Tue 170815 薄紫のお花見/標高が高い/空気が薄い(キューバ&メキシコ探険記43) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170815 薄紫のお花見/標高が高い/空気が薄い(キューバ&メキシコ探険記43)

 旅の最終盤、たった3泊ではあってもせっかくメキシコシティに立ち寄るんだから、怠け者のワタクシも事前にいろいろ調べておいた。どんな資料を眺めても、そこで強調されているのは以下の4点である。

① 大気汚染が強烈である。夕方のスモッグが激しい
② 標高が高い。空気が薄いので、高山病に似た症状が出る
③ 気温差が大きい。4月の最高気温27℃、最低気温9℃
④ 凶悪犯罪発生率がきわめて高い。深夜早朝の外出は厳禁

 ま、そのうち④については、昨日のタクシー強盗の記事でずいぶん書いたから、もういいことにしよう。「コワい&コワい』とそればかり言っていたら、旅に来た意味はない。

 それより何より、調べた資料に全く出てこなかった嬉しい出会いが、今日の写真の1枚目、「薄紫のお花見」であった。まるで日本の桜のように枝を広げ、街中あらゆる所で美しい薄紫の花が満開になっていた。

 この花、スペイン語圏では「ハカランダ」と呼ぶんだそうな。日本名「ジャカランダ」。へえ、小学生の頃から「植物の図鑑」をめくるのが大好きだったワタクシであるが、そんな日本名の存在も全く知らなかった。

 花の命が長いのが特徴。2月からポツポツ咲き出して、3月下旬から4月にかけて満開になり、4月いっぱい楽しめるんだという。日本のピンクのお花見が、メキシコでは薄紫に色を替えて、2ヶ月近くも楽しめる。

 日本では、花の命が短いのをヤセ我慢して尊ぶけれども、花の命がそんなに長いだなんて、いろいろマイナス面ばかり言われるメキシコも、そんなに捨てたもんじゃないじゃないか。

 何と諸君、ハカランダは「世界3大花木」の一角をなしている。残り2つは「鳳凰木」「火焔木」と言うんだから、よくわからん花木が並ぶけれども、アルゼンチンやブラジルでも見られ、ギターの素材としても有名。アルゼンチンタンゴ用のギター素材は、ハカランダなのかもしれない。
紫の桜
(ハカランダの花が満開。メキシコで薄紫のお花見ができた)

 さて、①のスモッグであるが、2016年には14年ぶりの「大気汚染警報」が発令されるほどに激しくなっている。クルマの規制・工場のガス排出規制・コドモたちの外出規制など、深刻な事態になっているらしい。

 メキシコシティ到着の当日は、確かに激しかった。空港からホテルまで、大渋滞の高速道路を走っている最中にもそれを感じたし、ホテル高層階の窓から街を一望すると、濃厚な茶褐色の靄が上空を覆って、夕焼けもマコトに不健康な色に見えた。

 しかし激しいスモッグを感じたのは、それが最後である。翌日も翌々日も空はキレイに青く澄んで、「何だ、大気汚染はそんなに深刻じゃないじゃないか」と胸を撫でおろした。

 今井君は昭和人間であるから、昭和日本の大気汚染を記憶している。工場からはモクモク無遠慮に黒煙が立ちのぼって、何しろ我が出身地は「秋田湾地区♡新産業都市」という昭和なシロモノのど真ん中。近くには石油精製工場に石油化学工場、火力発電所に製紙工場まで林立して、常に空気はモーモーと濁っていた。
電線1
(メキシコシティの空は、大量の電線で覆われている 1)

 しかし4月22日、昔の秋田の空をイメージしてベッドから出てみると、何だ、メキシコシティの空はスッキリ深く透き通ったブルーであって、大気汚染の片鱗も感じない。

 もしやと思ってカレンダーを見ると、22日が土曜日、23日が日曜日。2日続けてブルーの空に恵まれたのは、どうやら週末のおかげだったようである。ラウンジに出かけて、気持ちよく朝食を貪ることにした。

 メキシコのホテルでも、無料の朝食をたらふく胃袋に送り込むことができて、イヤしい今井君はここでもまたフルーツ三昧を続けることにした。マンゴー・パパイヤ・メロンの3種を大きなお皿にメガ盛りにして、ビュッフェとテーブルを何度でも往復した。

 何と言ってもマンゴーが旨い。カンクンでもハバナでも旨かったが、メキシコシティのマンゴーはとりわけ旨い。「こりゃたまらん」と呻きたくなるぐらい旨いのである。

 ただし、食べたものは胃袋と腸がチャンと吸収してくれるが、吸収しきれなかった部分が、やがて出口を求めて殺到する。フルーツの場合、その「殺到」の仕方が他の食べ物より強めなので、ま、午後から夕暮れにかけて、それなりに厳しい思いをすることにもなった。
電線2
(メキシコシティの空は、大量の電線で覆われている 2)

