトになっている。当時はスキヤキを牛鍋と呼び、みんなでアグラをかいて鍋を囲むスタイルから「あぐら鍋」と呼ばれた。おお、無限ループよろしく、話題はやっぱり胡座に戻ってきたのである。

 ただし諸君、おかげさまでメキシコシティの地下鉄のほうは無限ループではない。13駅目「Hidalgo」で3号線を下車、2号線に乗り換えれば、3つ目の駅が「Zocalo」。昨日と同じメトロポリタン大聖堂前に到着した。
売店
(地下鉄駅ホームの売店。甘い物が「これでもか」と並んでいる)

 それにしても、地下鉄の「女性専用車」が強烈だ。頑丈な柵ををズラリと並べ、男子の侵入を激しくブロックしている。知らずに柵の内側に入り込みそうになると、男女の警察官に厳重に叱られる。まるで極悪人のような扱いであるが、ま、こんなに厳しい目が行き届いていれば、観光客としては安心だ。

 ついでに、駅の売店にも目を見張る。多種多様なジュース、多種多様なキャンディー、ありとあらゆるスナック菓子。こんなにズラリと並べられたんじゃ。メキシコシティにふくよかな人々が目立つのもムベなるかな。余計な世話もいいところだろうが、もう少し控えめであってもいいような気がする。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN①
2E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN②
3E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN③
4E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN⑤
5E(Cd) Luther Vandross:ANY LOVE
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