Sat 170819 大学が大好きだ/メキシコ国立自治大学へ(キューバ&メキシコ探険記47)
この15年、世界中のいろんな大学を訪ねた。あくまで暢気な観光の一環であって、別に「授業を受けた」「ゼミに参加した」「学生たちと交流した」みたいな難しい話ではないのだが、要するにワタクシは大学構内の雰囲気が好きなのである。
というか、もっと正確に言えば、憧れるのである。優秀な学生諸君がパワフルに本をワシワシ読みまくり、レポートも論文もワシワシ書きまくって、尊敬する教授連に叱られ、鍛えられ、ずんずん育っていくアリサマは、中年オジサンから見てもマコトに小気味のいい眺めである。
おおむかしの日本の大学は、ごく一部のスーパー優秀な大学を除けば、そんな感じではなかった。「モラトリアム」というコトバが流行して、高校を卒業してから社会に出るまでの4年を、お気楽&極楽に面白おかしく過ごす場所。盛り場の延長みたいな大学も少なくなかった。
しかし諸君、それは昭和終盤の日本だけの特殊な現象だったのであって、世界中の名門大学を覗いてみた感じでは、スタンフォードもイェールも、コロンビアもバークレーも、若き日の今井君が憧れた通りの場所のようである。
![大学1](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/09/06/j/o0400030014024873939.jpg?caw=800)
(メキシコ国立自治大学。図書館4面を飾る巨大壁画が有名 1)
きっかけは、2005年2月10日に訪れたベルリンのフンボルト大学だった。その2日前の2月8日、8年にわたって夢中で仕事に励んだ予備校での最終講義を終えた。東進に電撃移籍したわけであるが、本格的に東進で仕事を始める前に、それこそ1ヶ月のモラトリアム期間をいただき、40日間ヨーロッパをうろついた。
2月9日にベルリン入り。ミュンヘン ☞ ウィーン ☞ ヴェネツィア ☞ フィレンツェ ☞ ローマ ☞ ジェノバ ☞ マルセイユと回り、締めくくりのパリに10日間滞在して、3月20日に帰国した。旅の詳細は、旅行記「ヨーロッパ40日の旅」を読んでいただくしかない。
移籍があまりに電撃的だったので、それまで生意気にも「四天王」の一角として仕事をしていた予備校と、若干の軋轢というか摩擦というか、面白くない話もいろいろあって、お互いにスッキリしない終わり方になってしまった。
どんな世界でも、「電撃移籍」「ハードランディング」なんてのは、出来るかぎり避けた方がいいのだ。2月8日が最終講義、2月9日がベルリンへの出発。その辺の電撃ぶりも、不愉快に思ったヒトがいたかもしれない。申し訳ないことをした。
だからワタクシの方でも、コペンハーゲン経由でベルリンに入った夜、まだクサクサしていたと言うか不機嫌と言うか、要するにムカついていて、しかもマコトに寂しかった。
だからベルリンも、さっぱり楽しくなかった。2005年のベルリンは、まだ「ベルリンの壁」が街の方々に残り、東西ドイツの対立の影やら、旧東ベルリン地区の荒涼とした風景やら、寒々とした瓦礫の山の上に2月の氷雨が降り注いでいた。
「こりゃとても救われないな」という気分の中、ブランデンブルグ門からウンターデンリンデンを真っ直ぐ、傘もささずに東に進んだ。しばらく歩くうち、進行左側に名門「フンボルト大学」を発見した。
別に観光名所であるわけではない。しかし雨の日の大学というのは、思わず誘われるホッとした雰囲気があるものである。若者たちが、ワシワシ読書に励み、ワシワシ論文を書いているだろう。学生の書いたレポートを読みながら、教授連がニヤニヤ面白そうに微笑んでいるだろう。
![大学2](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/42/5d/j/o0400030014024873941.jpg?caw=800)
(メキシコ国立自治大学。図書館4面を飾る巨大壁画が有名 2)
世界中どこの街でも大学を見学するようになったのは、あの2月10日がキッカケである。ソルボンヌもオックスフォードもシカゴ大学も、マコトにいい雰囲気だった。
イスタンブール大学や、マドリード北郊・サラマンカ大学もよかった。ダブリンのトリニティ・カレッジにも、「ずっとここに座っていたい」と思うような素晴らしい図書館があった。