 冒頭に箇条書きにした②であるが、確かにメキシコシティの標高は2250メートルである。2250メートルとは、山形蔵王の山頂より400メートルも高い。羊蹄山や谷川岳や石鎚山より高い。鳥海山の山頂とほぼ拮抗する高さであって、富士山5合目とだいたい同じ標高である。

 初めて給料をもらった頃、若き今井君は伊豆箱根富士の小旅行に両親を誘った。そんな高額の給料ではなかったが、箱根小涌園に宿泊し、伊豆と箱根を回り、富士山5合目まで登った。懐かしい思ひ出であるが、今メキシコシティに滞在してみるに、あの標高と同じ地点にいるのである。

 朝食後、ホテルを出て国立劇場前のバスの発着点まで歩いたのだが、ホンのわずかな距離にも関わらず、呼吸が少し苦しいのを感じる。息をいくら頑張って吸い込んでも、肺に空気が満たされた充実感がない。

 事前の資料通りに「高山病に似た症状」というほどではないが、むかしむかしキツい小児ぜんそくで苦しんだ経験のある今井君は、気温が急に下がった秋の1日、その年最初のぜんそくの発作が出た朝のことを思い出すほどであった。

 標高2250メートルでは、長距離を走る選手も可哀そうなのである。1968年のメキシコオリンピックでは、マラソンの記録がビックリするぐらい遅くなった。

 金メダルはエチオピアのマモ・ウォルデ。記録は2時間20分27秒。続いてゴールに帰ってきた日本の君原健二、2時間23分31秒。見事な銀メダルだったが、薄い空気に苦しめられた苦悶の表情を忘れることができない。

 東京オリンピックの金メダル ☞ アベベが2時間12分11秒で走ったんだから、メキシコシティの薄い空気がどれほどランナーを苦しめたか、記録からもハッキリ分かるだろう。
電線3
(メキシコシティの空は、大量の電線で覆われている 3)

 1968年は、長距離でケニアの選手が一気に台頭した大会だった。1500mがケイノ、3000m障害がビウォット、10000mがテム。金メダルが次々とケニア選手にわたり、800mと5000mと3000m障害の銀メダルもケニア勢だった。

 今ではケニアのメダル独占は珍しいことではないが、まだ独立して4年か5年の若い国が、これほどのメダルラッシュを実現したことについて、当時の人々はメキシコの空気の薄さに原因を求めた。

 ついでに言えば、メキシコオリンピックでは跳躍競技でもたいへんな記録ラッシュになった。中でも男子走り幅跳びのビーモンは、進行中のアポロ計画の興奮も手伝い「まるで宇宙遊泳みたい」とさえ表現された。

 8m90。その記録は、1991年のマイク・パウエル(8m95)まで破られなかったし、今もなお世界歴代2位の記録として残っている。前回東京大会の金メダルが8m07だから、そのスゴさが分かるはずだ。

 同様に、棒高跳びもシーグレンが世界新記録で金。銀も銅も世界新。三段跳びはサネイエフが17m39の世界新で金。マラソンの記録の不振と比較して、ジャンプ競技のほうは強烈な記録を連発しつづけた。
デモ
(革命記念等付近で、大規模なデモに遭遇。トランプ大統領の政策に反対の激烈なシュプレヒコールが響いていた)

 さて、冒頭に箇条書きにした③、日中と深夜早朝の気温差についてであるが、深夜早朝の寒さを全く体験しなかったので、「気温差にビックリ」ということなかった。だって諸君、深夜早朝は④「犯罪発生率」を考えれば、なかなか外出するわけにはいかないのである。

 だから、日中の暑さだけを如実に思い知って帰ってきた。いやはや、マコトに暑かった。「暑い」は「熱い」に転じ、何しろ人間の数が圧倒的に多いから、「熱い」に「暑苦しい」も加わって、ダラダラ流れる汗は留まる所を知らない。

 その暑苦しさを倍加させたのが「空を覆う電線の密度」である。今日はあえて電線の写真を3枚も掲載した。こんなに電線がワラワラこんがらかって空を覆っていたんじゃ、どんなに美しいブルーの空が広がっていても、スカッとした気分で空を見上げることもできないじゃないか。

1E(Cd) Anne-Sophie Mutter:VIVALDI/DIE VIER JAHRESZEITEN
2E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 1/2
3E(Cd) Krause:BACH/DIE LAUTENWERKE・PRELUDES&FUGEN 2/2
4E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3
5E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 2/3
total m83 y1569 d21518