ボストンの旅は、ボストンマラソンのテロ事件直後だったが、ハーバードもMITもシーンと深く静まり返って、「おお、みんな勉強しているな」「大昔の日本の盛り場みたいな大学とは別格なんだな」と、思わずコブシを握りしめる思いだった。
しかし何と言っても、ワタクシが好きなのはケンブリッジ大学である。もしいつか夢が叶うなら、今井君はケンブリッジで生活したい。
もちろんもうこんな中年だ、今さら「ケンブリッジで学びたい♡」というのではない。ケンブリッジ大学のそばの横丁で、小さなパブのオヤジになりたいだけである。
そのぐらいの大学好きだから、メキシコシティ滞在の3日目、4月23日のワタクシは、朝からタクシーで「メキシコ国立自治大学」に向かった。
「おお、タクシーですか」「大名旅行ですな」と皮肉を言うヒトもいるだろうが、地下鉄とバスを乗り継いでエンヤコラ、そういう無理をすれば、片道2時間近くかかってしまいそうだ。
ホテル専属の安心な高級タクシーに乗り込めば、ビューンと40分、安全に目的地に連れていってくれる。「大学までいくらかかりますか?」の問いに「200 Pesos!!」とニッコリしてもらえば、1ペソ=6円で計算しても、たった1200円の計算だ。
![軽食](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/8e/a3/j/o0400030014024873944.jpg?caw=800)
正式名称は、Universidad Nacional Autonoma de Mexico。1行に収まりきらないほど長い名前だから、メキシコの人々はその頭文字をつなげて「UNAM」と呼ぶらしい。「ウナムまで、いくらですか?」と尋ねるわけである。
その歴史はマコトに古く、1551年9月21日に王立メキシコ大学として創立。「Real y Pontificia Universidad de México」である。うひゃ、そりゃまた長い名前であり、そりゃまた長い歴史である。種子島に鉄砲がやってきて、ザビエルどんがキリスト教を伝えはじめた時代じゃないか。
構内があんまり広いので、もはや単なる大学の感じではない。タクシーの運転手さんも、ワタクシの目指す大学図書館がどこにあるか分からず、いろんな大学関係者に道を尋ねながら、グルッと大学を一周することになってしまった。
その時、「ボられたんじゃないの?」「料金をゴマかされたんじゃないの?」と疑心暗鬼になる必要はなくて、ホテルを出発する段階で「200 Pesos」と決めたんだから、ゴマかすも何も、全くゴマかしようはないのである。
その広大さに呆れた人々は「Ciudad Universitaria」とさえ呼ぶのである。「大学都市」であって、どんどん短縮が進んだあげく、またまた頭文字を繋いで「CU」ということになった。これ以上の短縮は困難である。
![大学3](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/58/f6/j/o0400030014024873945.jpg?caw=800)
(大学本館、シケイロスの立体壁画も有名だ)
そもそも「入り口」「エントランス」「門」というものがない。誰でも自由に出入りできる。それじゃ治安の問題が発生するだろうと思うのだが、警察は大学当局の要請なしには構内に立ち入らない。あくまで大学の自治を優先するのである。
「それで犯罪は起こらないの?」の問題であるが、「少なくともメキシコシティよりは安全」ということになっている。学生や職員が立ち去った後の深夜&早朝の時間帯はそりゃ危険だが、そんなの入り込んでいるヒトの方が悪い。
今井君がUNAMのCUに入り込んだのは、日曜日の午前10時ごろだから、安全&安心もいいところ。日曜日の東大や京大や早稲田に慶応、どこと比較したって、UNAMはずっとのんびり落ち着いた雰囲気だ。
何しろ諸君、ここは2007年に「ユネスコの世界遺産」に登録されちゃった。市民の憩いの場であって、イヌを連れた人々が集まり、大型犬と友達のようにジャレあいながら、日曜の午前を満喫していらっしゃる。
![アステカスタジアム](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/26/6b/j/o0400030014024873953.jpg?caw=800)
何と言っても有名なのは、巨大な図書館の4面に描かれたオゴルマン(Juan O'Gorman)によるモザイク壁画である。世界最大なんだそうな。「地球の歩き方17/18」では「オゴルマン」が「オルゴマン」となっているが、まあ誤植だろう。訂正しておいた方がいい。
壁画のモチーフは、
① アステカ文明
② スペイン植民地時代の圧政
③ 太陽と月、科学と宇宙
④ 大学のメキシコにおける役割
の4つ。ここでもやぱり過去のスペインの行為がビシッとたしなめられている。
さらに大学本館には、シケイロス(David Alfaro Siqueiros)の立体壁画がある。「民衆から大学へ、大学から民衆へ」というタイトルの力作であるが、残念ながらこちらはちょうど左半分が改修中であった。
大学に隣接して、1968年メキシコオリンピックのメイン会場にもなったスタジアムがある。「Estadio Olímpico Universitario」が正式名称。こちらにはメキシコの誇るディエゴ・リベラの壁画があって、なるほど「ユネスコ世界遺産になるのもムベなるかな」である。
さすが名門であって、一般教養や文化面も充実。演劇センターや映画館もいくつか構内に存在するらしい。古典演劇でも現代演劇でも上演できる大劇場(Teatro Juan Ruiz de Alarcon)もあるんだそうな。日曜日の構内で、学生たちが真剣にダンスの練習に励む姿が印象的であった。
1E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN③
2E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN④
3E(Cd) Sheila E.:SEX CYMBAL
4E(Cd) Sheila E.:SHEILA E.
5E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
total m103 y1589 d21538
というか、もっと正確に言えば、憧れるのである。優秀な学生諸君がパワフルに本をワシワシ読みまくり、レポートも論文もワシワシ書きまくって、尊敬する教授連に叱られ、鍛えられ、ずんずん育っていくアリサマは、中年オジサンから見てもマコトに小気味のいい眺めである。
おおむかしの日本の大学は、ごく一部のスーパー優秀な大学を除けば、そんな感じではなかった。「モラトリアム」というコトバが流行して、高校を卒業してから社会に出るまでの4年を、お気楽&極楽に面白おかしく過ごす場所。盛り場の延長みたいな大学も少なくなかった。
しかし諸君、それは昭和終盤の日本だけの特殊な現象だったのであって、世界中の名門大学を覗いてみた感じでは、スタンフォードもイェールも、コロンビアもバークレーも、若き日の今井君が憧れた通りの場所のようである。
![大学1](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/09/06/j/o0400030014024873939.jpg?caw=800)
(メキシコ国立自治大学。図書館4面を飾る巨大壁画が有名 1)
きっかけは、2005年2月10日に訪れたベルリンのフンボルト大学だった。その2日前の2月8日、8年にわたって夢中で仕事に励んだ予備校での最終講義を終えた。東進に電撃移籍したわけであるが、本格的に東進で仕事を始める前に、それこそ1ヶ月のモラトリアム期間をいただき、40日間ヨーロッパをうろついた。
2月9日にベルリン入り。ミュンヘン ☞ ウィーン ☞ ヴェネツィア ☞ フィレンツェ ☞ ローマ ☞ ジェノバ ☞ マルセイユと回り、締めくくりのパリに10日間滞在して、3月20日に帰国した。旅の詳細は、旅行記「ヨーロッパ40日の旅」を読んでいただくしかない。
移籍があまりに電撃的だったので、それまで生意気にも「四天王」の一角として仕事をしていた予備校と、若干の軋轢というか摩擦というか、面白くない話もいろいろあって、お互いにスッキリしない終わり方になってしまった。
どんな世界でも、「電撃移籍」「ハードランディング」なんてのは、出来るかぎり避けた方がいいのだ。2月8日が最終講義、2月9日がベルリンへの出発。その辺の電撃ぶりも、不愉快に思ったヒトがいたかもしれない。申し訳ないことをした。
だからワタクシの方でも、コペンハーゲン経由でベルリンに入った夜、まだクサクサしていたと言うか不機嫌と言うか、要するにムカついていて、しかもマコトに寂しかった。
だからベルリンも、さっぱり楽しくなかった。2005年のベルリンは、まだ「ベルリンの壁」が街の方々に残り、東西ドイツの対立の影やら、旧東ベルリン地区の荒涼とした風景やら、寒々とした瓦礫の山の上に2月の氷雨が降り注いでいた。
「こりゃとても救われないな」という気分の中、ブランデンブルグ門からウンターデンリンデンを真っ直ぐ、傘もささずに東に進んだ。しばらく歩くうち、進行左側に名門「フンボルト大学」を発見した。
別に観光名所であるわけではない。しかし雨の日の大学というのは、思わず誘われるホッとした雰囲気があるものである。若者たちが、ワシワシ読書に励み、ワシワシ論文を書いているだろう。学生の書いたレポートを読みながら、教授連がニヤニヤ面白そうに微笑んでいるだろう。
![大学2](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/42/5d/j/o0400030014024873941.jpg?caw=800)
(メキシコ国立自治大学。図書館4面を飾る巨大壁画が有名 2)
世界中どこの街でも大学を見学するようになったのは、あの2月10日がキッカケである。ソルボンヌもオックスフォードもシカゴ大学も、マコトにいい雰囲気だった。
イスタンブール大学や、マドリード北郊・サラマンカ大学もよかった。ダブリンのトリニティ・カレッジにも、「ずっとここに座っていたい」と思うような素晴らしい図書館があった。
ボストンの旅は、ボストンマラソンのテロ事件直後だったが、ハーバードもMITもシーンと深く静まり返って、「おお、みんな勉強しているな」「大昔の日本の盛り場みたいな大学とは別格なんだな」と、思わずコブシを握りしめる思いだった。
しかし何と言っても、ワタクシが好きなのはケンブリッジ大学である。もしいつか夢が叶うなら、今井君はケンブリッジで生活したい。
もちろんもうこんな中年だ、今さら「ケンブリッジで学びたい♡」というのではない。ケンブリッジ大学のそばの横丁で、小さなパブのオヤジになりたいだけである。
そのぐらいの大学好きだから、メキシコシティ滞在の3日目、4月23日のワタクシは、朝からタクシーで「メキシコ国立自治大学」に向かった。
「おお、タクシーですか」「大名旅行ですな」と皮肉を言うヒトもいるだろうが、地下鉄とバスを乗り継いでエンヤコラ、そういう無理をすれば、片道2時間近くかかってしまいそうだ。
ホテル専属の安心な高級タクシーに乗り込めば、ビューンと40分、安全に目的地に連れていってくれる。「大学までいくらかかりますか?」の問いに「200 Pesos!!」とニッコリしてもらえば、1ペソ=6円で計算しても、たった1200円の計算だ。
![軽食](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/8e/a3/j/o0400030014024873944.jpg?caw=800)
(大学構内には、タコスのワゴンも出張してくる。学生たちよりむしろ、遊びにきたメキシコのオトナたちが嬉しそうにかぶりついていた)
正式名称は、Universidad Nacional Autonoma de Mexico。1行に収まりきらないほど長い名前だから、メキシコの人々はその頭文字をつなげて「UNAM」と呼ぶらしい。「ウナムまで、いくらですか?」と尋ねるわけである。
その歴史はマコトに古く、1551年9月21日に王立メキシコ大学として創立。「Real y Pontificia Universidad de México」である。うひゃ、そりゃまた長い名前であり、そりゃまた長い歴史である。種子島に鉄砲がやってきて、ザビエルどんがキリスト教を伝えはじめた時代じゃないか。
構内があんまり広いので、もはや単なる大学の感じではない。タクシーの運転手さんも、ワタクシの目指す大学図書館がどこにあるか分からず、いろんな大学関係者に道を尋ねながら、グルッと大学を一周することになってしまった。
その時、「ボられたんじゃないの?」「料金をゴマかされたんじゃないの?」と疑心暗鬼になる必要はなくて、ホテルを出発する段階で「200 Pesos」と決めたんだから、ゴマかすも何も、全くゴマかしようはないのである。
その広大さに呆れた人々は「Ciudad Universitaria」とさえ呼ぶのである。「大学都市」であって、どんどん短縮が進んだあげく、またまた頭文字を繋いで「CU」ということになった。これ以上の短縮は困難である。
![大学3](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/58/f6/j/o0400030014024873945.jpg?caw=800)
(大学本館、シケイロスの立体壁画も有名だ)
そもそも「入り口」「エントランス」「門」というものがない。誰でも自由に出入りできる。それじゃ治安の問題が発生するだろうと思うのだが、警察は大学当局の要請なしには構内に立ち入らない。あくまで大学の自治を優先するのである。
「それで犯罪は起こらないの?」の問題であるが、「少なくともメキシコシティよりは安全」ということになっている。学生や職員が立ち去った後の深夜&早朝の時間帯はそりゃ危険だが、そんなの入り込んでいるヒトの方が悪い。
今井君がUNAMのCUに入り込んだのは、日曜日の午前10時ごろだから、安全&安心もいいところ。日曜日の東大や京大や早稲田に慶応、どこと比較したって、UNAMはずっとのんびり落ち着いた雰囲気だ。
何しろ諸君、ここは2007年に「ユネスコの世界遺産」に登録されちゃった。市民の憩いの場であって、イヌを連れた人々が集まり、大型犬と友達のようにジャレあいながら、日曜の午前を満喫していらっしゃる。
![アステカスタジアム](https://stat.ameba.jp/user_images/20170911/10/imai-hiroshi/26/6b/j/o0400030014024873953.jpg?caw=800)
(隣接したスタジアムは、1968年オリンピックのメイン会場だった。「おお、あの時の聖火台だ」と絶叫してしまった)
何と言っても有名なのは、巨大な図書館の4面に描かれたオゴルマン(Juan O'Gorman)によるモザイク壁画である。世界最大なんだそうな。「地球の歩き方17/18」では「オゴルマン」が「オルゴマン」となっているが、まあ誤植だろう。訂正しておいた方がいい。
壁画のモチーフは、
① アステカ文明
② スペイン植民地時代の圧政
③ 太陽と月、科学と宇宙
④ 大学のメキシコにおける役割
の4つ。ここでもやぱり過去のスペインの行為がビシッとたしなめられている。
さらに大学本館には、シケイロス(David Alfaro Siqueiros)の立体壁画がある。「民衆から大学へ、大学から民衆へ」というタイトルの力作であるが、残念ながらこちらはちょうど左半分が改修中であった。
大学に隣接して、1968年メキシコオリンピックのメイン会場にもなったスタジアムがある。「Estadio Olímpico Universitario」が正式名称。こちらにはメキシコの誇るディエゴ・リベラの壁画があって、なるほど「ユネスコ世界遺産になるのもムベなるかな」である。
さすが名門であって、一般教養や文化面も充実。演劇センターや映画館もいくつか構内に存在するらしい。古典演劇でも現代演劇でも上演できる大劇場(Teatro Juan Ruiz de Alarcon)もあるんだそうな。日曜日の構内で、学生たちが真剣にダンスの練習に励む姿が印象的であった。
1E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN③
2E(Cd) Böhm & Berlin:MOZART 46 SYMPHONIEN④
3E(Cd) Sheila E.:SEX CYMBAL
4E(Cd) Sheila E.:SHEILA E.
5E(Cd) Alban Berg:BRAHMS/KLARINETTENQUINTETT & STREICHQUINTETT
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